2011/07/21

福島県の日本100名城 白河小峰城 ~震災による被害で立入禁止(涙)~

手に乗るキタテハ
6月24日、栃木県と福島県の県境を越えました。いよいよ福島入りです。

キタテハが自転車にとまりました。
手を延ばすと、僕の手にとまります。僕の福島入りを祝福しているのでしょうか?
なんて自分勝手な空想をして、無理やり、ウキウキワクワク!

県境の西郷村を駆け抜けると、白河市です。
白河市には、日本100名城のひとつ、白河小峰城があります。
これは行かねばなりません。

漆喰塀が続く道
白河小峰城跡(城山公園)の前の道には、白い土塀が延びています。
城山公園も漆喰の白い土塀に囲われ、すぐ隣の白河駅の連絡通路は、石壁に漆喰の門構えになっています。
白河小峰城跡一帯に城下の雰囲気が漂っています。

白河小峰城址 木々と石垣
漆喰の土塀が延びる門をくぐり、白河小峰城跡へ入ります。
堀に囲まれ、こんもりとした木立の中に、石垣が連なっています。
白河小峰城の曲輪は、梯郭式(はしご状に曲輪が設けられている)です。段になった石垣が、小気味いい。

白河集古苑
城郭内にあった土蔵をイメージした白河集古苑があります。
白河集古苑の前にいた職員の方と話をすると、なんと東日本大震災で石垣が崩壊したため、三重櫓や前御門などがある本丸に入ることができないそうです。白河集古苑も漆喰の剥落などの被害を受けたので、ブルーシートなどで一部が覆われています。

白河集古苑のロビーで、白河小峰城についての解説パネル等をみて、日本100名城のスタンプを押しました。

がらがら壊れた石垣
白河集古苑を出て、本丸への入口となる二の丸清水門の方に行くと、無残な石垣の姿が現れました。石垣がガラガラ崩れています。

二の丸清水門の前
二の丸清水門の前に柵が張り巡らされ、中に入ることができません。

冠木門の二の丸清水門(江戸時代は、2層の櫓門)の奥の石垣は、完全に崩壊状態・・。これまで、約400年、偉容を誇ってきた石垣がこんな状態に・・・。今回の地震のパワーをまざまざと見せつけられました。

三重櫓
木造で忠実に復元された前御門と三重櫓を間近で観ることができないのは、ほんと残念です。
二の丸から見える白河小峰城のシンボル、三重櫓は、黒漆を塗った「下見板張り」の“黒"と白漆喰の“白"が、鮮やかなコントラストを見せています。櫓というより、まさに天守。

石垣と共に、木々が倒れる
堀に沿って歩くと、石垣が豪快に崩壊しているのが目に飛び込んできます。
石垣の上の木々が、堀になだれ込んでいます。

白河小峰城跡
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石垣が復旧し入場が再開されたら、必ず三重櫓に登りに来るぞ!

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2011/07/19

宇都宮での一日 ~「節電トライアル」でキャンドルナイト ~

渡良瀬遊水地のところから栃木県に入り、4号線を北上。
6月21日の夜、宇都宮に到着しました。

栃木県庁
次の日は、宇都宮散歩。
まず、恒例の都道府県庁前で写真撮影。3年前に竣工したばかりの新庁舎は、きれいでかっこいいです。
ここ栃木県庁で、区切りの20都道府県目。
約2年、旅をしているのに、まだまだ半分にも到達していません(汗)。

二荒山神社 長い石段
「宇都宮」の地名の由来となった宇都宮二荒山神社に参拝。
長い石段の先に、社殿があります。拝殿で参拝したあと、境内をくるっと回ります。

市神社・須賀神社の狛犬
市神社・須賀神社の狛犬は、とぼけた感じのユーモラスな顔をしています。

初辰稲荷神社の前の個性的な狛狐
初辰稲荷神社の前にも、個性的な狛狐が佇んでいました。

宇都宮城址公園 晴明台
次に、宇都宮城址公園へ。
みはし通りの先には、水堀、土塁、その上に2007年に復元した晴明台がそびえます。
宇都宮城は、日本100名城に選ばれていませんが、関東七名城のひとつで、平安時代後期に築城された歴史ある城です。

御成御殿の縮小模型
晴明館歴史展示室や宇都宮城ものしり館で、宇都宮や城に関する展示紹介を観賞します。
ものしり館では、ボランティアガイドのおじいちゃんがいろいろと解説してくれました。

江戸時代、宇都宮城には、天守がなく、晴明台(櫓)が天守の代わりをしていました。
本丸に建っていた「御成御殿」(写真は、御成御殿の縮小模型。)は、将軍が日光に行くときに泊まる御殿で年2,3回しか使用しない建物だったそうです。
現在だったら、確実に「事業仕分け」の対象になりそうです・・。

