2011/06/06

芦川の道祖神祭り ~道祖神祭りの『祖型』?~

1月14日、道祖神祭りの日がやって来ました。

左右口中道の道祖神山梨県に入ると、道祖神をよく見かけます。
道祖神信仰は、日本各地に残っていますが、山梨県は特に盛んな地域です。山梨県の人たちと話をしていると、道祖神のことがよく話題にのぼります。
道祖神祭りについても行く先々で話を伺っていたので、道祖神祭りへの参加をとても楽しみにして待っていました。
「芦川村史」には、「芦川の祭りを見ることなくして、道祖神祭りを語ることはできまい」との記述があります。
いやが上にも期待は高まります。

午後1時、道祖神祭りの準備のため、道祖神場に集まります。
準備には、当番の組の各家庭から必ず1人は参加しなければいけない決まりがあります。
集まっている人のほとんどが、60歳以上の方のようです。いや、70歳以上?!僕より若い方は、1人しかいません・・・。

道祖神祭りの準備中早速、準備開始です。
僕は、提灯を取り付けたり、山から切りだしてきた4本の木に、「正一位道祖神大神宮」と書かれた幟を取り付けて、道祖神場の四隅に立てます(四本木)。
どんど焼きで燃やす木の束を道祖神場に積み上げていきます。昔は、一家族20把だったのが、今は1把だそうです。

「お小屋」と「サカバヤシ」道祖神祭りの時に取り付ける、稲わらの御神酒
ツガやモミの木で作った「お小屋」や、杉の枝で作った杉玉の「サカバヤシ」、わら製の「酒樽」が飾られました。

準備が終了した1時間後、近くの集会場で、軽い食事会がありました。

話の大半は、昔の道祖神祭りのこと。
数少ない子供たちは、高校をでると、芦川から外へ出ていきます。参加した皆さんは、まだまだ元気ですが、やはり祭りには若者のハメを外すパワーが必要です。
昔は若者が集まって活気があった道祖神祭りも、今や風前のともし火です。

ベベマラチョウとは!?

「芦川村史」に、「お小屋」の中に、「ベベマラチョウという卑猥な戯画や戯文が書かれた帳面を入れる」(要約)ことが載っています。
このベベマラチョウは、「疫神の帳面」を表し、ドンドビで燃やすことによって、疫神が誰を病気にしていいかわからなくするという意味合いがあるそうです。

村の方に、このベベマラチョウのことを尋ねると、最近は「エロ本」を入れていたそうですが、ここ数年、入れてないそうです。
うーん、残念・・・!?

午後7時30分、道祖神祭りが始まりました。

ドンドビの火消防団の方が、うず高く積まれた木々の山に火をつけます。
パチパチ火が燃え広がり、しばらくすると、火柱が勢い良くあがりました。外は氷点下5度以下ですが、火の周りは熱い熱い。近づくことができません。
小学生が「書き初め」を火の中に投げ入れます。灰が高く舞い上がると字がうまくなるという言い伝えがあります。

ドンドビの火の中に入れる繭玉団子火が弱くなってきてから、持ち寄った繭玉団子をドンドビで焼いて、食べます。この団子を食べると、風邪を引かないそうなので、僕も食べました(今年はすでに、数回、風邪を引いて寝込んだりしてます。。!?)。

「お小屋」や、「サカバヤシ」、「酒樽」など、この日のために作った品々も火の中に放り込みました。

ドンドビの火、燃える。約1時間後、荒れ狂っていた火がしぼみ、灰の中でチリチリくすぶっています。灼熱地獄から、極寒地獄へ一気に様変わりです。

みんな、バラバラと帰路に着きました。

そしてこの後、僕は、この日知り合った「てんころりん村」の人たちと酒を飲み交わし、彼らが所有する茅葺き小屋に泊まることになりました。

簡略化が進む、道祖神祭り

現在の道祖神祭りは、戦前戦後のころの道祖神祭りと比べ、著しく簡略化されています。

現在、旧芦川村の4つの集落のうち2つでは、道祖神祭りを行っていません。
ここ上芦川でも、神輿渡御や、オヤマギ(飾り付けをした御神木)の設置、祭りの終わった晩に新婚の家に招待されることなどなど、数多くの儀式がすでに行われていません。

元々、道祖神祭りの主体は、子供・青年だったのですが、現在、子供・青年は皆無に近い状態です。
あと10年したら果たしてどうなるのだろうか・・・。と一抹の寂しさが頭をよぎります。

