2011/09/25

「ビッグパレットふくしま」でボランティア 第2回 ~炊き出し、コンサート、寄せ書きなど。広がる支援の輪~

お雑煮プロジェクトを始めてから、いろいろと忙しくなってきました。このブログの更新が、より遅れていく。。もっと、さくっと書いた方がいいのかなぁ・・・。

■炊き出し

ビッグパレットふくしまには、外国からの団体、慈善団体、レストラン、有志が集まった団体などなど、ほんとびっくりするくらい様々な方々が、炊き出しに来ていました。
皆さんに共通していたことは、和気あいあいと楽しく、活き活きとしていたことです。

「ボランティアの方もどうぞー!」

と、笑顔で声をかけられ、僕も炊き出しをいただきました。
どれもみな、おいしかったです!!

炊き出しに来た「ISLAMIC CIRCLE OF JAPAN」の車
「ISLAMIC CIRCLE OF JAPAN」の人たちが作った、ナンとチキンカレー、サラダ。
僕が初めていただいた炊き出しです。

日本イタリア料理協会の炊き出し
「日本イタリア料理協会」の炊き出し。
ミートソースのペンネをいただきました。

リストランテ・ヒロの炊き出し
リストランテ・ヒロさんが1日だけの郡山店をオープンしました。

ベトナムのフォーとココナッツ味のお餅、たこやき
ベトナムの方々が、フォーやココナッツ味のお餅、たこ焼きなどを炊き出ししてくれました。日本語が片言の方や、全く日本語が話せない方もいました。感謝、感謝です。

まだまだ他にも、和食、中華、うどん、たこ焼き、フルーツ盛り合わせなどなど、バラエティーに富んだ炊き出しが並んでいました。

被災者の方には、朝食、昼食、夕食の3食が提供されますが、昼食や夕食の前に炊き出しがあると、1日5食になることも・・・。
物資を受け取りに来る方が、

「ここに来て、1ランク、サイズがでかくなった・・・。」

と話していました(苦笑)。

■コンサートなどの催し

コンサートなども、数多く催されていました。
ボランティアの合間の休憩時間に、これらの演奏を聞きに行き、癒されていました。

フェニックスハーモニックオーケストラ
神戸から来たフェニックスハーモニックオーケストラの人たち。
阪神淡路大震災の時、多くの方に応援していただいたので、今回は自分たちの番だと、演奏しにきたそうです。

郡山の中学校の合唱部コンサート
地元郡山の中学校の合唱部が、「ありがとう」や「上を向いて歩こう」などを、一生懸命、歌っていました。

郡山少年少女合唱団
歌手のRyncoさんと郡山少年少女合唱団の皆さんのコンサート。
屋外展示場でのコンサートでしたが、突然の大雨に見舞われて、急遽、屋内ステージへ。透き通ったこどもたちの声は、心に響きました。

■応援の寄せ書きなど

ビッグパレットには、日本中、いや、世界中から、たくさんの応援メッセージが寄せられていました。

ブラジルからの寄せ書き
ブラジルからの寄せ書き。
ポルトガル語で書かれていて、さっぱり読むことはできませんが、気持ちは伝わってきました。

がんばろう富岡 国旗を使った寄せ書き
友好都市の杉戸町からの応援寄せ書き。
本当に「心がひとつ」になれたら素敵ですね。

福島大好き 福島のみんな大好きの寄せ書き
この寄せ書きは、僕のお気に入りでした。

福島大好き 福島のみんな大好きの寄せ書きのズームアップ
寄せ書き、ズームアップ。
元気だったときを思い出して、また立ち上がろう!

ビッグパレットは閉鎖しましたが、被災者の苦しみは、まだまだ続きます。
これらの寄せ書きが、今でもどこかで被災者を励ましているといいなぁ。

2011/09/02

「ビッグパレットふくしま」でボランティア 第1回 ~初めてのボランティア仲間~

前回の更新から、1か月以上が経ちました。
僕のブログ更新は、BBモバイルポイントを利用してマクドナルドで行っているのですが、南相馬のマクドナルドは、営業停止中・・・。
現在、南相馬を出て仙台で、体制立て直し中です。

福島第1原発事故後、福島県最大の避難所となった郡山市の展示施設「ビッグパレットふくしま」でのボランティアについてです。

6月25日(土)、大雨の中、パンク修理・タイヤ交換などに追い込まれながら(汗)、郡山へ到着しました。

週があけた月曜日、東日本大震災被災地のボランティア情報を収集するため、郡山のボランティアセンター(ボラセン)に行きました。
ボラセンで話を伺うと、ビッグパレットでもボランティアの募集をしているというので、その日の午後、ビッグパレットへ。

