2011/06/26

山梨県のお雑煮 第1回(富士山麓除く)~うどん正月は北関東一円に!?~

精進湖で初めて、「元旦に、お雑煮ではなく、うどんを食べる。」という話を聞いてから、たくさんの「うどん正月」事例を聞きました。

旧芦川村、旧上九一色村、旧三珠町、旧境川村、甲府市右左口町などなど・・。富士山麓から甲府盆地の間の広範囲で聞くことができました。


より大きな地図で お雑煮マップ 2(関東南部・富士山麓・甲府他) を表示

山奥の隠れ里?ここにもうどんの風習あり!

旧芦川村より、芦川をもっと下って行くと、旧上九一色村を通りすぎて、市川三郷町(旧三珠町)に入ります。

芦川沿いの集落は、旧芦川村の集落より、小さな集落。川沿いに点々と集落が続きます。
“ほとんどすべての家に”と言っていいほど、お雑煮のことを尋ねに訪れました。
ここにも、元旦に「うどん」を食べるという方がちらほらいます。
「うどんを門松にかけていた。」という方もいました。

途中、道沿いに「畑熊入口」というバス停があり、そこから細い道が山の方に延びています。
上の方に家が見えたので、お雑煮のことを聞きに行きました。

その家の方が、

「もっと山の上の方に集落があって、そこからここに降りてきたんだ。」

と指差しました。

えっ、あそこ??

指さした先は、山のほぼ頂上です。

今も住んでいる人はいるのか尋ねると、おじいさん1人とおばあさん1人、住んでいるそうです(新しく移住してきた方も数名います。)。
その2名の方に聞くために山を登るべきか迷いましたが、結局、行くことにしました。

急な坂道が続きます。途中、散歩中のおじいさんに会い、お雑煮のことを尋ねると、

「お袋が生きていたときは、“長くゆるゆる"といういわれで、うどんを食べていた。」

と答えます。
おばあさんは、ものすごい物知りだから良く知ってるはずだ。と教えていただきました。

もくもくと山を登ります。

畑熊の集落30分後、やっと到着。
茅葺きにトタンをかぶせた古民家が転々と立っています。
こんな山奥に人が住んでいるなんて、びっくりです。ものすごく不便な場所に思えてなりません。

おじいさんにおばあさんの家の特徴を伺っていたので、迷わず、おばあさんの家に到着。
当然、昔ながらの古民家です。

声をかけると、80歳を過ぎているとは思えない、元気なおばあさんが出てきました。

やはり、元旦は「うどん」です。玄関には、うどん用の小麦粉が置いてあります。

下に住む方(たぶん60代)が「正月にうどん?食べないなぁ。」と言っていたことを話すと、「あの人達は、若いからねぇ。」と若者扱いです(笑)。

昔は、どこの家庭も元旦にうどんを食べ、夏の虫(蛇やムカデなど)を家に寄せ付けないように、うどんのゆで汁を家の周りにまいたそうです。

風土記の丘農産物直売所で知り合った甲府市の職員の方に、山梨県の民俗に詳しい方を紹介していただきました。

早速、遊亀公園にある甲府市教育委員会学事課に行きます。

紹介していただいた林さんに、お雑煮について調べていることを話すと、「お雑煮は複雑だからなぁ。」と言いながら、素早く、棚から一冊の本を引っ張り出してきました。

ウドン正月の分布領域
影山正美「山梨県における粉食文化の一断面ーいわゆる“ウドン正月"の事例を中心にー」『山梨県史研究』第3号(1995年)から引用
その本は「山梨県史研究」で、「ウドン正月」について調べた論文が載っていました。(ここで初めて「ウドン正月」という言葉を知りました。)。
その論文によると、ウドン正月は、甲府盆地を中心に、北は関東山地、南は御坂山地の中腹あたりまで広がっているようです。こんなに広がっていたのかとびっくり。
執筆者は、山梨県史の専門調査員もしています。詳しい話が聞きたいと思い、連絡先を教えていただきました。

遊亀公園を出たあと、執筆者の方に電話をし、2日後に会うことになりました。

2日後、待ちに待った約束の日です。

午後5時、待ち合わせの場所に行き、執筆者の影山さんと会いました。
影山さんは勤務中だったので長く話はできませんでしたが、ウドン正月について、他県にもまたがって調べた研究報告書をいただきました。

