2010/09/26

根津神社例大祭「神幸祭」2010

先週の日曜日、根津神社例大祭を見に行ってきました。

根津神社例大祭は、日枝神社山王祭と、神田明神神田祭と並んで、江戸幕府の将軍の命によって行われた天下祭(江戸3大祭り)のひとつです。
今年は、2年に1度の「本祭」です。

のんびり昼前、ふらっと根津へ出かけます。

根津神社に行く前に、根津神社近辺を散策。

根津神社例大祭
境稲荷神社
境稲荷神社境内が寄合所になっている茅町町会や、向ヶ岡弥生町会など、多くの人々が祭りを楽しんでいます。
町会の寄合所では、焼きそば100円、氷50円など、とても良心的な価格で露天を出し、お祭りを盛り上げています。町会のお手伝いをしている女性の方がせわしなく準備をし、子どもたちの笑い声が飛び交っています。

そして、根津神社へ。
根津神社表門の鳥居

表門の鳥居をくぐると、両側にぎっしり露天が並び、多くの人で賑わっています。

楼門をくぐると、神楽殿からお囃子の演奏が聞こえてきます。
神楽殿の演奏

いつもは、穏やかな境内ですが、この日は参拝する人がずらっと行列を作っています。
僕も並んで、静かにお参りします。
拝殿前の行列

午後1時からは、境内で、「根津権現太鼓」が始まりました。
威勢のいいかけ声とともに、太鼓の音が高らかに鳴り響きます。
アクロバティックに飛び跳ねながら太鼓を叩き、こっちも浮き浮きワクワク。気分が高まります。

境内を出た後は、谷根千散歩。
谷根千の町一帯に、笛や太鼓の音が流れ、どこに行ってもお祭りムード。
家の前には、お祭りの提灯がぶら下がり、路地では、ハッピを着たわんぱく小僧とおてんば娘が、きゃっきゃと走り回っています。

この日は、日差しが照りつけ気温がぐんぐん上がり、また夏の1日が、ぶりかえしたようです。
「こりゃたまらん。」と、僕の(みんなの?)お気に入りの場所である「甘味処 芋甚」のアイスモナカ(小倉)をいただきました。控えめな甘さのアイスが、ひんやり口の中でとろけます。
芋甚のアイスモナカ

それから、谷根千のいたるところでかけ声とともに練り歩く、町内神輿を見物。
狭い路地の中を、御神輿が駆け巡ります。神輿を担いでる老若男女、みなとてもカッコイイです。
路地の中を神輿が行く

不忍通りに出ると、谷根千の氏子中を練り歩いている「神幸祭」の行列に出くわしました。
神幸祭の行列

神職が乗る日本古来の馬「木曽駒」。「猿田彦」の山車人形が乗る山車。黄色い装束姿の神官が曳く本社神輿「二之宮」。馬車をひく立派な白馬。人力車に乗ったかわいいお巫女ちゃん。などなど。
数百メートル続く長い行列が、粛々と進んでいきます。

神職が乗る日本古来の馬「木曽駒」「猿田彦」の山車人形が乗る山車本社神輿「二之宮」人力車に乗ったかわいいお巫女ちゃん

根津神社の近くで、少しだけおばあさんにお雑煮のことを聞きました。
ここで生まれ、ここで育って、早80年。

「向かいの建物も今は立派になったけど、昔は3軒長屋が並んでいてねぇ・・・。」

と思い出話に花が咲きます。

表門の鳥居をくぐって境内へ
神幸祭の行列と一緒に、根津神社に帰ってきました。
露店の並ぶ狭い参道すれすれを、御神輿が通り抜けていきます。

猿田彦の山車が、威風堂々、神橋の上で屹立。
猿田彦の山車、神橋の上で屹立

唐門前で、宮司が祝詞を読み上げて、「宮入り」神事が執り行われます。
「宮入り」神事

一連の神事が終了した後は、御神輿を、拝殿隣の神輿庫に納めます。
ここが「神幸祭」のハイライト。
「神幸祭」の行列の時は車の上に載せられていた本社神輿を車から外し、男たちが担ぎ上げます。



大きな本社神輿「二之宮」。
屈強な男たちが担ぎ上げていますが、よれるよれる。。
唐門の前を行ったり来たり。でもさすがお祭り男たち。
「かけ声」をとどろかして、体勢を立て直します。
神様が酔っちゃうんじゃないかと心配になるくらい、御神輿が上下に揺れます。

無事、宮入りが終わった後は、連合渡御が始まります。祭友会」の神輿、裏門前から出発!