しかし・・・、

冬の寒さに耐え、春、新しい芽が萌えいづるように、この芦川の文化も、ここからきっと再生していく・・・
と信じています。

次回は、芦川の再生について、、
あるひとつの萌芽について書こうと思っています。

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2010/09/26

根津神社例大祭「神幸祭」2010

先週の日曜日、根津神社例大祭を見に行ってきました。

根津神社例大祭は、日枝神社山王祭と、神田明神神田祭と並んで、江戸幕府の将軍の命によって行われた天下祭(江戸3大祭り)のひとつです。
今年は、2年に1度の「本祭」です。

のんびり昼前、ふらっと根津へ出かけます。

根津神社に行く前に、根津神社近辺を散策。

根津神社例大祭
境稲荷神社
境稲荷神社境内が寄合所になっている茅町町会や、向ヶ岡弥生町会など、多くの人々が祭りを楽しんでいます。
町会の寄合所では、焼きそば100円、氷50円など、とても良心的な価格で露天を出し、お祭りを盛り上げています。町会のお手伝いをしている女性の方がせわしなく準備をし、子どもたちの笑い声が飛び交っています。

そして、根津神社へ。
根津神社表門の鳥居

表門の鳥居をくぐると、両側にぎっしり露天が並び、多くの人で賑わっています。

楼門をくぐると、神楽殿からお囃子の演奏が聞こえてきます。
神楽殿の演奏

いつもは、穏やかな境内ですが、この日は参拝する人がずらっと行列を作っています。
僕も並んで、静かにお参りします。
拝殿前の行列

午後1時からは、境内で、「根津権現太鼓」が始まりました。
威勢のいいかけ声とともに、太鼓の音が高らかに鳴り響きます。
アクロバティックに飛び跳ねながら太鼓を叩き、こっちも浮き浮きワクワク。気分が高まります。

境内を出た後は、谷根千散歩。
谷根千の町一帯に、笛や太鼓の音が流れ、どこに行ってもお祭りムード。
家の前には、お祭りの提灯がぶら下がり、路地では、ハッピを着たわんぱく小僧とおてんば娘が、きゃっきゃと走り回っています。

この日は、日差しが照りつけ気温がぐんぐん上がり、また夏の1日が、ぶりかえしたようです。
「こりゃたまらん。」と、僕の(みんなの?)お気に入りの場所である「甘味処 芋甚」のアイスモナカ(小倉)をいただきました。控えめな甘さのアイスが、ひんやり口の中でとろけます。
芋甚のアイスモナカ

それから、谷根千のいたるところでかけ声とともに練り歩く、町内神輿を見物。
狭い路地の中を、御神輿が駆け巡ります。神輿を担いでる老若男女、みなとてもカッコイイです。
路地の中を神輿が行く

不忍通りに出ると、谷根千の氏子中を練り歩いている「神幸祭」の行列に出くわしました。
神幸祭の行列

神職が乗る日本古来の馬「木曽駒」。「猿田彦」の山車人形が乗る山車。黄色い装束姿の神官が曳く本社神輿「二之宮」。馬車をひく立派な白馬。人力車に乗ったかわいいお巫女ちゃん。などなど。
数百メートル続く長い行列が、粛々と進んでいきます。

神職が乗る日本古来の馬「木曽駒」「猿田彦」の山車人形が乗る山車本社神輿「二之宮」人力車に乗ったかわいいお巫女ちゃん

根津神社の近くで、少しだけおばあさんにお雑煮のことを聞きました。
ここで生まれ、ここで育って、早80年。

「向かいの建物も今は立派になったけど、昔は3軒長屋が並んでいてねぇ・・・。」

と思い出話に花が咲きます。

表門の鳥居をくぐって境内へ
神幸祭の行列と一緒に、根津神社に帰ってきました。
露店の並ぶ狭い参道すれすれを、御神輿が通り抜けていきます。

猿田彦の山車が、威風堂々、神橋の上で屹立。
猿田彦の山車、神橋の上で屹立

唐門前で、宮司が祝詞を読み上げて、「宮入り」神事が執り行われます。
「宮入り」神事

一連の神事が終了した後は、御神輿を、拝殿隣の神輿庫に納めます。
ここが「神幸祭」のハイライト。
「神幸祭」の行列の時は車の上に載せられていた本社神輿を車から外し、男たちが担ぎ上げます。



大きな本社神輿「二之宮」。
屈強な男たちが担ぎ上げていますが、よれるよれる。。
唐門の前を行ったり来たり。でもさすがお祭り男たち。
「かけ声」をとどろかして、体勢を立て直します。
神様が酔っちゃうんじゃないかと心配になるくらい、御神輿が上下に揺れます。

無事、宮入りが終わった後は、連合渡御が始まります。祭友会」の神輿、裏門前から出発!