宇都宮城址公園 富士見櫓
漆喰壁に囲まれた土塁の上に登ります。
まだ出来て4年しか経っていないので、とてもきれい。白漆喰に日があたり、真っ白に輝いています。
晴明台や富士見櫓の内部もひと通り見て回りました。

宇都宮市街を一望(昼)
県庁に戻り、15階展望ロビーから宇都宮の市街を眺めます。宇都宮は人口50万人の大都市なので、周りにビルがたくさん建っています。

下を覗き込むと、県庁隣に立つ「昭和館」の前に人が集まってきています。
何だろう?
と思い、僕も下におりていきました。

節電の看板
昭和館の前では、「節電トライアル」のイベントが始まるところでした。
「節電トライアル」とは、環境省が呼びかけているライトダウンキャンペーン(6月22日~8月31日)に併せて、昨年比15%の節電に挑戦する栃木県の試みです。

節電トライアル ecoキャンドル看板
知事や議員の方たちなどがスピーチしたあと、「節電トライアル」開始です。
僕も人ごみにまぎれ、参加者に配られるECOバッグや、エコキャンドルなどを頂きました。

サンセットコンサート
県庁舎内では、6時から栃木県警察音楽隊による「サンセットコンサート」が行われました。
観客の7,8割は、「ノー残業デー」ということで仕事が終わった、県の職員の方!?。
数組、子供連れのお母さんも、聴きに来ていました。
「美女と野獣」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマ曲、千の風になってなどを演奏します。僕は用意されたパイプ椅子に座って、心地良く音楽を聞きました。

「トライ▲15」のキャンドル
サンセットコンサートが終わった午後7時、空はまだまだ明るいのですが、外ではキャンドルナイトが始まりました。スタッフのかたが、キャンドルを「トライ▲15」などの形に並べ、火を灯していきます。

僕は短冊に願いを書いたりして、しばらくキャンドルの明かりを楽しみました。

宇都宮県庁 展望台から望む宇都宮市街(夜景)
午後8時、もう一度県庁舎の展望ロビーへ行き、宇都宮の夜景を一望。みんな、節電してるかな??

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2011/07/15

戸田で、ひと休み。

荒川河川敷

6月16日、小雨がやんで、そよ風が心地いい。
荒川河川敷を颯爽と走り、東京から埼玉県戸田市に入りました。
いよいよ、北への旅がスタートしたような気分です。

まず図書館へ。
新しいところに行ったら、図書館に行くようにしています。
お雑煮について調べるためです。

戸田市立図書館の郷土資料コーナーに行くと、埼玉県各市の郷土史がずらっと並んでいました。
「民俗」の巻の「年中行事」カテゴリーで、お雑煮の記述を調べます。
記述を見つけたら、片っ端からメモっていきます。

「うどん正月」が気になります。
影山さんの調査では、埼玉県の「うどん正月」は秩父と埼玉県北部地域だけのはずですが、東京都の県境になる、南東部の新座市の郷土史にも「3が日うどんを食べる家」の記述があります。
もしかしたら、「うどん正月」は、もっともっと広がっているのかもしれません。
しかし、今回はお雑煮を調べずに東北まで駆け上がる予定なので、実際に調べて回るのはまた今度の楽しみに取っておくことに。

戸田市立図書館と同じ建物の3Fに、戸田市立郷土博物館があったので、見に行きました。

ここでは、12~13万年前から現代までの「戸田の歴史」や、荒川の動植物など「戸田の自然」について、展示解説しています。

ここで僕が特に気になった点は、3つ。

古墳時代の竪穴式住居ジオラマ
この竪穴式住居には、カマドがあり、周りに木の板をはった板壁があります。板壁のある竪穴式住居のジオラマは珍しい。 竪穴式住居から茅葺き民家への、過渡期にある住居です。
江戸時代の戸田の渡しのジオラマ
戸田は、江戸時代、中山道が通っていて、橋をかけていない荒川を舟で渡した「戸田の渡し」で活況を呈しました。 川べりから中山道沿いに、茅葺きの家が立ち並んでいて、栄えていた様子がわかります。
江戸時代の食品サンプルに「芋雑煮」!?
この食品サンプルには、個人的にびっくり!戸田では、お雑煮のことを、里芋(八頭)を主菜とする「芋雑煮」と呼んでいたそうです。

このときは梅雨まっただ中で、連日、雨が降っていました。
2日目は、一日中雨だったので、マクドナルドにずっとこもっていました。

この日の夜、テントを張らずに外で寝ていたら、蚊に襲われ、眠れません・・。仕方なくテントを張ると、中に侵入してきた10匹ぐらいの蚊と格闘。この日はろくに眠れませんでした・・・。
毎夏、蚊の洗礼を受けてる気がします(学習能力なし(涙))。

