2010/09/03

リベンジ!国立歴史民俗博物館 ~ミュージアム好きの見果てぬ夢~

8月29日に、もう一度、国立歴史民俗博物館(歴博)に行ってきました。

おとといは、予想外の疲労のため、全然見ることができずに閉館になってしまったので、リベンジマッチを挑みました。
今回は準備万端、気付け薬としてコーヒーも用意して、開館と同時に入場です。

国立の博物館・美術館はどこもそうですが、量と質が半端ありません。
東京国立博物館国立科学博物館など、何度行っても1日で全てを見切ることができません。


ここ歴博も同じく、幾層にも渡る展示の数々に圧倒されます。

特に、江戸時代までの歴史展示が秀逸です。
ここの展示物は、複製品が多いのですが、僕は本物にあまりこだわっていないので、解説パネルを読むだけではなく、レプリカでもなんでも、それに伴った展示や模型があることで、より深く頭に残るような気がします。

また、国立の施設のいいところの1つが、写真を撮っても大丈夫なところです。

多くの博物館や美術館では、撮影禁止となっているところが多いのですが、国立の博物館・美術館は、写真撮影オッケーなところが多いです。
これだけ、ごっちゃりと解説や展示物があると、1度見ただけ・読んだだけでは理解することができません。写真を撮っておけば、後で何度も確かめることができ、より理解が定着します。

パーント 宮古島島尻
沖縄のシーサー。村の守り神。
「獅子」の沖縄ヴァージョンだが、どことなく愛らしく、かわいい。

もう少し歴博の写真を見たい方は、
Webアルバム ぶらっと日本めぐり⑦ 国立歴史民俗博物館
をご覧ください。

常設展示鑑賞後、現在開催中の特別展「アジアの境界を越えて」を見ましたが、こちらは、網走の北海道立北方民族博物館と、タイのチェンラーイにある山岳民俗博物館、先日見に行った東京国立博物館の特別展「誕生!中国文明」&東洋ギャラリーの超ダイジェスト版という感じで、常設展の充実度と比べると、ちょっと物足りなく感じました。

※ただ、カタログは分厚く充実していて、展示されていなかった北方世界の衣装の写真や、詳細な解説など、とても読み応えのある内容でした。

特別展を見終わったあと、まだ少し時間があったので、かけ抜ける感じで見た、第6展示室(現代)や、第3展示室特集展示『伝統の朝顔』などをもう一度回り、午後5時の閉館と同時に外に出ました。

実はまだ心残りはありますが、何とかリベンジできたようです。
今度、旅から帰ってきたら、またじっくり来てみようと思っています。

おすすめの博物館(前回の旅より)

前回の旅では、町の郷土資料館から国立の施設まで、気になった多くのミュージアムに行ってきました。
その中で、特に興味を引いた博物館が、網走にある北海道立北方民族博物館と、大阪にある国立民族学博物館、そして、秋田県立博物館です。

北方民族博物館 イヌイトの竪穴住居ジオラマ北海道立北方民族博物館では、アイヌだけではなく、サミコリヤークなど、北方民族一般の文化等の紹介をしています。
イヌイトやサミの服装や、イヌイトの竪穴住居ジオラマなどがあり、極寒の地に住む人たちの、生きるための知恵や技術、工夫に驚きました。

民族学博物館 ゲルの外観国立民族学博物館では、世界中の各地域独自の文化や、風俗、風習の紹介をしています。
アボリジニのドリーミングについてや、トルコの水たばこ、インドの山車、韓国の茅葺き模型、モンゴルのゲル、タイやベトナムの楽器などなど。あっ、それとオーディオガイドも無料です。とにかく見どころ満載すぎで、興味が尽きません。特にビデオテークの充実度がすごいです。
ここなら1週間通い積めても、まだまだ楽しめます。

秋田県立博物館そして、秋田県立博物館です。

竪穴住居の復元模型などがある「秋田の歴史」や、マンモスの骨格標本模型や、植物、昆虫、動物、鉱石の標本などがある「自然展示」など、とても充実した展示になっています。

特に、僕の興味を引いたのは、「菅江真澄資料センター」です。
菅江真澄は、江戸時代の人で、東北や蝦夷地(北海道)を歩き回って、その土地土地の習俗について、スケッチしたり、書き残したりした人です。この人を知って、「記録に残すってことは大切なことなんだ。」と深く感銘を受けました。

もしみなさんも、行く機会があったら、これらの博物館を訪れてください。きっと大興奮することうけ合いです!?