ウドン正月の分布
影山正美「関東・甲信地方のホウトウ食とウドン正月の民俗」『食文化助成研究の報告 11 <抜刷>』(2001年)から引用
その報告書に載っているウドン正月の研究報告や分布図によると、ウドン正月は、長野県東部、群馬県南部、埼玉県北部、栃木県南部、茨城県西部と、広範囲にわたって行われています。

うーん。これはすごい。
思ったよりうどん正月の地域は広いようです。これをきちんと調べていたら、どれだけ時間があっても足りない。。

どうやら小麦文化は、局地的な文化ではなく、広く深く根づいた文化のようです。

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2011/06/18

山梨県の日本100名城 ~甲府城と武田氏館~

1月末、今回の旅初めての、「日本100名城めぐり」に繰り出しました。

山梨県の日本100名城は、武田氏館甲府城の2つです。
2つとも、甲府市中心部にあり、お互いの間隔は、2.5kmほどしかありません。ということで、1日で2つを回りました。

まず武田氏館へ。
甲府駅から、緩やかな坂になっている武田通りを登っていきます。途中に山梨大学があり、落ち着いた道です。
武田通りの突き当たりに、かつて武田氏館だった、武田神社があります。

武田神社
武田氏館は、武田三代(信虎・信玄・勝頼)の居館だったところです。ここは、戦国期の城というより、中世の館(城)のようです。
信玄は、「人は城 人は石垣 人は掘 情けは味方 仇は敵なり」という信条をもとに、治世中に城を新しく建てなかったということです。
ここを拠点に、甲府の城下町が広がっていました。
当時の建物はすべてなくなっていますが、石垣や、土塁、堀などはまだ残っています。

武田神社の堀
当時のままの堀にかかる神橋を渡り、境内へ。

武田氏館跡の石碑と武田神社鳥居
石段前に「史跡 武田氏館跡」の石碑が立っています。

拝殿前の参道
参道を進んで、森に囲まれた拝殿へ。

武田神社 拝殿
拝殿は、落ち着いた桧皮葺で、金装飾をほどこした軒唐破風からは威厳が感じられます。

お参りしたあと、拝殿に向かって右側に経つ宝物殿で、日本100名城のスタンプを押します。
ホント久しぶり。この前押したのは、えーーっと、三重県の松坂城なので・・・約2年4ヶ月前です(汗)

信玄公御使用井戸
信玄も利用したという井戸がまだ残っていました。

クルクルっと境内を周り、神社を出ます。
ここ武田神社は少し高台になっているので、なだらかな甲府盆地を見渡すことができます。信玄もここから甲斐国の民を見守っていたのでしょうか。

自転車に乗り、武田通りをすーっとくだって甲府駅へ。
甲府城は、甲府駅のすぐ東側にあります。
甲府城は、武田滅亡後、徳川・豊臣系の大名が築城し、拠点とした城です。

甲府城高石垣
当時の建物は残っていませんが、高石垣が、ずぅーんとそびえています。

内松陰門
内松陰門をくぐって、城内に入ります。

高石垣に囲まれた城内を歩いていると、ボランティアガイドの方に声をかけられました。
近年、復元された稲荷櫓は、北東の隅にあるので、かつて、艮(うしとら)櫓と呼ばれ、武具蔵として使われていたことや、徳川御三家の尾張徳川家の初代は、ここ甲斐府中の城主だった家康九男の義直だったこと、などなど。色々な資料を引っ張り出して、説明してくれます。

甲府城石垣の線刻画
稲荷櫓の脇に、線刻画が残っているというので、見てみると確かに石に何か削った跡があります。

稲荷櫓
いろいろと見どころを教えていただいたあと、稲荷櫓の展示室へ。

稲荷櫓の展示室
ここには、出土した瓦や鯱の解説・展示、甲府城や城下町の歴史解説、甲府城の縮小模型などがあります。

甲府城縮小模型
甲府城は、ここ舞鶴城公園の敷地の他にも、JR中央本線の北側の歴史公園、舞鶴城公園西側の県庁のあたりも縄張りとしていました。とても広い城です!