戸田に来て、3日目。
友人と会うことになりました。
友人の子ども(6歳)と奥さんと一緒に、イオンタウン北戸田ショッピングセンターへ。

休日のショッピングセンターは、若い親子連れで溢れかえっています。

僕は、旅の途中によく、こういう大型ショッピングセンターに立ち寄り、フードコートで休憩しがてら、日記を書いたり本を読んだりしていますが、奈良でも仙台でも名古屋でも、若い家族で賑わっていました。

ソフトクリームを食べたり、服屋さんや、CDショップ、ゲームコーナーに行ったり。子どもと一緒に遊びながら、気軽にショッピング。かつてのデパート状態です。

沖縄地料理 うるま友人が、ショッピングセンター内にある沖縄料理店でごちそうしてくれました。
僕は、この店の一押しメニュー「島豚の生姜焼き定食」を注文。
ジューシーご飯(炊き込みご飯)が食欲をそそり、沖縄名物の島豚が柔らかくておいしかったです。

「今度いつ会えるだろうか?」

と次回会えるときに思いを馳せながら、ハイタッチして別れました。

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2011/07/12

葉山で、夏気分満喫♪

6月6日に出発した、現在進行中の旅について書き始めます。
当初の予定より出発が延びてしまいましたが、元気に旅を続けています!

6月6日、当初の目的地の東北に行く前に、神奈川県の葉山にある、きさらちゅん(木皿さん)の家に行きました。

きさらちゅんとは、3月11日の東日本大震災の日に知り合いました。
地震で電車が止まったときに日暮里にいたきさらちゅんが、友人の紹介で、僕のアパートに来たのです。
その後、ゴールデンウィークにスタッフとして参加した、アメリカ・インディアンに伝わる物語「ジャンピングマウス」のストーリーテリングの催しなどで、より一層、仲良くなりました。

6月6日の昼さがり、満を持して出発!
葉山までは約60km。のんびり横浜経由で、夜暗くなる前に、到着しました。

きさらちゅんち

葉山の家は、もともとお兄さんが別荘として建てたらしく、生活感をあまり感じない、おしゃれな家です。

部屋に先に来ていたみこさんが、葉山名物の生しらす入りスパゲティやゴーヤチャンプルを作ってくれ、こちらも葉山名物の、葉山コロッケ、葉山高梨豆腐店の豆腐を用意してくれました。

うまい!

疲れた体に、おいしい料理が染み込みます。

次の日は、立石公園までドライブ。
夕時の立石を見て、海岸で遊んだ後、フラ(フラダンス)を踊ります!?

きさらちゅんの踊るフラは、カヒコ。
フラ・カヒコは、素朴な伝統的楽器やチャント(詠唱)を用いた、古代から続く厳粛な踊りです。
最近まで知らなかったのですが、僕のイメージにあった陽気なフラダンスは、フラ・アウアナと言って西洋音楽を取り入れた現代的なフラダンスなんだそうです。

遠く赤い夕焼け雲を眺めながら、僕も、見よう見まねで一緒に踊りました。

その次の日は、葉山の自家製野菜を購入しに、山の方に車を走らせます。

葉山は、海から離れると、すぐ山になります。
馬頭観音や庚申塔がひっそりたたずむ、車1台やっと通れる細い道をクネクネ進むと、こっそりと広がる畑の脇に、無人野菜直売小屋が点々とたってます。小雨の中、瑞々しいカブや、夏みかんなどをいただきました。

スピリチュアルスポット(?)の「不動滝」でお祈りした後、葉山公園へ。
大浜海岸は、まだ海開き前で、散歩中の方が数名歩いていました。
さざ波が響きわたる心地いい海岸を歩き、海の水を舐めると、もう我慢できない。トランクス1枚になって、海に飛び込みました!

大浜海岸にて

気持ちいいー!最高!

さっきまでの雨がウソのように陽がさし、青空が広がり始めています。
ちびっ子と僕しかいない海で気持よく泳いでいたら、きさらちゅんたちも海に飛び込んでました(汗)。

海を出た後、きさらちゅんの知り合いのデューク金子さんに会いに行きました。
道を尋ねて、何とかNPOオーシャンの建物に到着。建物の前にはカヌーが積まれ並んでいます。

ちょっと前に海から帰ってきたデュークさんと話をします。
アウトリガーカヌーパドラーであるデュークさんは、「オーシャン」というNPO法人を立ち上げています。
カヌーを使った旅に挑戦しているデュークさんは、7月から、カヌーをこいで、熊本県水俣から福島県の原発に向かう計画を立てています。その計画について、カヌーについて、シンプルに生きることについてなどを、一時、語り合いました。