ビッグパレットふくしま
ビッグパレットには、原発20km圏内にある富岡町や川内村の方たちが避難しています。僕が行ったときには、まだ800人近い方が避難生活を送っていました。
富岡町と川内村の災害対策本部が置かれていたり、自衛隊が駐屯して風呂(練馬の湯)を作っていたり、救急車が停まっていたりと、はじめは物々しさを感じました。

ビッグパレットふくしま おだがいさまセンタービッグパレットには、川内村と富岡町の社会福祉協議会がビッグパレット内に作った「おだがいさまセンター」という避難所ボラセンがあります。
到着後早速手続きをして、すぐに「物資」のボランティアをすることになりました。

「物資」のボランティアでは、ビックパレットふくしまAホールで支援物資の整理や、被災者へ支援物資を配布するお手伝いなどをします。

ビッグパレットふくしま 物資ホール

支援物資は、石鹸、マスク、タオルなどの日用品、全国各地から送っていただいた古着、カップラーメンなどの食品、水などがメインとなり、他にも、多くの備品があります。
ここは福島県最大の避難所なので、大量の支援物資が集まり、段ボールが山積みになっています。毎日、何かしらの物資が届き、ひっきりなしに被災者の方が物資をいただきに来ていました。

物資ホール 「ガンバッペぇ~元気が1番 双葉郡」
壁には、「ガンバッペぇ~元気が1番 双葉郡」の大きな横断幕が掲げてあります。

物資コーナーに着くと、ちょうど目の前にいたボランティアの方が、物資コーナーですることを教えてくれました。

説明を受けた後、僕が東京から来た事を話すと、彼(古川さん)も東京から来たと言って、話が弾みます。
古川さんは、この避難所で1カ月近くボランティアをしているということです。物資コーナーに関すること以外にも、ビッグパレットふくしまについていろいろと話してくれました。

ボランティアは、午後4時までとなっています。
そのあと、古川さんに誘われ、マクドナルドへ行きました。

郡山市や福島市のある中通りは内陸なので津波の被害はありませんが、放射線量は沿岸部より高くなっています。側溝や焼却場などは、公表値よりずいぶん高くでているらしいです。でも、マクドナルドには高校生がたくさんいて、みんな普通の生活を送っているように見えます。
いきなり、放射線についてのディープな会話。そういう場所に来たんだと実感しました。

泊まったお寺さんこの日は、古川さんが泊っていた、友達が住職のお寺に、一緒に泊めていただくことになりました。
古川さんは自転車でビックパレットまで来ていたので、田んぼの間を通り、一緒に寺へ。気さくな住職さんは快く泊めてくれ、スパゲッティをいただきました。

それから3日間、そのお寺に泊まりました。

3日目のボランティアの後、ギターを持ってきていた古川さんと近くの公園に行き、古川さんはベンチでギターを掻きならします。ジョギングや散歩をしている人たちが立ち止まって聞いてくれたり、拍手してくれたり、すっかり人気者です!?
音楽の力はすごいなと実感しました。
僕は、負けじと富士吉田で手に入れた鼻笛を取り出して吹きました。いまだにドレミができず、ただ音が鳴っているだけですが・・(ほんとに日本鼻笛協会富士山友の会の普及委員?…汗)。

4日後、古川さんは、東京に帰りました。
東京からヒッチハイクでここまで来た古川さんは、国道4号の脇で、段ボールに「東京」と書いて掲げ、30分後に止まってくれた車に乗って、颯爽とその場を後に。

ヒッチハイクしている古川さん

その日、無事に東京に着いたようです。。

2011/07/21

福島県の日本100名城 白河小峰城 ~震災による被害で立入禁止(涙)~

手に乗るキタテハ
6月24日、栃木県と福島県の県境を越えました。いよいよ福島入りです。

キタテハが自転車にとまりました。
手を延ばすと、僕の手にとまります。僕の福島入りを祝福しているのでしょうか?
なんて自分勝手な空想をして、無理やり、ウキウキワクワク!