■三重県立博物館への、大いなる期待!

現在、三重県では、平成26年の新県立博物館開館に向けて、議論が重ねられています。

三重県の新県立博物館整備について


前回の旅で、最も長く滞在していたのが、三重県です。

西に大阪、東に名古屋という大都市圏に挟まれている三重県には、西の文化と東の文化の両方が存在しています。それを象徴するように、お雑煮に入れるお餅を丸餅と角餅に分ける境界線が、布地山地に沿って、三重県を東西に切り裂くように走っています。

また、三重県には、特色ある「山の文化」や「海の文化」があり、伊勢神宮や熊野の「信仰の文化」も存在しています。
それぞれの文化の影響を受け、お雑煮も県全体で統一感がなく、バラエティーに富んでいます。

悪く言えば、混沌としてまとまりがありませんが、よく言えば、これほど多様性のある県もないのではないかと思います。
そんな三重県の博物館。期待しない方が無理というか、期待は高まる一方です。

それともう一つ、僕が密かに期待しているのは、「入場料の無料化」です。

ここ数年、「全国学力テストで、毎回、秋田県が上位に来るのはなぜ?」と話題になっています。
先ほど、僕がとりあげた秋田県立博物館の常設展は、入場料無料です。
僕は、このことも、その答えのひとつなのではないかと思っています。
広く市民に利用してもらうために、秋田県は公立の施設はなるべく無料化しようという方針だそうです。そして、それを受け入れる秋田県民の県民性が、学ぶ力を高めているのではないかと考えています。

元々、三重県立博物館の入場料は40円だったようですが、クリス・アンダーソン『フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』に挙げられているダン・アリエリーの実験(ハーシーズのチョコの値段を「1粒1セント(1円)」から「無料」にした途端、爆発的に選択されるようになったという実験。) のように、40円と「無料」の効果は全く違います。

入場料の無料化は、より多くの人々が県立博物館に訪れる動機となり、その志が、人々の三重県を愛する心を高め、人々を三重県に引きつけることに、大いに貢献すると思います。

秋田県立博物館の他にも、宮崎県総合博物館鹿児島県立博物館など、常設展無料の県立博物館はございますが、これに続くよう、三重県の英断を陰ながら期待しています。

ぐるっとパス

今年の冬、「ぐるっとパス」というチケットを買って、都内の博物館や美術館、動物園などをうろつき回っていました。

このチケットは、定価2000円で、最初に使った日から2ヶ月間、都内70カ所の施設に行くことができます(森美術館等、割引のところもあり。)。

毎日のように、どこかの美術館にせっせと通って、追加料金なしで、行けるところはほぼ制覇しましたが、東京にこんなにも多くの、見応えのある美術館や博物館があるのには、心底驚きました。

東京は、芸術作品の量や質に関して、十分、海外の都市に匹敵しているのに、多くの施設に分散しているためにその真の力が発揮できていないのではないか?と思いました。

日本を代表する、世界に誇れるミュージアムは、どこでしょうか?

浅学者のただの思いつき・戯言というか、あるいは、多くの人が考えていることかもしれませんが、例えば、上野公園にある各国立博物館を統合し、東京国立博物館は「日本・東洋部門」、国立西洋美術館は「西洋美術部門」、国立科学博物館は「科学部門」などとして、「東京大博物館」を新しく生み出すというのはどうでしょうか?