※甲府城の別名。鶴が羽を広げた姿に似ていることから「鶴が舞立つように美しい城」と讃えられていた。

稲荷曲輪門
それからも、広大な舞鶴城公園を歩きまわって、石垣や復元した門を見て回ります。

本丸から望む甲府盆地に広がる甲府市街
本丸跡からは、甲府盆地に広がる甲府市街が一望できます。

公園内にある恩賜林記念館では、信玄の人となりや、甲府城の歴史等の解説パネルが並び、解説ビデオも放映していたので、ここでもゆっくりじっくり時間を過ごしました。

甲府城を出るころには、夜のとばりがおりてきていました。
この日も、充実した1日でした。

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2011/06/16

わきあいあい「てんころりん村」 第2回 ~今、ここから始めよう!~


1月16日、てんころりん村の新年会の日です。

僕は、新年会の料理を作るのらさんの、お手伝い係。
午後4時、数日前から準備・調理していた食材や調理器具を車に詰め込んで、農啓庵に向かいます。
到着後、荷物を農啓庵のキッチンに運びます。

囲炉裏にヤマメ
僕は、ナタで竹を割って、てんころりん村代表の石川さんたちが持ってきたヤマメに刺す竹串を作ります。
一本一本、不器用ながらせっせと作っていきます。
できあがった竹串にヤマメを刺し、囲炉裏に並べます。

新年会の料理
のらさんが作った料理も、準備OK!
最初の料理は、甲州もろこしを使ったトルティーヤで鹿の肉を包んだタコス(のらさん命名:芦川ロール)、豆腐と豆のサラダなどなど。メキシコ料理をベースにしていますが、辛さはおさえてあります。

イトウの刺身他にも、てんころりん村スタッフが用意した、幻の魚 イトウの刺身など、テーブルからはみ出しそうなくらいの料理が並びました。
テーブルをぐるっと囲んで、みんな、座ります。

てんころりん村代表石川さんの掛け声で、新年会を祝って、かんぱーい!

お手伝い係の僕も、(どさくさに紛れ?!)料理をいただきます。
おいしい、おいしい、超うまい。やっぱりプロの味。

料理も、甲州もろこしの雑炊など、次から次へと出てきます。

和気あいあいと飲んで食べて話をして・・、とても楽しい時間を過ごしました。

料理をひと通り食べ終わった後、日本酒を飲みながら皆で談笑・・・してましたが、話が段々、ディープになってきました。

話題は、てんころりん村、そして、芦川、いや、日本の未来について。

代表の石川さんが、熱い夢を語ります。
過疎化、農業の衰退、都会と田舎の格差・・・。ここ芦川の問題は、日本の問題、大問題です。
一緒に参加していた芦川出身の市会議員の方も交え、これからの芦川の再生について思いを馳せ、語ります。
てんころりん村では、炭焼き体験、ジャム作り、ビオトープの構築、農業体験など、魅力ある多くの企画がありますが、もっともっとアイデアを出そうと皆で知恵を絞っています。

「芦川から、日本の未来を作ろう!」

ちょっと、話がデカすぎ・・・。
ですが、真剣にこの問題に取り組んで七転八倒してる方の口から飛び出すと、大言壮語に思えないことが不思議。熱すぎて、暴走気味だけど、かっこいいです。

またもや、さんざん酔っ払い、この日も、僕はここ「農啓庵」に泊まりました(汗)。

のらさんは今、山梨県石和のメキシコ料理店「マパ」をたたんで、芦川でメキシコ料理教室「料理寺子屋 マパ」を開いています。
料理の腕前や味は、僭越ながら僕が保証します(そんな保証いらない?)。
興味のある方はご連絡を。
気さくなのらさんたちと、きっと楽しい時間が過ごせます。
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2011/06/15

わきあいあい「てんころりん村」 第1回 ~これが僕の生きる道!~

芦川の道祖神祭りの準備には、「てんころりん村」の方も来ていました。
てんころりん村とは、芦川で田舎体験や農業体験を提供しているNPO団体です。のらさんに紹介していただき、一緒に道祖神祭りの準備をしました。