県境の西郷村を駆け抜けると、白河市です。
白河市には、日本100名城のひとつ、白河小峰城があります。
これは行かねばなりません。

漆喰塀が続く道
白河小峰城跡(城山公園)の前の道には、白い土塀が延びています。
城山公園も漆喰の白い土塀に囲われ、すぐ隣の白河駅の連絡通路は、石壁に漆喰の門構えになっています。
白河小峰城跡一帯に城下の雰囲気が漂っています。

白河小峰城址 木々と石垣
漆喰の土塀が延びる門をくぐり、白河小峰城跡へ入ります。
堀に囲まれ、こんもりとした木立の中に、石垣が連なっています。
白河小峰城の曲輪は、梯郭式(はしご状に曲輪が設けられている)です。段になった石垣が、小気味いい。

白河集古苑
城郭内にあった土蔵をイメージした白河集古苑があります。
白河集古苑の前にいた職員の方と話をすると、なんと東日本大震災で石垣が崩壊したため、三重櫓や前御門などがある本丸に入ることができないそうです。白河集古苑も漆喰の剥落などの被害を受けたので、ブルーシートなどで一部が覆われています。

白河集古苑のロビーで、白河小峰城についての解説パネル等をみて、日本100名城のスタンプを押しました。

がらがら壊れた石垣
白河集古苑を出て、本丸への入口となる二の丸清水門の方に行くと、無残な石垣の姿が現れました。石垣がガラガラ崩れています。

二の丸清水門の前
二の丸清水門の前に柵が張り巡らされ、中に入ることができません。

冠木門の二の丸清水門(江戸時代は、2層の櫓門)の奥の石垣は、完全に崩壊状態・・。これまで、約400年、偉容を誇ってきた石垣がこんな状態に・・・。今回の地震のパワーをまざまざと見せつけられました。

三重櫓
木造で忠実に復元された前御門と三重櫓を間近で観ることができないのは、ほんと残念です。
二の丸から見える白河小峰城のシンボル、三重櫓は、黒漆を塗った「下見板張り」の“黒"と白漆喰の“白"が、鮮やかなコントラストを見せています。櫓というより、まさに天守。

石垣と共に、木々が倒れる
堀に沿って歩くと、石垣が豪快に崩壊しているのが目に飛び込んできます。
石垣の上の木々が、堀になだれ込んでいます。

白河小峰城跡
復興を応援しています。
石垣が復旧し入場が再開されたら、必ず三重櫓に登りに来るぞ!

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2011/07/19

宇都宮での一日 ~「節電トライアル」でキャンドルナイト ~

渡良瀬遊水地のところから栃木県に入り、4号線を北上。
6月21日の夜、宇都宮に到着しました。

栃木県庁
次の日は、宇都宮散歩。
まず、恒例の都道府県庁前で写真撮影。3年前に竣工したばかりの新庁舎は、きれいでかっこいいです。
ここ栃木県庁で、区切りの20都道府県目。
約2年、旅をしているのに、まだまだ半分にも到達していません(汗)。

二荒山神社 長い石段
「宇都宮」の地名の由来となった宇都宮二荒山神社に参拝。
長い石段の先に、社殿があります。拝殿で参拝したあと、境内をくるっと回ります。

市神社・須賀神社の狛犬
市神社・須賀神社の狛犬は、とぼけた感じのユーモラスな顔をしています。

初辰稲荷神社の前の個性的な狛狐
初辰稲荷神社の前にも、個性的な狛狐が佇んでいました。

宇都宮城址公園 晴明台
次に、宇都宮城址公園へ。
みはし通りの先には、水堀、土塁、その上に2007年に復元した晴明台がそびえます。
宇都宮城は、日本100名城に選ばれていませんが、関東七名城のひとつで、平安時代後期に築城された歴史ある城です。

御成御殿の縮小模型
晴明館歴史展示室や宇都宮城ものしり館で、宇都宮や城に関する展示紹介を観賞します。
ものしり館では、ボランティアガイドのおじいちゃんがいろいろと解説してくれました。

江戸時代、宇都宮城には、天守がなく、晴明台(櫓)が天守の代わりをしていました。
本丸に建っていた「御成御殿」(写真は、御成御殿の縮小模型。)は、将軍が日光に行くときに泊まる御殿で年2,3回しか使用しない建物だったそうです。
現在だったら、確実に「事業仕分け」の対象になりそうです・・。

宇都宮城址公園 富士見櫓
漆喰壁に囲まれた土塁の上に登ります。
まだ出来て4年しか経っていないので、とてもきれい。白漆喰に日があたり、真っ白に輝いています。
晴明台や富士見櫓の内部もひと通り見て回りました。