「イギリスは、大英博物館。」、「フランスは、ルーブル美術館。」、「アメリカは、メトロポリタン美術館。」というように、「日本は、東京大博物館。」といえるような、芸術に興味のない人でも知っている「世界規模のメガ博物館」を作りだすのは、絶対ワクワクすることだと思います。

なぜなら、そういうものができたら真っ先に僕が行ってみたいですし、そんな日本に誇りを持てると思うからです。
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2010/07/16

三重・奈良・大阪のお雑煮で気になったところ 第3回

大学生の時に履修していた選択科目の「民俗学」の教科書(『民俗学を学ぶ人のために』)には、環境の違いを基準とする分類として、

  1. 山の世界
  2. 海の世界
  3. 里の世界
  4. 都市の世界
の4つを挙げています。

本の中では、環境や生業の違いによって、風習や文化、生活様式などが異なることが、具体例を挙げて説明されています(今回、初めて読みました(汗))。
この違いは、お雑煮にも顕著に現れます。

今回の舞台は、「伊勢志摩」です。
伊勢志摩と言えば、「伊勢神宮」、そして、「海」です。

これまでは、どちらかと言えば、「山」がちなところのお雑煮を取り上げてきましたが、今回は、「伊勢神宮」と「海」にまつわるお雑煮を取り上げます。

6.三重県伊勢市の宮川を境に丸餅に。



より大きな地図で お雑煮マップ 1(三重・奈良・大阪) を表示

江戸時代、伊勢と田丸の間を流れる宮川には、橋が架かっていませんでした。伊勢に行く人たちは、川の中を歩いて、または、かごに乗ったり、人に担いでもらったりして、川を渡ったそうです。
宮川を西に渡ると、そこは、伊勢神宮の神領地です。江戸時代は幕府直轄の天領であり、そこに住む神領民は伊勢神宮の行事に参加することで税(年貢)を免除された、特別な場所でした。

この天領地に入ると、お雑煮に入れるお餅が、角餅から丸餅に変わります。
第1回で取り上げた通り、布地山地から東は角餅の領域なんですが、ここ伊勢志摩は、例外的に丸餅の領域なのです。このことは加太で借りた「三重 味の風土記」にも記載されていますが、宮川を越えていきなり、「お雑煮の中に、丸餅を入れる。」と聞いたときは、感激しました。
しかし、現在は丸餅一色ではなく、僕のお雑煮調査では、角餅と丸餅が半々ぐらいに分かれました。ただ、宮川から西の人は、ほとんどの人が角餅だったので、その違いが際立ちます。

この違いは、宮川の上流のどこまで続くのだろうか?

と疑問に思ったので、上流の方に遠征に行きました。現在の伊勢市の県境まで行って確かめましたが、県境の辺りは、ほとんどの人が角餅を使用し、結局、丸餅の領域は、上記の地図の中、大ざっぱに引いた、紫の線の東側あたりになりました。
現在の伊勢市の領域から考えると、とても限定された領域です。
なぜこんなに狭いのか?と、疑問に思い、いろいろ調べていたら、1つの事実が浮かび上がりました。
それは、江戸時代の神領地の範囲と丸餅の範囲が重なるということです。
鏡餅に見られるように、丸は四角に比べ、「神聖」だと考えられているため、神領地の治世者が丸餅を選んだのでしょうか?

伊勢国絵図で、神領地を確かめる方法
歴史街道GISのページへ行き、「コンテンツのご紹介」にある「古地図から見る」をクリック。
そこで表示される古地図を拡大すると、伊勢市市街の部分にある楕円形が、オレンジ色に塗られているのが分かる(宮川上流の「大倉」(現在の伊勢市大倉町)は、白色。)
オレンジ色のところが神領地だと思われるので、丸餅の範囲と一致する。

お店を覗けば、文化が分かる。

新しい土地に入ると、スーパーの中をグルグル歩き回って、並んでいる商品を眺めています。
今は、日本全国どこでも、同じ商品が並んでいます。しかし、注意して見ると、その土地土地に固有の商品も陳列されていることに気がつきます。

お雑煮に関しても、その土地で良く使う具材が、年末、お店で売り出されます。
僕の故郷の愛知県や、三重県では(岐阜県も?)、年末になると、小松菜に似た「餅菜(正月菜)」という菜っ葉が店頭に並びます。これは、この地方に住む人々が、お雑煮に「餅菜」を入れることが多いからです。

同じように、奈良や大阪では、年末、「雑煮大根」という大根が店頭に並ぶという話をよく聞きました。この雑煮大根は、普通の大根よりも細い大根です。なぜ細い大根が必要なのかというと、この地域では、お雑煮の具である大根や、人参、里芋などを、丸い形のまま入れる人が多いので、太い大根だとお雑煮のお椀がいっぱいになってしまうからです。
※「金時人参」を使うのも、同じ理由?