農啓庵道祖神祭りの準備・食事会が終わった後、「農啓庵」へ。
農啓庵は、古民家を「てんころりん村」の人がリフォームした施設です。
屋根は茅葺きで、中には囲炉裏があり、屋外にはカマドがあります。キッチンなどの近代設備もきちんと備えてあり、石油ストーブなども置いてあります。
五右衛門風呂があると聞き、「入りたい!」と叫んだら(?)、誘ってくれたのです。

農啓庵の五右衛門風呂農啓庵に着くと、早速、薪をくべて、五右衛門風呂を沸かします。
コツを教えていただき、僕も薪をくべます。

約40分後、ある程度熱くなってから、いよいよ入浴です。
ちんちんに熱くなった釜の底で火傷しないように、木の板を踏みつけて、五右衛門風呂の中へ。薪の火でじわわっと熱くなる五右衛門風呂は、体の芯まであったまります。

うーん、極楽、極楽♪

道祖神祭りが終わった後、再度、農啓庵へ。

農啓庵の囲炉裏農啓庵の室内は、石油ストーブ&囲炉裏の炎でとても暖かい。
てんころりん村代表の石川さんが日本酒をだしてくれたので、調子に乗って飲みすぎ、酔っ払ってしまいました(汗)。
布団を用意してもらって、そのまま農啓庵で寝ることに・・・。

次の日の朝、農啓庵でダラダラしていると、初めて会う「てんころりん村」のスタッフがやってきて、近くで「炭焼き体験」をしていることを教えてくれました。
もちろん、参加します!

炭焼き小屋には、てんころりん村のスタッフ4名と、地元の方が1名いました。今日は、竹炭作りに挑戦しています。僕は、ナタを使って、大きな木の枝を、釜にくべやすい大きさに切断します。慣れてないから、時間がかかります(汗)。

しばらくして、昼食休憩。
僕は農啓庵で食パンでもかじっていようと思いましたが、てんころりん村スタッフの川部さんがご飯に誘ってくれたので、車で中芦川にある川部さん宅に向かいました。

川部さんは、大学卒業後、農業を営むためにここ芦川に移住してきた方です。
川部さんの借りている家は、茅葺き屋根にトタンをかぶせた古民家です。風情のある素敵な家です。
家の中では、奥さんがご飯を作っていました。
もうひとりのてんころりん村スタッフの方と一緒に、コタツにもぐります。

しばらくして、スパゲティーにラザニア、豆もちなど、数多くの料理がテーブルに並びました。
早速、バクバクいただきます。どれもみな、とてもおいしい。特に、ラザニアが美味!

4人で談笑します。
川部さんは、昔、僕みたいな旅をすることに憧れていたそうですが、今はここに身を落ち着け、しっかり大地を踏みしめて生きていこうと決心し、ぶれることなく、誇りを持って生活しています。
都会で暮らしてきた川部さんにとって、農業で生計を立て、自然とともに暮らしていくことは、前途多難のように思われますが、自分の目標が定まった、生き生きとした顔をしていました。
年は僕より全然若いですが、考え方は比べ物にならないほどしっかりしています。いつか僕も、生きる指針を定めたいなぁと、彼を見ていて思いました。

昼食後、炭焼き小屋に戻り、明日の新年会を楽しみにしていることを伝え、てんころりん村のスタッフたちと別れました。

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2011/06/06

芦川の道祖神祭り ~道祖神祭りの『祖型』?~

1月14日、道祖神祭りの日がやって来ました。

左右口中道の道祖神山梨県に入ると、道祖神をよく見かけます。
道祖神信仰は、日本各地に残っていますが、山梨県は特に盛んな地域です。山梨県の人たちと話をしていると、道祖神のことがよく話題にのぼります。
道祖神祭りについても行く先々で話を伺っていたので、道祖神祭りへの参加をとても楽しみにして待っていました。
「芦川村史」には、「芦川の祭りを見ることなくして、道祖神祭りを語ることはできまい」との記述があります。
いやが上にも期待は高まります。