根津神社の裏門前から、不忍通りを9基の町内神輿が一列に並んで渡御します。
ずらっと並んだ姿は、まさに壮観。
連合渡御 9基並ぶ

神輿が一丸となり、人々を巻き込みながら、長い長い固まりが進んでいきます。
だんだんと日が暮れ、神輿の提灯に灯りがともります。
神輿の担ぎ手たちのハッピは汗でぐっしょり。体中から汗を飛び散らせ、声を合わせ力を合わせます。

その瞬間、担ぎ手も、町会の人々も、見物客も、みんなの心が1つになりました。
連合渡御 御神輿も、人も、揺れる揺れる

午後7時ごろ、連合都御終了。御神輿は各町会に帰って行きます。

僕も、祭りの余韻を味わいながら、とことこ家に帰ります。
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2010/09/18

東京のお雑煮 第1回 ~花のお江戸のお祭りでぃっ!~

台風が来るたびに、雨が降るごとに、ぐっと秋の気配が深まります。
日差しが傾き、外をほっつき歩くには、心地よい季節になりました。

近日中に旅を再開いたしますが、その前に、書こう書こうと思いながら、今までほったらかしてきた、「東京のお雑煮」について、少し書き綴ることにします。


今回の舞台は、東京下町。
時は、爽やかな南風が初夏の陽気を呼び込み、ツバメのヒナが羽ばたき始める、5月から6月になります・・・。

東日暮里4丁目の子ども神輿ゴールデンウィークが開けた最初の土日(5月8日、9日)、僕が住む東日暮里4丁目の氏社である元三島神社の例大祭が行われました。

久しぶりに、鶯谷のラブホテル街に埋もれてしまっている(?)鎮守さんの元三島神社にお参りして、子どもたちのかけ声を聞きながら、神輿行列を眺めます。

5月から6月は、ここ東京の下町では、毎週、どこかしらでお祭りが行われます。
次の週は、浅草の三社祭、その次は、学問の神様・湯島天満宮の例大祭、 6月に入って、素戔雄(スサノオ)神社の天王祭、12、13日の日本橋山王祭、そして、「たけくらべ」冒頭に出てくる三島神社の例大祭・・・と毎週末、下町のどこかで、大きなかけ声があがっています。

浅草の三社祭では、お祭りを見るついでに、お雑煮について、ちらちらと聞いて回りました。

浅草の町会の寄合所を覗くと、数人の女の人がいました。
ちょっと手が空いたようなので、中に入り、このあたりのお雑煮のことについて尋ねます。

「角餅を焼いて入れて、、小松菜、、んー、あとは、かまぼこに、ナルト・・・」

と話し始めたとき、隣の人が、

「仙台では、いくらや、ハゼを入れるんだよ。」

と切り込んできます。


そこから、一気に仙台のお雑煮の話題へ。やっぱり珍しいお雑煮はみんなの興味を引きます。

2,3分後に、どやどやと数人の女の人がやってくると、誰かが「あっ、この人、鳥取出身だよ。」と声をかけ、その鳥取出身の方が、

「えっ?雑煮??私んとこは、黒豆を入れるだけよ。」

と話し始めます。

もう少し、聞こうとしましたが、寄合所の中は、すでに戦場モード。
お雑煮を聞くどころでは、ありません・・・。僕も、早々に退散です。

東京は、ブラックホールのように日本中(世界中?)から人を吸い込んでしまうので、地方にルーツのある方が大勢います(僕もしかり)。
ここ下町なら、生粋の江戸っ子の方が多いかなと思っていたのですが、やはり地方出身の方も数多くいるようです。

※大阪では、僕がお雑煮を聞いた人たちに関してですが、西国出身の方が多かったです。

三社祭の町内神輿住宅街の中をぶらぶらと、町内を練り歩く神輿を見ながら歩いていきます。
入れ墨を体中に彫り込んだ方が威勢よく神輿を担ぎ、神輿の上に乗っかって、低く渋いかけ声をあげています。

三社祭のハッピを来たおじいさんがこちらに来ました。
早速、お雑煮のことを尋ねると、

「雑煮にゃ、豚肉はいれちゃダメなんだよ。」

と、しゃがれ声で、ぶっきらぼうというか、歯切れのいい江戸弁を話します。

雷門が近くなるにつれ、雑煮どころではなく、完全にお祭り見物モード。
ふだん、浅草寺の喧噪の隣で、静かに佇んでいる浅草神社も、この時ばかりは、参拝する人の大行列で埋まっています。