根津神社の裏門前から、不忍通りを9基の町内神輿が一列に並んで渡御します。
ずらっと並んだ姿は、まさに壮観。
連合渡御 9基並ぶ

神輿が一丸となり、人々を巻き込みながら、長い長い固まりが進んでいきます。
だんだんと日が暮れ、神輿の提灯に灯りがともります。
神輿の担ぎ手たちのハッピは汗でぐっしょり。体中から汗を飛び散らせ、声を合わせ力を合わせます。

その瞬間、担ぎ手も、町会の人々も、見物客も、みんなの心が1つになりました。
連合渡御 御神輿も、人も、揺れる揺れる

午後7時ごろ、連合都御終了。御神輿は各町会に帰って行きます。

僕も、祭りの余韻を味わいながら、とことこ家に帰ります。
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2010/09/24

谷根千散歩 ~移りゆく季節とともに~

日曜日に見物に行った根津神社例大祭「神幸祭」のことを書こうと思いましたが、その前に、、、ご近所の谷根千について紹介します。

谷中・根津・千駄木をくっつけて、谷根千
谷根千は、僕の家から歩いて10分、自転車で5分ちょいのところにあります。東京の素朴な下町としてよく取り上げられる有名な場所なので、訪れたことのある方も多いと思います。

やっぱり“日暮里”なので、夕暮れ時が、僕の一番のお気に入り。
時間がゆっくり流れます。

■坂の多い町

谷根千は、上野台地と本郷台地の間の谷間にあるので、両側に坂道があります。
坂の1つ1つに趣深いエピソードがあります。

●富士見坂


富士見坂下

高層ビルが建ち並ぶ東京23区で数少ない、富士山が本当に見える富士見坂。(特に、冬の澄んだ晴れた日に)富士山の右稜線を見ることができます(東京の富士見坂:日暮里・富士見坂)。
富士見坂上には、谷中・日暮里の総鎮守の諏訪神社があります。高台の上にあり、奥の見晴台から、東の街並みを眺めることができます。
(僕は引越してきた当初、ここがてっきり東日暮里4丁目の氏社だと思って、お参りしてました(汗)。)


●三崎坂


三崎坂

緩やかに延びる三崎坂。片側一車線で、よく車が通る坂です。
坂の上の方は寺町。お寺の塀が続きます。

三崎坂上の地蔵菩薩 初音六地蔵

三崎坂の上には、「初音六地蔵」が並んでいます。お供え物が絶えることはありません。

谷中小学校

坂の真ん中辺りにある谷中小学校の正門は、入母屋造り・瓦屋根の江戸風な門。校舎の周りの壁もナマコ壁になっています。

●三浦坂


三浦坂

三浦坂は、樹木がかぶさり、両側に、寺の塀が続くところが多いので、「隠れ坂」のような感じがします。

ねんねこ家

途中には、猫も従業員になっている「ねんねこ家」があります。秘密の坂に、突然現れた「隠れ家」のようです。

●お化け階段


お化け階段

最近、整備されて階段が新しくなりました。周辺の建物は、おしゃれなマンションばかり。
でもまだまだお化け階段は健在です。
上から数える段数と、下から数える段数が、、、あれっ、違う!?お化けの仕業??
トリックは・・・(この写真の中に!?)・・。

他にもまだまだ、いわくありげな坂が目白押しです。
谷根千に行ったときは、汗を拭き拭き、坂を上り下りすると楽しいですよ。

■路地の先に、アートギャラリー

谷根千には、20軒以上のギャラリーがあります。
路地の中で迷子になっていると、突然目の前にギャラリーが現れます。

ギャラリー KINGYO


ギャラリー KINGYO

狭い路地から出ると、目の前にギャラリーが。
友人が何度かここで展示をしています。今度また開催するそうなので、見に行かなきゃ。
※僕が東京にいるときにお願いします。