伊勢のスーパーに売っていた丸餅のパックお餅に関しても、東京や愛知県では、丸餅のパックはほとんど見かけませんが、伊勢のスーパーでは、角餅のパックと丸餅のパックが仲良く、店頭に並んでいました。


7.浦村のアンカケ、石鏡のぜんざい、国崎のアンノリ、神島のカンノモチ



より大きな地図で お雑煮マップ 1(三重・奈良・大阪) を表示

海に生きる人々は、厳しい自然に対峙するため、そして、自然状況に大きく左右される漁という生業のため、共同体(村)の固い結束を保つことが不可欠です。また、漁場争い等を避けるため、近隣の村とは、漁場を厳しく取り決めたりしていたそうです。
鳥羽市に点在する小さな漁村や島を回ってお雑煮を聞いたとき、それほど離れていない村ごとに、村独自のお雑煮があるのには、ビックリしました。

■各町・島の特徴あるお雑煮について

浦村町(四角に囲ってあるところ)
浦村町では、特産物のカキを入れたしょうゆ味のお雑煮の人もいましたが、少し茹でて柔らかくしたお餅にあんこを載せて食べる「アンカケ」と呼ぶものがあります。 おばあさん曰く、昔はお雑煮は作らずに、3が日、アンカケだけを食べていたそうです。

石鏡町(ひし形に囲ってあるところ)
小豆汁の中で丸餅を煮る、ぜんざいを食べます。上から砂糖をかけます(昔は黒砂糖という人も)。かつては3が日、ぜんざいだったようです。

国崎町(三角に囲ってあるところ)
小豆汁の中に焼いた丸餅を入れる、ぜんざいを食べます。石鏡町は餅を煮ますが、ここは焼き餅。こしあんで作るものを「アンノリ」と呼ぶ人も2名いました。

相差町や畔蛸町など(地図下部にある紫線の下)
丸餅を煮る、しょうゆ味のお雑煮。国崎町とは数㎞しか離れていないのに、ぜんざいをお雑煮の代わりに食べるという人は一人もいませんでした。 本当に不思議です。このしょうゆ味のお雑煮は、志摩地方で最も良く聞いたお雑煮。ここ相差町は鳥羽市ですが、文化的には志摩市に含まれていると考えていいのでしょうか?

神島(地図右上部の紫線で囲った隅にある島)
三重のお雑煮についての文献を調べると、頻繁に登場するのが「神島のカンノモチ」。それを確かめるため、フェリーに乗って、伊勢湾口の真ん中にぽつんと浮かぶ「神島」に行ってきました。 到着後、2人目に聞いたおばあさんが、「カンノモチ」のことを話し始めました。「カンノモチ」とは、ぜんざいのこと(「三重 味の風土記」には、老人が「ゼンザイじゃない、カンノモチじゃ」と叱った話が紹介されています)。元旦の、日の出前から始まる伝統行事「ゲーター祭」を戦に見立てて、「腹が減っては戦はできぬ。」と、カンノモチを腹の中にかき込んで出陣(?)していくそうです。

菅島(逆三角形で囲ってある島)
菅島では、「カンノモチ」と呼ぶ人は1人もいませんでしが、ここでも、「ぜんざい」を食べます。ただ、「ぜんざい」のみの人はいなくて、元旦だけ「ぜんざい」で、2日、3日はしょうゆ味のお雑煮を食べる人が多かったです。

三重県では、一年中「注連飾り」を飾る!?

三重県では、伊勢志摩を中心に、1年中「注連飾り」を飾っている家をよく見かけます。これは、蘇民将来の伝説にあやかった、この地方独特の風習です(歴史の情報蔵:今にいきづく呪符「蘇民将来子孫」)。

注連縄を作っているところ関宿の街道に並ぶ町家に飾られていた「笑門」の注連飾り神島の「大漁満足」の注連飾り七五三飾り
左上:注連飾りを手作業で作っているところ。宮川の上流は、伊勢風の注連飾りの一大産地。全国から注文が来るらしい。
右上:三重県で最もよく見かける「笑門」の注連飾り。蘇民将来之家門→将門→笑門。笑う門には福来たる。伊勢から遠く離れた、東海道の関宿でも多くの家が注連飾りを飾っていた。
左下:神島の漁業組合の建物に飾ってあった「大漁満足」の注連飾り。
右下:神島や、石鏡町、国崎町などの漁村でよく見かけた七五三飾り(しめかざり)。これは5束だが、7束のものも。