宇都宮市街を一望(昼)
県庁に戻り、15階展望ロビーから宇都宮の市街を眺めます。宇都宮は人口50万人の大都市なので、周りにビルがたくさん建っています。

下を覗き込むと、県庁隣に立つ「昭和館」の前に人が集まってきています。
何だろう?
と思い、僕も下におりていきました。

節電の看板
昭和館の前では、「節電トライアル」のイベントが始まるところでした。
「節電トライアル」とは、環境省が呼びかけているライトダウンキャンペーン(6月22日~8月31日)に併せて、昨年比15%の節電に挑戦する栃木県の試みです。

節電トライアル ecoキャンドル看板
知事や議員の方たちなどがスピーチしたあと、「節電トライアル」開始です。
僕も人ごみにまぎれ、参加者に配られるECOバッグや、エコキャンドルなどを頂きました。

サンセットコンサート
県庁舎内では、6時から栃木県警察音楽隊による「サンセットコンサート」が行われました。
観客の7,8割は、「ノー残業デー」ということで仕事が終わった、県の職員の方!?。
数組、子供連れのお母さんも、聴きに来ていました。
「美女と野獣」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマ曲、千の風になってなどを演奏します。僕は用意されたパイプ椅子に座って、心地良く音楽を聞きました。

「トライ▲15」のキャンドル
サンセットコンサートが終わった午後7時、空はまだまだ明るいのですが、外ではキャンドルナイトが始まりました。スタッフのかたが、キャンドルを「トライ▲15」などの形に並べ、火を灯していきます。

僕は短冊に願いを書いたりして、しばらくキャンドルの明かりを楽しみました。

宇都宮県庁 展望台から望む宇都宮市街(夜景)
午後8時、もう一度県庁舎の展望ロビーへ行き、宇都宮の夜景を一望。みんな、節電してるかな??

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2011/07/15

戸田で、ひと休み。

荒川河川敷

6月16日、小雨がやんで、そよ風が心地いい。
荒川河川敷を颯爽と走り、東京から埼玉県戸田市に入りました。
いよいよ、北への旅がスタートしたような気分です。

まず図書館へ。
新しいところに行ったら、図書館に行くようにしています。
お雑煮について調べるためです。

戸田市立図書館の郷土資料コーナーに行くと、埼玉県各市の郷土史がずらっと並んでいました。
「民俗」の巻の「年中行事」カテゴリーで、お雑煮の記述を調べます。
記述を見つけたら、片っ端からメモっていきます。

「うどん正月」が気になります。
影山さんの調査では、埼玉県の「うどん正月」は秩父と埼玉県北部地域だけのはずですが、東京都の県境になる、南東部の新座市の郷土史にも「3が日うどんを食べる家」の記述があります。
もしかしたら、「うどん正月」は、もっともっと広がっているのかもしれません。
しかし、今回はお雑煮を調べずに東北まで駆け上がる予定なので、実際に調べて回るのはまた今度の楽しみに取っておくことに。

戸田市立図書館と同じ建物の3Fに、戸田市立郷土博物館があったので、見に行きました。

ここでは、12~13万年前から現代までの「戸田の歴史」や、荒川の動植物など「戸田の自然」について、展示解説しています。

ここで僕が特に気になった点は、3つ。

古墳時代の竪穴式住居ジオラマ
この竪穴式住居には、カマドがあり、周りに木の板をはった板壁があります。板壁のある竪穴式住居のジオラマは珍しい。 竪穴式住居から茅葺き民家への、過渡期にある住居です。
江戸時代の戸田の渡しのジオラマ
戸田は、江戸時代、中山道が通っていて、橋をかけていない荒川を舟で渡した「戸田の渡し」で活況を呈しました。 川べりから中山道沿いに、茅葺きの家が立ち並んでいて、栄えていた様子がわかります。
江戸時代の食品サンプルに「芋雑煮」!?
この食品サンプルには、個人的にびっくり!戸田では、お雑煮のことを、里芋(八頭)を主菜とする「芋雑煮」と呼んでいたそうです。

このときは梅雨まっただ中で、連日、雨が降っていました。
2日目は、一日中雨だったので、マクドナルドにずっとこもっていました。

この日の夜、テントを張らずに外で寝ていたら、蚊に襲われ、眠れません・・。仕方なくテントを張ると、中に侵入してきた10匹ぐらいの蚊と格闘。この日はろくに眠れませんでした・・・。
毎夏、蚊の洗礼を受けてる気がします(学習能力なし(涙))。

戸田に来て、3日目。
友人と会うことになりました。
友人の子ども(6歳)と奥さんと一緒に、イオンタウン北戸田ショッピングセンターへ。

休日のショッピングセンターは、若い親子連れで溢れかえっています。

僕は、旅の途中によく、こういう大型ショッピングセンターに立ち寄り、フードコートで休憩しがてら、日記を書いたり本を読んだりしていますが、奈良でも仙台でも名古屋でも、若い家族で賑わっていました。