午後1時、道祖神祭りの準備のため、道祖神場に集まります。
準備には、当番の組の各家庭から必ず1人は参加しなければいけない決まりがあります。
集まっている人のほとんどが、60歳以上の方のようです。いや、70歳以上?!僕より若い方は、1人しかいません・・・。

道祖神祭りの準備中早速、準備開始です。
僕は、提灯を取り付けたり、山から切りだしてきた4本の木に、「正一位道祖神大神宮」と書かれた幟を取り付けて、道祖神場の四隅に立てます(四本木)。
どんど焼きで燃やす木の束を道祖神場に積み上げていきます。昔は、一家族20把だったのが、今は1把だそうです。

「お小屋」と「サカバヤシ」道祖神祭りの時に取り付ける、稲わらの御神酒
ツガやモミの木で作った「お小屋」や、杉の枝で作った杉玉の「サカバヤシ」、わら製の「酒樽」が飾られました。

準備が終了した1時間後、近くの集会場で、軽い食事会がありました。

話の大半は、昔の道祖神祭りのこと。
数少ない子供たちは、高校をでると、芦川から外へ出ていきます。参加した皆さんは、まだまだ元気ですが、やはり祭りには若者のハメを外すパワーが必要です。
昔は若者が集まって活気があった道祖神祭りも、今や風前のともし火です。

ベベマラチョウとは!?

「芦川村史」に、「お小屋」の中に、「ベベマラチョウという卑猥な戯画や戯文が書かれた帳面を入れる」(要約)ことが載っています。
このベベマラチョウは、「疫神の帳面」を表し、ドンドビで燃やすことによって、疫神が誰を病気にしていいかわからなくするという意味合いがあるそうです。

村の方に、このベベマラチョウのことを尋ねると、最近は「エロ本」を入れていたそうですが、ここ数年、入れてないそうです。
うーん、残念・・・!?

午後7時30分、道祖神祭りが始まりました。

ドンドビの火消防団の方が、うず高く積まれた木々の山に火をつけます。
パチパチ火が燃え広がり、しばらくすると、火柱が勢い良くあがりました。外は氷点下5度以下ですが、火の周りは熱い熱い。近づくことができません。
小学生が「書き初め」を火の中に投げ入れます。灰が高く舞い上がると字がうまくなるという言い伝えがあります。

ドンドビの火の中に入れる繭玉団子火が弱くなってきてから、持ち寄った繭玉団子をドンドビで焼いて、食べます。この団子を食べると、風邪を引かないそうなので、僕も食べました(今年はすでに、数回、風邪を引いて寝込んだりしてます。。!?)。

「お小屋」や、「サカバヤシ」、「酒樽」など、この日のために作った品々も火の中に放り込みました。

ドンドビの火、燃える。約1時間後、荒れ狂っていた火がしぼみ、灰の中でチリチリくすぶっています。灼熱地獄から、極寒地獄へ一気に様変わりです。

みんな、バラバラと帰路に着きました。

そしてこの後、僕は、この日知り合った「てんころりん村」の人たちと酒を飲み交わし、彼らが所有する茅葺き小屋に泊まることになりました。

簡略化が進む、道祖神祭り

現在の道祖神祭りは、戦前戦後のころの道祖神祭りと比べ、著しく簡略化されています。

現在、旧芦川村の4つの集落のうち2つでは、道祖神祭りを行っていません。
ここ上芦川でも、神輿渡御や、オヤマギ(飾り付けをした御神木)の設置、祭りの終わった晩に新婚の家に招待されることなどなど、数多くの儀式がすでに行われていません。

元々、道祖神祭りの主体は、子供・青年だったのですが、現在、子供・青年は皆無に近い状態です。
あと10年したら果たしてどうなるのだろうか・・・。と一抹の寂しさが頭をよぎります。