8.志摩のアンピン



より大きな地図で お雑煮マップ 1(三重・奈良・大阪) を表示

ここ志摩の鵜方には(上記の地図の南側)、「アンピン」と呼ぶお餅があると、「三重 味の風土記」に記載されていました。今も残っているのかと、鵜方にやってくると、やっぱり残っていました。

この「アンピン」は、先ほど取り上げた浦村の「アンカケ」と同じものです。
ゆでて柔らかくしたお餅に、あんこをかけたものです。僕が聞いた人の中に、お雑煮は食べずに「アンピン」だけという人はいませんでしたが、昔は「アンピン」だけだったという人が何人かいました。

おじいさんが、子どもの時に「アンピン」を食べるのを心待ちにしていたことを話してくれたことが思い浮かびます。お年を召した方ほど、お餅やお雑煮について熱く語ってくれる気がします。
お年寄りの方にお餅が好きな人が多いのは、「味は記憶に宿る」からだと思います。
お餅がとても貴重だった時代、それを食べるのを心待ちにしていた記憶が、その味を心に刻みこみます。

海と「あんこ」には深い関係がありそうです。

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これで、僕が前回の「お雑煮をめぐる冒険」で気になったことを書くのは、おしまいにします。

他にも、「三重県一身田寺内町や、城下町のしょうゆ味のお雑煮」や、「大阪の都心に伝わる、元旦しょうゆ、2日みそのお雑煮」、「鳥羽の角餅」などなど気になるお雑煮はありますが、実数が少ないのもあり、今のところ、頭の片隅に留めておくだけにします。

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2010/06/21

三重・奈良・大阪のお雑煮で気になったところ 第2回

ちょっと、堅苦しい話になってしまいました・・・(いつもか!?)。

3.奈良県五條市は、紀州(和歌山)の文化圏?



より大きな地図で お雑煮マップ 1(三重・奈良・大阪) を表示

第1回でも触れましたが、奈良県独特のお雑煮は、「きな粉雑煮」で、丸餅を焼く人が多いです。奈良盆地南部の橿原市や、桜井市、明日香村では、「きな粉」の他に、「あんこ」もつけたりすると言う人も少なからずいました。

しかし、芦原峠の下を突っ切る芦原トンネルを抜けて吉野地方に入ると、ちょっと「お雑煮」が変わります。きな粉をつける人が、半分以下に減ったのです。
それから東に向かい、市境(右上にある薄紫の線より左が、五條市。)を越え五條市に入ると、さらに、また「お雑煮」が変わりました。
きな粉をつける人がほとんどいないだけではなく、お餅を焼かないで煮る人が多くなったのです。
それまで奈良県で聞いたお雑煮は、きな粉や具に関係なく、お餅を焼いている人が多かったので、焼かない人が多いのは驚きです。五條市で泊めていただいた2軒の御宅も、きな粉をつけず、お餅を焼いていませんでした。

出会った地元の人にその疑問をぶつけたりしていると、2つの答え(仮説)が浮かび上がってきました。

五條の天領まず、1つめのキーワードは、「天領」です。
五條は江戸時代、幕府直轄の天領地でした。
お雑煮の成り立ちに藩の影響は無視できません。
江戸時代、庶民にまでお雑煮の習慣が広まったのは、「参勤交代でお雑煮文化を知った大名が、お雑煮を自国に広めた。」という説があるからです。
五條は天領地のため、奈良の他の地域で主流の「きな粉雑煮」が伝わらなかったと考えることができます。

五條市:吉野川を望む2つ目のキーワードは、「川の流通力」です。
明治になるまで、流通の主役は、舟運でした。五條市を流れる吉野川は、隣の和歌山県に入ると、紀ノ川と呼び名を変えます。この吉野川(紀ノ川)を通じて、吉野杉などの物資や、情報が行き交っていました。
吉野川沿いは、下流の大都市である和歌山の文化・風習の影響を受けていると考えても不思議はありません(文献等によると、和歌山県の雑煮は、お餅を煮るそうです。)。