ソフトクリームを食べたり、服屋さんや、CDショップ、ゲームコーナーに行ったり。子どもと一緒に遊びながら、気軽にショッピング。かつてのデパート状態です。

沖縄地料理 うるま友人が、ショッピングセンター内にある沖縄料理店でごちそうしてくれました。
僕は、この店の一押しメニュー「島豚の生姜焼き定食」を注文。
ジューシーご飯(炊き込みご飯)が食欲をそそり、沖縄名物の島豚が柔らかくておいしかったです。

「今度いつ会えるだろうか?」

と次回会えるときに思いを馳せながら、ハイタッチして別れました。

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2011/07/12

葉山で、夏気分満喫♪

6月6日に出発した、現在進行中の旅について書き始めます。
当初の予定より出発が延びてしまいましたが、元気に旅を続けています!

6月6日、当初の目的地の東北に行く前に、神奈川県の葉山にある、きさらちゅん(木皿さん)の家に行きました。

きさらちゅんとは、3月11日の東日本大震災の日に知り合いました。
地震で電車が止まったときに日暮里にいたきさらちゅんが、友人の紹介で、僕のアパートに来たのです。
その後、ゴールデンウィークにスタッフとして参加した、アメリカ・インディアンに伝わる物語「ジャンピングマウス」のストーリーテリングの催しなどで、より一層、仲良くなりました。

6月6日の昼さがり、満を持して出発!
葉山までは約60km。のんびり横浜経由で、夜暗くなる前に、到着しました。

きさらちゅんち

葉山の家は、もともとお兄さんが別荘として建てたらしく、生活感をあまり感じない、おしゃれな家です。

部屋に先に来ていたみこさんが、葉山名物の生しらす入りスパゲティやゴーヤチャンプルを作ってくれ、こちらも葉山名物の、葉山コロッケ、葉山高梨豆腐店の豆腐を用意してくれました。

うまい!

疲れた体に、おいしい料理が染み込みます。

次の日は、立石公園までドライブ。
夕時の立石を見て、海岸で遊んだ後、フラ(フラダンス)を踊ります!?

きさらちゅんの踊るフラは、カヒコ。
フラ・カヒコは、素朴な伝統的楽器やチャント(詠唱)を用いた、古代から続く厳粛な踊りです。
最近まで知らなかったのですが、僕のイメージにあった陽気なフラダンスは、フラ・アウアナと言って西洋音楽を取り入れた現代的なフラダンスなんだそうです。

遠く赤い夕焼け雲を眺めながら、僕も、見よう見まねで一緒に踊りました。

その次の日は、葉山の自家製野菜を購入しに、山の方に車を走らせます。

葉山は、海から離れると、すぐ山になります。
馬頭観音や庚申塔がひっそりたたずむ、車1台やっと通れる細い道をクネクネ進むと、こっそりと広がる畑の脇に、無人野菜直売小屋が点々とたってます。小雨の中、瑞々しいカブや、夏みかんなどをいただきました。

スピリチュアルスポット(?)の「不動滝」でお祈りした後、葉山公園へ。
大浜海岸は、まだ海開き前で、散歩中の方が数名歩いていました。
さざ波が響きわたる心地いい海岸を歩き、海の水を舐めると、もう我慢できない。トランクス1枚になって、海に飛び込みました!

大浜海岸にて

気持ちいいー!最高!

さっきまでの雨がウソのように陽がさし、青空が広がり始めています。
ちびっ子と僕しかいない海で気持よく泳いでいたら、きさらちゅんたちも海に飛び込んでました(汗)。

海を出た後、きさらちゅんの知り合いのデューク金子さんに会いに行きました。
道を尋ねて、何とかNPOオーシャンの建物に到着。建物の前にはカヌーが積まれ並んでいます。

ちょっと前に海から帰ってきたデュークさんと話をします。
アウトリガーカヌーパドラーであるデュークさんは、「オーシャン」というNPO法人を立ち上げています。
カヌーを使った旅に挑戦しているデュークさんは、7月から、カヌーをこいで、熊本県水俣から福島県の原発に向かう計画を立てています。その計画について、カヌーについて、シンプルに生きることについてなどを、一時、語り合いました。

