1月14日、道祖神祭りの日がやって来ました。
山梨県に入ると、道祖神をよく見かけます。
道祖神信仰は、日本各地に残っていますが、山梨県は特に盛んな地域です。山梨県の人たちと話をしていると、道祖神のことがよく話題にのぼります。
道祖神祭りについても行く先々で話を伺っていたので、道祖神祭りへの参加をとても楽しみにして待っていました。
「芦川村史」には、「芦川の祭りを見ることなくして、道祖神祭りを語ることはできまい」との記述があります。
いやが上にも期待は高まります。
午後1時、道祖神祭りの準備のため、道祖神場に集まります。
準備には、当番の組の各家庭から必ず1人は参加しなければいけない決まりがあります。
集まっている人のほとんどが、60歳以上の方のようです。いや、70歳以上?!僕より若い方は、1人しかいません・・・。
早速、準備開始です。
僕は、提灯を取り付けたり、山から切りだしてきた4本の木に、「正一位道祖神大神宮」と書かれた幟を取り付けて、道祖神場の四隅に立てます(四本木)。
どんど焼きで燃やす木の束を道祖神場に積み上げていきます。昔は、一家族20把だったのが、今は1把だそうです。
準備が終了した1時間後、近くの集会場で、軽い食事会がありました。
話の大半は、昔の道祖神祭りのこと。
数少ない子供たちは、高校をでると、芦川から外へ出ていきます。参加した皆さんは、まだまだ元気ですが、やはり祭りには若者のハメを外すパワーが必要です。
昔は若者が集まって活気があった道祖神祭りも、今や風前のともし火です。
ベベマラチョウとは!?
「芦川村史」に、「お小屋」の中に、「ベベマラチョウという卑猥な戯画や戯文が書かれた帳面を入れる」(要約)ことが載っています。このベベマラチョウは、「疫神の帳面」を表し、ドンドビで燃やすことによって、疫神が誰を病気にしていいかわからなくするという意味合いがあるそうです。
村の方に、このベベマラチョウのことを尋ねると、最近は「エロ本」を入れていたそうですが、ここ数年、入れてないそうです。
うーん、残念・・・!?
午後7時30分、道祖神祭りが始まりました。
消防団の方が、うず高く積まれた木々の山に火をつけます。
パチパチ火が燃え広がり、しばらくすると、火柱が勢い良くあがりました。外は氷点下5度以下ですが、火の周りは熱い熱い。近づくことができません。
小学生が「書き初め」を火の中に投げ入れます。灰が高く舞い上がると字がうまくなるという言い伝えがあります。
火が弱くなってきてから、持ち寄った繭玉団子をドンドビで焼いて、食べます。この団子を食べると、風邪を引かないそうなので、僕も食べました(今年はすでに、数回、風邪を引いて寝込んだりしてます。。!?)。
「お小屋」や、「サカバヤシ」、「酒樽」など、この日のために作った品々も火の中に放り込みました。
約1時間後、荒れ狂っていた火がしぼみ、灰の中でチリチリくすぶっています。灼熱地獄から、極寒地獄へ一気に様変わりです。
みんな、バラバラと帰路に着きました。
そしてこの後、僕は、この日知り合った「てんころりん村」の人たちと酒を飲み交わし、彼らが所有する茅葺き小屋に泊まることになりました。
簡略化が進む、道祖神祭り
現在の道祖神祭りは、戦前戦後のころの道祖神祭りと比べ、著しく簡略化されています。
現在、旧芦川村の4つの集落のうち2つでは、道祖神祭りを行っていません。
ここ上芦川でも、神輿渡御や、オヤマギ(飾り付けをした御神木)の設置、祭りの終わった晩に新婚の家に招待されることなどなど、数多くの儀式がすでに行われていません。
元々、道祖神祭りの主体は、子供・青年だったのですが、現在、子供・青年は皆無に近い状態です。
あと10年したら果たしてどうなるのだろうか・・・。と一抹の寂しさが頭をよぎります。
しかし・・・、
冬の寒さに耐え、春、新しい芽が萌えいづるように、この芦川の文化も、ここからきっと再生していく・・・
と信じています。
次回は、芦川の再生について、、
あるひとつの萌芽について書こうと思っています。