雑煮以外でも、五條市は和歌山県の影響が強く、食文化や風習が、紀州(和歌山)に似ていることが多いそうです。
五條も和歌山も、餅米とうるち米を混ぜて作るお餅を「ぼろ餅」と呼び、結婚等のお祝い事の時などに「餅まき」をする風習も共通しているということです。

東吉野村のニホンオオカミ像吉野地方で、きな粉をつける人が比較的少なくなるのも、吉野川の舟運の影響を受けているような気がします。
吉野川から離れ、山の中に続く東吉野村では、ほとんどの人が「きなこ」をつけていました。

吉野建て ー吉野地方独特の建築様式ー

前回の旅では、吉野地方で、たくさんの人に、ご飯をごちそうになったり、泊めていただいたりしました。
吉野地方は、大海人皇子、源義経、後醍醐天皇など、古来から敗者をかくまった地として有名です。僕みたいな「世捨て人」を暖かく包んでくれる空気を感じ、とても大好きな場所の1つになりました。

山の峰に沿って続く吉野の町並みその吉野地方には、「吉野建て」という独特な建築様式があります。
入口である1階から階段を下りた階に、居間や、台所、お風呂などの生活空間があるのです。平地が少ない山の中で、傾斜を利用できるように発達した建築様式だそうです。

吉野山にある金峯山寺の近くで泊めていただいた御宅は、まさに典型的な「吉野建て」でした。また、五條市や大淀町の家にも、下の階にお風呂があったりする「吉野建て」形式の家がありました。



4.三重県名張市も「きなこ雑煮」



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きな粉雑煮国道165号線を通って、奈良県の宇陀市から三重県の名張市に抜けました。
三重県に入る手前の集落で「きな粉雑煮」のことを確かめてから、県境(左下の薄紫の線)を越えました。

家並みが途切れ、森の中を走り、しばらくすると、名張市の集落に到着。
ちょうど家の外にいた方に早速尋ねました。きな粉をつけるそうです。
「きな粉雑煮」は、奈良県独特のお雑煮だと考えていたので、おやっ!?と思い、近くの家を数軒訪問して確かめましたが、ほとんど「きな粉」をつけていました。名張の市街に入っても、きな粉をつける人だらけです。どうやら、名張市も「きな粉雑煮」の地域のようです。

理由のひとつとして、名張市は東大寺の荘園だったため、奈良の文化が流入したのではないかという説を挙げている人がいました。
荘園だったのは、江戸時代よりはるか昔の話ですが、現在でも、東大寺のお水取りで使う木材は、この地方のものが使われているということですし、確かに関係があるかもしません。


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江戸時代、名張市は、伊賀市と同じ「伊賀国」でした(藩は、別だったようです。)。
以前、伊賀市で聞いたときは、「きな粉」をつけるというのはほとんど聞かなかったので、どこまで「きな粉」をつけるのか興味を持った僕は、2度通過した伊賀市に、再々度、遠征することにしました。

名張市の西、名張市と伊賀市を区切る小高い丘の上の市境(真ん中下にある薄紫の線)を越えて伊賀市に入ると、「きな粉」をつけなくなり、押丸餅のことを「花びら(※)」と呼んでいました。
結局、伊賀市内全域では、約3割ぐらいの人が「きな粉」をつけていました。微妙ですが、「きな粉雑煮」は、名張と伊賀上野の間にも薄く広がっているようです。

※「花びら」は伊賀市特有の呼び方。「花びら」の呼称を使った人で「きな粉」をつけている人はいなかった。



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名張川に沿って延びる太郎生マップ上の線で囲った右側(東側)は三重県津市美杉町太郎生(たろう)で、北は名張市、西と南は奈良県になります。
この境界を見るとわかるように、ここは、県境・市境が、複雑に入り組んでいます。

太郎生に入ると、「きなこ雑煮」を作っている方は、ほぼいなくなりました(南端にある奈良の県境直前の家のみ)。
ここ太郎生は、数年前に分村合併問題がありました。美杉村に属していましたが、名張川に沿って集落が延びる太郎生は、名張との結びつきが強いため、名張市との合併が模索されたのです。

しかし、最終的に、名張市とではなく津市と合併し、津市美杉町に残ることになりました。

なぜ太郎生(美杉村)の住民は、津市美杉町に残る選択をしたのか?