デューク金子さんと共に
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デュークさんの旅は、始まっています。
Ocean Legend
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その夜は、本場ハワイのフラ大会(?)のDVDを見て、またフラの練習。
イリイリ」と呼ばれる、石のカスタネットを手の中でカチカチ鳴らしながら、優雅に踊ります。僕は、ひょうたんから作られた伝統楽器「イプ(イプヘケ)」をポポポポンと叩きます。難しいけど、面白い。

きさらちゅんたちに、「フラが似合ってるよ!」とおだてられて、すっかりその気になっちゃいました(笑)。

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2011/07/02

神奈川のお雑煮 第3回 ~相模湖周辺は甲斐国?~

2月、東京に戻ってくる途中、山梨県上野原市や相模湖北岸地域で、お雑煮について尋ねました。

上野原市に入り、四方津の駅近くでお雑煮のことを尋ねると、元旦ではなく、2日に「うどん」を食べるとおっしゃる方がいました。

2日にうどん?

これは聞かざるを得ない・・と、上野原市で、お雑煮のことを尋ねました。

何人かに尋ねると、「2日にうどんを食べる。」と、多くの方がおっしゃいます。
そのうどんとは手打ちうどんで、正月2日にうどんを打つことを、「うちぞめ」とか、「ぶちどめ」とか、「打ち初め(ぶちぞめ)」と呼ぶそうです。

この辺りは、まずお餅の入ったお雑煮を食べ、次に、うどんを食べるという流れのようです。

お雑煮のことを尋ねていると、眼下に相模湖が広がり、神奈川県に入りました。

神奈川県に入っても、2日に「打ちぞめ」をして、うどんを食べたという話を聞きます。
お雑煮は、厚木や伊勢原などでよく聞いた、里芋と大根のお雑煮ではなく、たくさんの具を入れた「けんちん汁」のお雑煮の方が多くいます。

藤野町資料館国道20号を走っていると、「藤野町資料館」と書かれたのぼり旗を見かけたので、立ち寄ってみました。

ここ旧藤野町(現在は相模原市緑区。)は、江戸時代、甲州街道十番目の宿である「吉野宿」として栄えたところです。
館内には、吉野宿の街並復元模型や、藤野町の歴史、かつての産業の養蚕と炭焼きの解説があります。
それらをひと通り見た後、係員にお雑煮のことを尋ねると、向かいの吉野さんは、この辺りについてすごく詳しい人だと教えていただいたので、早速、向かいの家へ行きました。

藤野町資料館向かいの吉野家は、吉野宿の本陣で、名主だった家です。
声をかけると、おじいさんが出てきました。90歳を過ぎているとは思えないほどしっかりしています。
かつて、藤野町の民俗を調査していて、藤野町内に、768体の石像があることなど、この地方のことをいろいろと話してくれました。

その中で僕の興味を最も引いたのは、江戸時代、ここ相模湖周辺は、郡内地方だったということです。

今の郡内地方は、山梨県の南東部を指しますが、相模湖周辺もかつては、郡内地方の一部だったそうです。ここも郡内地方だったと考えると、けんちん汁の話や、打ちぞめの話など、甲斐国の影響を強く受けているわけが納得できます。

ここ相模湖周辺の旧津久井郡は、現在神奈川県に属していますが、文化や風習は甲斐国に属していると考えることができます。


より大きな地図で お雑煮マップ 2(関東南部・富士山麓・甲府他) を表示

丹沢湖奥、箒沢(ほうきざわ)の、みそ味のお雑煮

去年の10月、神奈川県山北町から御殿場に行く途中、丹沢に寄りました。
丹沢湖から中川川の上流へ細道を、ぐんぐん北に進んでいくと、徐々に山が険しくなり、箒沢というところに着きます。

そこに住む方は、みそ味のお雑煮を食べるとおっしゃっていました。
丹沢湖周辺にもみそ味のお雑煮の方がいらっしゃいましたが、神奈川県では、それまでずっと、しょうゆ味のお雑煮だったので違和感を感じました。

丹沢湖ビジターセンターその時に寄った丹沢湖ビジターセンターに、箒沢の地名の由来が解説してありました。

中川川最奥の集落だと思っていた中川集落の人が、さらに中川川上流からホウキが流れてきたのにびっくりして上流を調べに行くと、甲斐国から来た人たちが集落を作っていたそうです。そこで、その集落を「箒沢」と呼んだということです。

この伝承からも裏付けられるように、この箒沢に住んでいる人たちはかつて甲斐国に住んでいた人々だとすると、「みそ味のお雑煮」というのもしっくりきます。
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2011/06/26

山梨県のお雑煮 第1回(富士山麓除く)~うどん正月は北関東一円に!?~

精進湖で初めて、「元旦に、お雑煮ではなく、うどんを食べる。」という話を聞いてから、たくさんの「うどん正月」事例を聞きました。

旧芦川村、旧上九一色村、旧三珠町、旧境川村、甲府市右左口町などなど・・。富士山麓から甲府盆地の間の広範囲で聞くことができました。


より大きな地図で お雑煮マップ 2(関東南部・富士山麓・甲府他) を表示

山奥の隠れ里?ここにもうどんの風習あり!

