山中湖に来て2日目。山中湖を1周しながら、お雑煮のことを聞いて回っていました。
山中湖北東の平野集落をうろついていたとき、土の上に、はいつくばるようにして、畑を耕していたおばあさんを見かけたので、声をかけました。
おばあさんは、
「人間は、土と、水と、太陽がなければ生きられない。」
などと、説教し始めます。
おばあさんの説教に引き込まれるように、いつの間にか、僕は歩道の上に体操座りをして説教を聞いていました。
しばらくして、おばあさんは、
「今日はうちに泊まっていけばいい。」
と言いました。
僕はちょっと迷いましたが、
「そこの草葺きの家だ。」
と言われたときには、目を見開いて、興奮。
実は先ほど、お雑煮のことを聞こうとその家を訪れ、茅葺き好きの僕は、茅葺き屋根の家に感動していたのです。
暗くなった5時過ぎ、茅葺きの家を訪問します。
おばあさんは、割烹着を着て、もんぺをはき、頭に手ぬぐいを巻いています。
展示用ではない、現役の茅葺き屋根の家に初めて上がりました。
改修はしていますが、建てたのは170年前だそうです。最後に茅葺きしたのは約40年前で、おばあさん自身も手伝ったようです。
さすがに今は、天井がはってあり、台所やお風呂もあり、土間も玄関のようになっています。
掘りごたつに入り、お茶をいただきます。
お茶を入れてくれるシワだらけのおばあさんの手は、長年の農作業などで、太くたくましい立派な手です。
休憩していると、おじいさんが帰ってきました。
おじいさんとおばあさんの2人だけの会話は、方言が強くて、ちょっと聞き取れません(汗)。
話が終わると、
「今日は、長芋と卵を入れてそば粉を練っておいたから、打つべ。」
と言って、台所でそばを打ち始めました。
家庭でそばを打つのを見るのは、初めてです。
おばあさんは、のし板の上に麺玉をのせ、まず足で踏みつけ、そばの麺玉を叩きながら丸くし、打ち粉を勢いよくふりかけながら、のし棒で麺玉を徐々に伸ばしていきます。
もう体が覚えている感じで、のし棒を手足のように、いろいろな角度からコロコロ回します。長唄のような歌を歌いはじめました。麺玉が、丸く薄く広がっていきます。
今日もまた、ほうとう?うどんがいいなぁ。えっ!そば!!
「山梨県史 民俗編」の「一日 ー一日のケの生活ー」の項目に、「ある1日」の解説が載っています。
その「夕食」のところには、
普段の夕食の中心は、ホウトウ。来客があるときは、ウドンやヒヤムギ。もっとぜいたくなのは、蕎麦。
などと書いてあります。
山梨県の郷土料理であるホウトウは、野菜を比較的多く入れて煮込むので、うどんに比べ小麦の量が少なくてすむ(うどんの3分の1)経済的な食べ物です。
山梨県は、山に囲まれた、お米があまりとれない地域。特にここ山中湖は山梨県でも最も寒く、主食は、大麦、小麦、モロコシなどのコナモノでした。
ホウトウなどの郷土料理は、今では観光の目玉になっていますが、その土地土地の厳しい自然環境の中、地元で取れるものを使って、いかにおいしく日常的に食べられるか、先人が経験や知恵を絞ってあみ出したものだということが、よく分かります。
「風呂、へーらねぇか?」
と言われたので、先にお風呂に入り、久しぶりに(!?)体を洗います。
お風呂から出てくると、きれいに切られたそばが、新聞紙の上に置いてあります。瑞々しくキラキラ光って、おいしそうです。
堀りごたつに入ると、ツヤツヤ光る、プルンプルンしたそばが、てんこ盛りで出てきました。
つゆは、いろいろな野菜が入る、さっぱりした醤油汁です。
「ナンバン、いれねぇべか?」
と言われ、最初、理解できませんでしたが、じきに、唐辛子のことだと気づきました。
おいしい!
そばは、しっかりコシがきき、弾力があります。
熟練者であるおばあさんの手打ちそばは、うまい。僕が食べたそばで一番の味です。
水でしめてあるので、麺は冷たいです。
ラーメンのつけ麺と同じく、つゆが覚める欠点がありますが、そんなことは百も承知のおばあさんは、何度も熱いつゆを入れてくれました。
「今日は、カモや、キジの肉がねぇから、ごちそうできねぇべ。」
と言ってましたが、十分なごちそうです。
食後、おばあさんと話をします。
おばあさんは、「厳しく、熱い人」です。
戦前の教えが今も 骨身にしみ込んでいます。
「尋常小学と高等科(今の小学校と中学校)しか出ていない。」と何度も言っていましたが、その時習ったことを、84歳になる今まで、全く忘れていないことに驚きです。
「シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」の話。
因幡の白兎の話。
間宮林蔵の話。
などなど。
教育勅語を暗唱し、内容を説明してくれました。
僕が何も知らないため、
「今の学校は何を教えているんだ?」
と、嘆いていました。
僕は、
「今は修身の授業はないんですよ。。」
と、自分の不勉強を棚にあげて、意味不明なことをタジタジと言うだけです(汗)。
僕はこの時、教育のすごさを、身にしみて痛感しました。
このような教育を受けた人々が、日本の戦争を支えていたんだ。と実感したのと同時に、多くの人が衣食住に困らない、便利な今の日本社会は、おばあさんのような人たちが築いてきたんだ。と、深く考えさせられました。
僕は、
戦時中に若者だったら、果たして、特攻隊に志願したか?
と考えることがあります。
僕は、思い込んだら頑固に思い込むクセがあるので、戦前の教育を受けていたら、特攻隊に志願していたんじゃないか。と思ったりしますが、正直に言えば、「特攻隊に志願する人間であってほしい。」と密かに願っています。
果たして、僕はどういう人間なんだろうか。まだよく分かりません。
他にも、
職種に恥はない。
人生に今日の日は、今日しかない。
情けのある人間になれ。
などなど、まだまだ書ききれないほどの金言を述べていました。
特に、努力については、
努力に勝る秀才なし。
運勢は、「勢いを運ぶ」と書く。だから、運も自分自身の努力で引き寄せなければいけない。
などと、何度も言及していました。
これらの金言は、「言うは易し、行うは難し。」です。実践することは難しい。
しかし、おばあさんには、それらの言葉が骨の髄までしみ込んでいるようです。
おばあさんから、その日その日を精一杯生きる心構えとその実践について、教えていただきました。
なんて、火傷しそうな熱い話を聞いていると、もう12時。
いつも10時頃には寝ている僕は、さすがに眠いです。
梅子さんの「ねべーな。」の合図で、寝る準備に入ります。
家の奥の「オクンデイサ」(奥座敷)に僕のための布団を敷いてくれたので、挨拶をして居間を出ます。
2度と来ない「今日の日」が終わりました。
他にも、天野家住宅の間取り図や、写真、解説まで載っています。
やはり、天野さん夫婦は、山中湖の民俗における数少ない生き証人のようです。