それはここ太郎生が江戸時代、伊勢藩に所属していたからです(このことは、malmondoさんのブログ参照。)
僕のお雑煮調査から、太郎生には、太郎生の北・西・南に存在する「きな粉雑煮」が伝わっていない可能性があります(調査人数があまりにも少なすぎますが・・・。)。これは、伊勢藩に属していたためだからではないかと空想は膨らみます。

5.お雑煮+大福茶?



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お雑煮マップ 1(三重・奈良・大阪)
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お雑煮マップ 1(三重・奈良・大阪)
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先日、友人とお雑煮のことを話していたとき、友人が僕のマップ上にある2つの「大福」に気づきました。

左側のマップの中心にあるのは、伊賀市の長野峠近くで聞いたお雑煮で、焼餅と梅干しを入れたお椀に“大福茶”を注ぐそうです(元旦のみ)。

雑煮を食べ終わったお椀に、梅干と砂糖と番茶を注ぐ。※「大福」と呼ぶ。右側のマップの中心にあるのは、去年のお正月に名張市で僕がいただいたお雑煮です。旅の途中知り合った方の家に、去年の年末年始、泊めさせていただきました。しきたりを厳格に伝承している家で、補足に書いてあるように、お雑煮(きな粉雑煮)を食べ終わった後のお椀に、梅干しと砂糖を入れ、番茶を注ぎます。
その家では、それを「大福」と呼んでいます。

一方、京都を中心とした関西圏には、正月に飲む縁起茶として「大福茶」というお茶が伝わっています。
梅干しを入れることといい、この2つの雑煮と、「大福茶」は関係がありそうです。

ここ伊賀地方は三重県ですが、お雑煮に入れる餅が丸餅だったり、関西ローカル局の電波の方が受信しやすかったり、東海地方より近畿地方と関係が深いところです。京都の文化である「大福茶」が、この地で変容し、お雑煮と融合したと十分に考えられると思います。日本の文化の中心であった京都の文化が、山奥にまで広がっていた一例としても興味があります。

第3回に続く。。
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2010/06/18

三重・奈良・大阪のお雑煮で気になったところ 第1回

前回のお雑煮調査で、僕が気になったポイントについて書きます。
細かく見れば、気になる点は山のようにあるのですが、それを一つ一つ書いていると出発できなさそうなので(汗)、特に気になったポイントを、今回2点、次回3点、次々回3点の合計8点、紹介します。
「お雑煮マップ」の該当箇所をクローズアップして載せ、その下に解説文を書いています。

1.丸餅と角餅の境

こちらの日本列島雑煮文化圏図を見ると、布引山地に沿って三重県を分断するように、丸餅と角餅の境界が走っています。
三重県内に走るこの境界を、3ヶ所にわたって通り抜けました。



より大きな地図で お雑煮マップ 1(三重・奈良・大阪) を表示

最初に横断したのは、伊賀市から亀山市に行くときです。

お雑煮のことを聞き始めて2日目にここを通りました。この時はまだ、お雑煮調査に熱をあげていないので、多くの人に聞いていません。

大和街道の案内板伊賀市と亀山市の間を通る大和街道(現在の国道25号線)を通っていきました。布引山地を横断しますが、標高はそれほど高くありません。紫の線は、標高が最も高い伊賀市と亀山市の市境に引いたものです。

亀山市に入る手前の家の夫婦に尋ねたときは丸餅でした。
森と採石工場に挟まれて延びる、荒れた道を通り抜け、山と森に囲まれて細長く広がる亀山市の加太の集落に到着。家の庭の手入れをしていたおばあさんに尋ねると、角餅に変わっていました。

おばあさんの短歌他そのおばあさんに誘われ、お茶をいただきながら、このおばあさんが詠んだ和歌などを見せてもらったり、戦争の話など、いろいろな話をしました。
また彼女は、郷土の料理についても造詣が深く、彼女も関わった「三重 味の風土記」という本を貸してくれました。この本にはなんと、「雑煮」の項目があり、三重県内の各地域のお雑煮について説明が載っています。三重県は、東西の文化がぶつかる境界に位置しているため、地域ごとに様々なお雑煮が伝わっています。
「こんな人にいきなり出会えるなんて、これは運命なのか!?」と、お雑煮にハマり込むきっかけになりました。