旧芦川村より、芦川をもっと下って行くと、旧上九一色村を通りすぎて、市川三郷町(旧三珠町)に入ります。

芦川沿いの集落は、旧芦川村の集落より、小さな集落。川沿いに点々と集落が続きます。
“ほとんどすべての家に”と言っていいほど、お雑煮のことを尋ねに訪れました。
ここにも、元旦に「うどん」を食べるという方がちらほらいます。
「うどんを門松にかけていた。」という方もいました。

途中、道沿いに「畑熊入口」というバス停があり、そこから細い道が山の方に延びています。
上の方に家が見えたので、お雑煮のことを聞きに行きました。

その家の方が、

「もっと山の上の方に集落があって、そこからここに降りてきたんだ。」

と指差しました。

えっ、あそこ??

指さした先は、山のほぼ頂上です。

今も住んでいる人はいるのか尋ねると、おじいさん1人とおばあさん1人、住んでいるそうです(新しく移住してきた方も数名います。)。
その2名の方に聞くために山を登るべきか迷いましたが、結局、行くことにしました。

急な坂道が続きます。途中、散歩中のおじいさんに会い、お雑煮のことを尋ねると、

「お袋が生きていたときは、“長くゆるゆる"といういわれで、うどんを食べていた。」

と答えます。
おばあさんは、ものすごい物知りだから良く知ってるはずだ。と教えていただきました。

もくもくと山を登ります。

畑熊の集落30分後、やっと到着。
茅葺きにトタンをかぶせた古民家が転々と立っています。
こんな山奥に人が住んでいるなんて、びっくりです。ものすごく不便な場所に思えてなりません。

おじいさんにおばあさんの家の特徴を伺っていたので、迷わず、おばあさんの家に到着。
当然、昔ながらの古民家です。

声をかけると、80歳を過ぎているとは思えない、元気なおばあさんが出てきました。

やはり、元旦は「うどん」です。玄関には、うどん用の小麦粉が置いてあります。

下に住む方(たぶん60代)が「正月にうどん?食べないなぁ。」と言っていたことを話すと、「あの人達は、若いからねぇ。」と若者扱いです(笑)。

昔は、どこの家庭も元旦にうどんを食べ、夏の虫(蛇やムカデなど)を家に寄せ付けないように、うどんのゆで汁を家の周りにまいたそうです。

風土記の丘農産物直売所で知り合った甲府市の職員の方に、山梨県の民俗に詳しい方を紹介していただきました。

早速、遊亀公園にある甲府市教育委員会学事課に行きます。

紹介していただいた林さんに、お雑煮について調べていることを話すと、「お雑煮は複雑だからなぁ。」と言いながら、素早く、棚から一冊の本を引っ張り出してきました。

ウドン正月の分布領域
影山正美「山梨県における粉食文化の一断面ーいわゆる“ウドン正月"の事例を中心にー」『山梨県史研究』第3号(1995年)から引用
その本は「山梨県史研究」で、「ウドン正月」について調べた論文が載っていました。(ここで初めて「ウドン正月」という言葉を知りました。)。
その論文によると、ウドン正月は、甲府盆地を中心に、北は関東山地、南は御坂山地の中腹あたりまで広がっているようです。こんなに広がっていたのかとびっくり。
執筆者は、山梨県史の専門調査員もしています。詳しい話が聞きたいと思い、連絡先を教えていただきました。

遊亀公園を出たあと、執筆者の方に電話をし、2日後に会うことになりました。

2日後、待ちに待った約束の日です。

午後5時、待ち合わせの場所に行き、執筆者の影山さんと会いました。
影山さんは勤務中だったので長く話はできませんでしたが、ウドン正月について、他県にもまたがって調べた研究報告書をいただきました。

ウドン正月の分布
影山正美「関東・甲信地方のホウトウ食とウドン正月の民俗」『食文化助成研究の報告 11 <抜刷>』(2001年)から引用
その報告書に載っているウドン正月の研究報告や分布図によると、ウドン正月は、長野県東部、群馬県南部、埼玉県北部、栃木県南部、茨城県西部と、広範囲にわたって行われています。