しかし・・・、

冬の寒さに耐え、春、新しい芽が萌えいづるように、この芦川の文化も、ここからきっと再生していく・・・
と信じています。

次回は、芦川の再生について、、
あるひとつの萌芽について書こうと思っています。

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2011/06/03

山間の僻地、旧芦川村 ~ここも「うどん正月」!?~

山中湖に入って、2ヶ月以上経った1月10日、富士五湖エリアを出ました。

まさかこんなに長くここにいるなんて完全に想定外でしたが、そういえば、前回の旅も、三重県に半年以上、滞在していました(汗)。

こんな旅をしていたら、僕の旅はいつ終わるんだろうか・・。

12月、河口湖でお雑煮調査をしていたとき、

「こんなところで聞くより、今年、新しくできたトンネルを通って、芦川で聞いたほうが面白いんじゃないか?」

と言う方がいらっしゃいました。

芦川はどういうところか尋ねると、

「山間の隠れ里のようなところだ。」

と、言います。

それは行くしかない。
その場で行くことに決定しました。

その後、カムナビ邸に行ったときにその話をすると、きこりさんが、芦川に住んでいる友人を紹介してくれました。

年が開けて1月10日、御坂山地を貫く全長約2.6kmの若彦トンネルを抜けて、旧芦川村上芦川地区に入りました。

トンネルを抜けると、地面が白く染まっています。
ここには1週間ほど前に降った雪がまだ残っていました。

上芦川の兜造りの家上芦川のメインストリートは車一台がやっと通れる、細い道。トタン屋根をかぶせた、かぶと造りの家が、立ち並んでいます。地図にのっている道は、この道で正しいのだろうか?と、疑心暗鬼になりながら、かぶと造りの家の間を進んで行きます。

家の場所や特徴を伺っていたので、なんとか到着。
予定では午後2時に到着予定でしたが、着いたのは午後4時。
声をかけると、今や遅しと待っていた、きこりさんの友人である、のらさんと奥さんのしずこさんが、迎えてくれました。

家にあがらせていただき、コタツにもぐりこんで話をします。
この家も、茅葺き屋根にトタンをかぶせた、昔ながらの家です。この辺りは、この時期(1月)、最低気温がー10度になります。昔の家は密閉性がよくないので暖まりにくいですが、いつも外で寝起きしている僕にとっては天国のようなところです。
人生初の霜焼け(あかぎれ)になった手をコタツの中に入れるだけで、幸せな気分になります。

のらさんち初日の夕食自転車の旅のことや、お雑煮を調べていることなどを話したり、この芦川地域のことを聞いたりします。

のらさんは、以前メキシコ料理の店を経営していた料理人です。
この時だしていただいたお菓子は、1月9日(日)に開催された「甲州もろこしアイデア料理コンテスト」に出品したお菓子でした。固めの食感に、甲州もろこしの素朴な味が口の中に広がります。

のらさんち初日の夕食午後7時、夕食の時間です。
甲州もろこしを使った汁物や、甲州もろこしや柿をペースト状にした料理が並びます。郷土食材を使った創作料理のオンパレードです。
とてもおいしくいただきました。

食事後、14日の道祖神祭りについての話を伺いました。今回は、のらさんの組が準備・片付けの当番だということです。
山梨県は、道祖神信仰が色濃く残っている地域で、僕もこれまで幾度となく道祖神祭りのことを聞いてきました。
機会あったら参加したいと思っていた道祖神祭り。
また、16日に、芦川で地域おこしの活動をしているNPO団体の新年会の準備を手伝わないか?と声をかけてもらいました。
こちらも、とても興味があります。

そんなこんなで、1泊だけのつもりでしたが、しばらくここに滞在させていただくことになりました。

To be continued...

旧芦川村のお雑煮と、うどん正月

道祖神祭りを待っている間、午前中は掃除などをし、午後は旧芦川村のお雑煮を聞きに回っていました。

ここ上芦川の集落をひと通り回ったあとは、3日間かけて、旧芦川村の他の集落(新井原、中芦川、鶯宿)に遠征しました。
旧芦川村のお雑煮で気になったのは、しょうゆ味の汁に、チクワ、かまぼこ、ナルトなどの練り物を入れる人が多かったことです。

また、僕が聞いた6割の方が、過去に食べていた方も含め、元旦に「うどん」を食べていました。
この地域も、かつては「うどん正月」だったのではないかと推測することができます。

道祖神祭りの前日は、旧芦川村の下手にある、旧上九一色村の甲府市古関町まで聞きに行っていました。
暗くなってから、上芦川に戻ります。標高差500m。気温ー5度の中、坂道を必死に登って行きました。


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