より大きな地図で お雑煮マップ 1(三重・奈良・大阪) を表示

海岸線を辿って紀伊半島をぐるっと回る予定でしたが、大阪市立自然史博物館で開催されていた「ようこそ恐竜ラボへ!」展を鑑賞するために、トンボ返りすればいいやと、津市から一路大阪へ行くことに(実は、僕、恐竜大好き人間なんです。)。

その時、津市から長野峠を越えて伊賀市に行くルートを通りました。
中央の紫の線がひいてあるところが、長野峠です。東側は角餅、西側は丸餅ときれいに分かれました。

東側から西側に峠を越え、初めての集落に到着すると、本当に餅の形が丸餅に変わるのか確かめるため、この旅初めて、「すいませーん。」と家の中にいる人に呼びかけました。
その時顔を出してくれたおばあさんは、こころよくお雑煮のことを教えてくれました。
期待通りの“丸餅”。そのときの感激は、今でも思い出すことができます。


より大きな地図で お雑煮マップ 1(三重・奈良・大阪) を表示

大阪に向けて出発してから3ヶ月後、やっと津市に戻ってきました。

この時通った道は、雲出川に沿って延びる、なだらかな道です。
川に沿って途切れることなく人々が住んでいるからか、角餅と丸餅の境界はあいまいです。

奥津宿の町屋建築奈良側から坂道を下り、丸餅から角餅へ、がっつりと変わったのが、伊勢本街道の奥津宿からです(お雑煮番号655~)。
奥津では、まだ丸餅の人もいましたが、奥津からすぐ東の飼坂峠を越えて上多気に入ると、完全に角餅に変わっていました(お雑煮番号670~677)。

雲出川沿いを走る名松線また飼坂峠を越えて奥津に戻り、雲出川に沿って津に向かいました。雲出川沿いは、しばらく角餅と丸餅が混在します。八知の集落(お雑煮番号680~700)を過ぎるとほとんど角餅に変わるので、八知の集落がちょうど境目になるような気がしますが、スパッとした区切れ目はないのではないかと思います。

2.大阪(河内国)と奈良(大和国)の境

行きと帰りの2回、異なるルートを通り抜けました。


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大阪と奈良は、山地(生駒山地・金剛山地)によって分断されています。
その間を流れる大和川に沿って延びる、国道25号線を通って、奈良の王寺から大阪の柏原に入りました。

奈良県は、味噌汁に入れた餅を取り出して、きな粉につけて食べる「きな粉雑煮」の人が多くいます。僕の調査では、7割ぐらいの人が、きな粉をつけていました(柳生など、山里の人たちは、より多くの人がきなこをつけています。)。

奈良と大阪のお雑煮の違いとして、きな粉の他に、餅を焼くか煮るかがあります。奈良の人たちは、きな粉をつけるつけないに関係なく、多くの人が餅を焼いていましたが、大阪の人は煮る人が多いです(ほとんどの人が「煮る」ではなく「炊く」と言う。)。

大阪側に入ると、きな粉をつける人は皆無になりましたが(奈良出身者は除く)、煮・焼に関しては、くっきりと分かれていません。王寺・柏原は、大阪のベッドダウンとして有名なので、色々な地方の人が集まってきているのかもしれません。大阪側に、小豆汁(ぜんざい)をお雑煮として食べるという人が2人いたのが、ちょっと気になっています。


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大阪の太子町から、金剛山地を横断する竹内峠を越えて、奈良の葛城市へ行きました。

大葛城市に入った集落に建つ、茅葺き屋根の大和棟太子町では、僕が聞いた全ての人が、丸餅・煮・白みそのお雑煮でした。竹内峠を越えて、奈良側に行くと、焼餅一色になり、きな粉をつける人もちらほら現れました。

丸餅と角餅の境となった長野峠もそうですが、峠等の自然の障害があると、文化の違いも鮮明になります。

To be continued...
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