うーん。これはすごい。
思ったよりうどん正月の地域は広いようです。これをきちんと調べていたら、どれだけ時間があっても足りない。。

どうやら小麦文化は、局地的な文化ではなく、広く深く根づいた文化のようです。

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2011/06/18

山梨県の日本100名城 ~甲府城と武田氏館~

1月末、今回の旅初めての、「日本100名城めぐり」に繰り出しました。

山梨県の日本100名城は、武田氏館甲府城の2つです。
2つとも、甲府市中心部にあり、お互いの間隔は、2.5kmほどしかありません。ということで、1日で2つを回りました。

まず武田氏館へ。
甲府駅から、緩やかな坂になっている武田通りを登っていきます。途中に山梨大学があり、落ち着いた道です。
武田通りの突き当たりに、かつて武田氏館だった、武田神社があります。

武田神社
武田氏館は、武田三代(信虎・信玄・勝頼)の居館だったところです。ここは、戦国期の城というより、中世の館(城)のようです。
信玄は、「人は城 人は石垣 人は掘 情けは味方 仇は敵なり」という信条をもとに、治世中に城を新しく建てなかったということです。
ここを拠点に、甲府の城下町が広がっていました。
当時の建物はすべてなくなっていますが、石垣や、土塁、堀などはまだ残っています。

武田神社の堀
当時のままの堀にかかる神橋を渡り、境内へ。

武田氏館跡の石碑と武田神社鳥居
石段前に「史跡 武田氏館跡」の石碑が立っています。

拝殿前の参道
参道を進んで、森に囲まれた拝殿へ。

武田神社 拝殿
拝殿は、落ち着いた桧皮葺で、金装飾をほどこした軒唐破風からは威厳が感じられます。

お参りしたあと、拝殿に向かって右側に経つ宝物殿で、日本100名城のスタンプを押します。
ホント久しぶり。この前押したのは、えーーっと、三重県の松坂城なので・・・約2年4ヶ月前です(汗)

信玄公御使用井戸
信玄も利用したという井戸がまだ残っていました。

クルクルっと境内を周り、神社を出ます。
ここ武田神社は少し高台になっているので、なだらかな甲府盆地を見渡すことができます。信玄もここから甲斐国の民を見守っていたのでしょうか。

自転車に乗り、武田通りをすーっとくだって甲府駅へ。
甲府城は、甲府駅のすぐ東側にあります。
甲府城は、武田滅亡後、徳川・豊臣系の大名が築城し、拠点とした城です。

甲府城高石垣
当時の建物は残っていませんが、高石垣が、ずぅーんとそびえています。

内松陰門
内松陰門をくぐって、城内に入ります。

高石垣に囲まれた城内を歩いていると、ボランティアガイドの方に声をかけられました。
近年、復元された稲荷櫓は、北東の隅にあるので、かつて、艮(うしとら)櫓と呼ばれ、武具蔵として使われていたことや、徳川御三家の尾張徳川家の初代は、ここ甲斐府中の城主だった家康九男の義直だったこと、などなど。色々な資料を引っ張り出して、説明してくれます。

甲府城石垣の線刻画
稲荷櫓の脇に、線刻画が残っているというので、見てみると確かに石に何か削った跡があります。

稲荷櫓
いろいろと見どころを教えていただいたあと、稲荷櫓の展示室へ。

稲荷櫓の展示室
ここには、出土した瓦や鯱の解説・展示、甲府城や城下町の歴史解説、甲府城の縮小模型などがあります。

甲府城縮小模型
甲府城は、ここ舞鶴城公園の敷地の他にも、JR中央本線の北側の歴史公園、舞鶴城公園西側の県庁のあたりも縄張りとしていました。とても広い城です!

※甲府城の別名。鶴が羽を広げた姿に似ていることから「鶴が舞立つように美しい城」と讃えられていた。

稲荷曲輪門
それからも、広大な舞鶴城公園を歩きまわって、石垣や復元した門を見て回ります。

本丸から望む甲府盆地に広がる甲府市街
本丸跡からは、甲府盆地に広がる甲府市街が一望できます。

公園内にある恩賜林記念館では、信玄の人となりや、甲府城の歴史等の解説パネルが並び、解説ビデオも放映していたので、ここでもゆっくりじっくり時間を過ごしました。

甲府城を出るころには、夜のとばりがおりてきていました。
この日も、充実した1日でした。

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