厨房から出てきたおじいさんは、僕の前のソファーに座り、語り始めました。
「元旦は、うどんを食べる。お雑煮は食べない。」
あっ!うどんだ!
「なんで、うどんなんだろうなぁ?うちだけじゃないか?」
と、シェフが言います。
僕は、興奮しながら、言葉を繋ぎます。
「山梨県の郷土史を調べると、ところどころに“うどん"のことが書いてあるんです。だから、ことぶきさんだけじゃないと思います。あー、でも、うどんのことを初めて聞くことができましたっ!」
しかし、うどんについては、僕が調べた範囲では、富士五湖地域ではなく、山梨市や、北杜市(旧須玉町)、甲府市、甲州市など、山梨県北側の山付き地帯の郷土史に載っていたので、ここ富士五湖地域でうどんのことを聞くのは、予想外でした。
正に、真性の「餅なし正月」。とうとう聞くことができました。
元旦は、豆腐とチクワが入ったうどんを食べ、2日以降に、餅を入れるみそ味のお雑煮を食べるということです。
他にもいろいろとしきたりについて聞いた後、興奮覚めやらぬまま、「ファミリーレストラン ことぶき」を後にしました。
後日、「ファミリーレストラン ことぶき」のある精進湖集落の方たちが樹海を切り開いて作った「精進湖民宿村」集落や、本栖湖集落に行き、お雑煮のことを尋ね回りました。すると、多くの方たちが、元旦や3が日のうどんについて話してくれました。
「元旦は早く起きるものだ。」
とおばあさんに言われ、元旦の早朝にうどんを打ち、「細く長くいられるように。」とか「末永く。」という願をかけて、うどんを食べた思い出・・・。
また、本栖湖集落では、「湯うどん」と呼び、お湯の中に浮かべたうどんを、しょうゆ味やみそ味の具入りのつゆにつけて食べたそうです。
お雑煮を食べていなかった家も、ちらほら。
このように、旧上九一色村(現河口湖町)には、正月にうどんを食べる風習があるようです。
しかし、うどんのことを話してくれた16軒のうち、昔どおりに、うどんを食べているのは、ことぶきさん以外に2軒のみ。うどんのことを話してくれた多くのお年寄りの方は、遠い昔話を語るようでした。
餅を神聖視するのは、稲を生活の中心に置いている米文化の人々です。
うどんは、小麦の文化。
ここ富士五湖では、寒冷地のため、かつては稲の栽培はできませんでした。主食は、小麦を使ったほうとう。ほうとうの3倍の小麦を使ううどんは、ハレの日のごちそうでした。つまり、米文化の餅に相当するものです。
ここ富士五湖だけではなく、山梨県全域にわたって、小麦は、食の中心でした。
「元旦はお雑煮だって、テレビで言ってるから、うどんは2日に回した。」
「うどんを打つのはめんどくさいから、20年ぐらい前にやめた。」
「うどんを食べるのは、しきたりとか習慣だったけど、もう50年も60年も前の話・・・。昔のことは忘れちゃった。」
かつての山梨県を支えていた小麦文化。
日本の文化とされる稲を中心とした文化とは違う文化が、ここには確かにあります。しかし、現在は、他の地域と同様の米文化、つまり、お雑煮文化に染まりつつあります。
こういう調査をしているものとして、一抹の寂しさを感じてなりません。
しかし、文化は変容するもの。
時代とともに、古い文化は滅び、新しい文化が花開きます。
いつか、
「お雑煮? ・・・あぁ、子供の頃、食べてたなぁ・・・。」
という日が来るように。
「精進湖民宿村」
より大きな地図で
お雑煮マップ 2(関東甲信)
を表示