デューク金子さんと共に
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デュークさんの旅は、始まっています。
Ocean Legend
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その夜は、本場ハワイのフラ大会(?)のDVDを見て、またフラの練習。
イリイリ」と呼ばれる、石のカスタネットを手の中でカチカチ鳴らしながら、優雅に踊ります。僕は、ひょうたんから作られた伝統楽器「イプ(イプヘケ)」をポポポポンと叩きます。難しいけど、面白い。

きさらちゅんたちに、「フラが似合ってるよ!」とおだてられて、すっかりその気になっちゃいました(笑)。

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2011/07/02

神奈川のお雑煮 第3回 ~相模湖周辺は甲斐国?~

2月、東京に戻ってくる途中、山梨県上野原市や相模湖北岸地域で、お雑煮について尋ねました。

上野原市に入り、四方津の駅近くでお雑煮のことを尋ねると、元旦ではなく、2日に「うどん」を食べるとおっしゃる方がいました。

2日にうどん?

これは聞かざるを得ない・・と、上野原市で、お雑煮のことを尋ねました。

何人かに尋ねると、「2日にうどんを食べる。」と、多くの方がおっしゃいます。
そのうどんとは手打ちうどんで、正月2日にうどんを打つことを、「うちぞめ」とか、「ぶちどめ」とか、「打ち初め(ぶちぞめ)」と呼ぶそうです。

この辺りは、まずお餅の入ったお雑煮を食べ、次に、うどんを食べるという流れのようです。

お雑煮のことを尋ねていると、眼下に相模湖が広がり、神奈川県に入りました。

神奈川県に入っても、2日に「打ちぞめ」をして、うどんを食べたという話を聞きます。
お雑煮は、厚木や伊勢原などでよく聞いた、里芋と大根のお雑煮ではなく、たくさんの具を入れた「けんちん汁」のお雑煮の方が多くいます。

藤野町資料館国道20号を走っていると、「藤野町資料館」と書かれたのぼり旗を見かけたので、立ち寄ってみました。

ここ旧藤野町(現在は相模原市緑区。)は、江戸時代、甲州街道十番目の宿である「吉野宿」として栄えたところです。
館内には、吉野宿の街並復元模型や、藤野町の歴史、かつての産業の養蚕と炭焼きの解説があります。
それらをひと通り見た後、係員にお雑煮のことを尋ねると、向かいの吉野さんは、この辺りについてすごく詳しい人だと教えていただいたので、早速、向かいの家へ行きました。

藤野町資料館向かいの吉野家は、吉野宿の本陣で、名主だった家です。
声をかけると、おじいさんが出てきました。90歳を過ぎているとは思えないほどしっかりしています。
かつて、藤野町の民俗を調査していて、藤野町内に、768体の石像があることなど、この地方のことをいろいろと話してくれました。

その中で僕の興味を最も引いたのは、江戸時代、ここ相模湖周辺は、郡内地方だったということです。

今の郡内地方は、山梨県の南東部を指しますが、相模湖周辺もかつては、郡内地方の一部だったそうです。ここも郡内地方だったと考えると、けんちん汁の話や、打ちぞめの話など、甲斐国の影響を強く受けているわけが納得できます。

ここ相模湖周辺の旧津久井郡は、現在神奈川県に属していますが、文化や風習は甲斐国に属していると考えることができます。


より大きな地図で お雑煮マップ 2(関東南部・富士山麓・甲府他) を表示

丹沢湖奥、箒沢(ほうきざわ)の、みそ味のお雑煮

去年の10月、神奈川県山北町から御殿場に行く途中、丹沢に寄りました。
丹沢湖から中川川の上流へ細道を、ぐんぐん北に進んでいくと、徐々に山が険しくなり、箒沢というところに着きます。

そこに住む方は、みそ味のお雑煮を食べるとおっしゃっていました。
丹沢湖周辺にもみそ味のお雑煮の方がいらっしゃいましたが、神奈川県では、それまでずっと、しょうゆ味のお雑煮だったので違和感を感じました。

丹沢湖ビジターセンターその時に寄った丹沢湖ビジターセンターに、箒沢の地名の由来が解説してありました。

中川川最奥の集落だと思っていた中川集落の人が、さらに中川川上流からホウキが流れてきたのにびっくりして上流を調べに行くと、甲斐国から来た人たちが集落を作っていたそうです。そこで、その集落を「箒沢」と呼んだということです。

この伝承からも裏付けられるように、この箒沢に住んでいる人たちはかつて甲斐国に住んでいた人々だとすると、「みそ味のお雑煮」というのもしっくりきます。
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