「ソイヤ、ソイヤ!」の威勢のいいかけ声や、怒鳴り声。上下左右に大きく揺れる神輿。
まさに、ケンカ祭り。

お祭りの実行委員(?)の方が神輿の前で、

「そこ押さないで。押しちゃダメだよ。」

と言った、10秒後・・・

「オラっ!押すなって言ってんだろ!コラ、押すなーーっ!!」

と怒鳴り声に早変わり。この繰り返し。誰も聞いちゃいません(苦笑)。

一之宮町内渡御16日の本社神輿町内渡御では、神輿担ぎもヒートアップ!
みんな本社神輿を担ぎたくて、うずうずしているので、躊躇していると、神輿を担ぐことができません。
小さな小競り合いは日常茶飯事。闘争本能、丸出しです。

子どもに優しい猿田彦大神ただ、神輿の前後は、穏やかです。
「一之宮」の前の方、少し距離を置いた先で、鼻の長い天狗のようなお面をつけた猿田彦大神が神輿を先導します。
後ろからは、大勢の警官が一列になって神輿の後をついていき、警察車両の上で数人の警官が目を光らせ、ビデオも回していました。


本社神輿担ぎ手代えシーンのハイライト

浅草神社本社神輿で最も大きな『一之宮』の、担ぎ手代えの様子です。

神輿を担ぐ町会が変わるとき、担ぎたくてしょうがない担ぎ手たちの興奮は最高潮に高まります。
あんまり近くにいると、はじき飛ばされます(汗)。


それから毎週、週末になると、ふらっと、お雑煮のことをほんの少し聞きながら、湯島天満宮の例大祭などを見に行きました。

日本橋山王祭三社祭から、一ヶ月後、大江戸3大祭りのひとつ、「山王祭」が執り行われました。
山王祭は、町人のお祭りである三社祭とは真逆の、江戸幕府お墨付きの天下祭。
整然と町割りされた日本橋界隈を、神輿が駆け巡ります。中央通りを進む「下町連合渡御」の神輿行列は、壮観。ビルの谷間で、笛や太鼓の音、そして、かけ声がこだまします。
祭りの賑やかさは欠けていませんが、やはり、どこか穏やか。祭りを見守る警官も、三社祭と比べると、圧倒的に少ないです。

日本橋山王祭で使われていた玉ノ井 龍神先日、佐倉の「おはやし館」に行ったとき、明治初期まで、日本橋の檜物町で曳き回されていた山車人形(玉ノ井 龍神)が展示されていました。
江戸時代、山王祭では、神輿と共に山車も曳かれていました。しかし、明治になると、路面電車の運行に差し支えがあるという理由で、山車は、川越や佐倉など、関東近郊の都市に売られていきました。


「表向きは、路面電車の邪魔になるからってことになっているけど、当時、お金のない明治政府が、資金を得るために、“カタキ”である江戸幕府のモノ(山車)を、地方に押しつけたんだよ。」

というようなことを、地元の人が語っていました。

理由はどうあれ、佐倉では、まだ現役として使われているということなので、今年はちょっと無理っぽいですが、また機会を見つけて佐倉の秋祭りにも顔を出したいと思っています。

■日本橋について、1つ引っかかること。

江戸時代、日本橋は、「現金掛け値なし」の商法を始めた呉服商・三井越後屋(現在の三越)を筆頭に、日本全国の有力な商人たち(特に伊勢・近江の商人)が大店を構えた、日本一の商業地でした。こうした日本全国から来た豪商たちは、奉公人・使用人も含め、そこで働く全ての人間を地元出身者で固めて、文化も一緒に持ち込んだそうです。
そうなると、日本橋に住む人たちは、江戸時代の“集団就職”で江戸にきた人々の末裔?
とすると、お雑煮は・・・。うーん。ほんとわからないことだらけです。

と、よく考えたら、お祭りの楽しさに気をとられて、タイトルに書いてある、「お雑煮」のことをほとんど書いていない・・・。
第2回は、もうちょびっと、僕なりにお雑煮の核心に迫っていきたいと思っています(汗)。

明日は、大江戸3大祭りのひとつに名乗りを上げている、根津神社例大祭の「神幸祭」が執り行われます。
もうここまで来たら、根津神社の例大祭もみるっきゃないですね!

ついでに、20日(月)の敬老の日は、東京国立博物館が「無料」なので、開館から閉館まで、みっちり見て回ろうとたくらんでいます。もし僕を見かけたら、恐らく土器やら、屏風やらの前で固まっていると思いますが(汗)、声を掛けてくださいね!?

僕のお祭り見物道中について、もう少し見たい方は、
お江戸のお祭り2009,2010
をご覧ください。
深川八幡祭り20098月13日~15日に行われた、大江戸3大祭りのひとつ(いったい、いくつあるの?)深川八幡祭りは、旅の出発の準備(?)に追われていたため行けませんでしたが、去年の八幡祭りの写真をアルバムに入れました。

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