●喫茶・ギャラリー りんごや


りんごや

谷根千に多い、喫茶兼用のギャラリー。

先日、行ったときは守屋和美さんの「森でのできごと」展をやってました(26日(日)まで展示してます。)。
守屋さんとちょっと話して、作品鑑賞。ほのぼのとした優しそうなクマさんがいます。
千葉晃子さんの手織りのクマがかわいらしくて気に入りました。

GALLERY 猫町


GALLERY 猫町
ここ谷根千は、人間と競い合うように、猫たちが徘徊しています。

夏目漱石が「吾輩は猫である」を書いたのが、根津に住んでいるときでした。
今でも路地裏で、「人間ほど不人情なものはない。」などとおしゃべりしているのでしょうか。

■古き良き時代が感じられる町

谷根千は、江戸時代から昭和まで、古き良き時代の名残に触れることができます。

●観音寺の築地塀


観音寺の築地塀

江戸時代、谷中は寺町でした。今も、無数のお寺がひしめくように密集しています。
お寺は、寺ごとに塀で囲われていますが、特に、独特なのが観音寺の築地塀。補強のため、瓦や板を層状に土で固めて作ったものだそうです。
マンモスの歯の化石みたいです。


●やなか銀座


やなか銀座

活気あふれる商店街。
テレビで紹介されて、いつも行列ができているメンチカツ屋さんをはじめ、多くの店がお客さんで賑わっています。夕暮れ時になると、地元の人が店頭で魚や総菜を買い求め、そこここで井戸端会議が始まっています。

僕は、時たま、30円のコロッケや、50円のアジフライなどを買い食いしています。


■せんべい屋さんのオンパレード

谷根千には、なぜか煎餅屋さんだらけです。10店舗はあるような気がします。
お寺参りに来るのは、どちらかというと年配の方が多いので、その方たちがよく買っているのでしょうか?それとも、観光客??

●谷中せんべい


谷中せんべい

ここは、日暮里駅から「夕焼けだんだん」の坂に向かう途中にあり、初めて谷根千散歩したときから、気になっていました。

●菊見せんべい総本店


菊見せんべい総本店

三崎坂を下って、不忍通りにでる手前に建つ煎餅屋さんです。
創業明治8年(135年前!)。特に看板がしぶい。

菊見せんべい総本店の茶せんべい
四角形の「茶せんべい」を食べてみました。抹茶の味と甘さが解け合って、おいしい。抹茶味のドーナツのせんべいバージョンです!?

■季節に彩られる町

谷根千、特に谷中霊園は、樹木に囲まれ、四季の移ろいを感じることが出来ます。

谷中霊園 さくら通り

桜咲く、さくら通り。
谷中霊園の墓石の上に、花びらが舞い落ちます。
4月上旬は、霊園の空も地面も桜色に染まり、お墓を優しく包みます。

根津神社 つつじまつり

桜の次は、ツツジ。
4月中旬から5月上旬まで、根津神社では、「つつじまつり」が開催されます。
これは、満開からちょっと日をおいて訪れたときの写真。坂の上の家のベランダに鯉のぼりが舞っています。

実は、谷中霊園と根津神社は、紅葉もきれいです。
12月上旬、赤や黄色のコントラストが一層鮮やかになり、散歩してると浮き浮きしてきます。
残念ながら、この時は写真を撮っていません(涙)。
秋が深まったころ、気が向いたら是非、谷中霊園の紅葉を見に、ふらっと散歩してみてください。

ちょっと離れていますが、谷根千から歩いて行ける六義園の紅葉もきれいですよ。
去年の六義園の紅葉の写真はこちら

■根津のたいやき vs 黄金たいやき

谷根千の特集には、必ずと言っていいほど出てくる「根津のたいやき」。

値段も手頃(140円)で、おいしいと評判のお店。行列が出来ていることも多く、売り切れたら店を閉めるそうで、午後3時頃通ると、閉まっていることもあります。

対するは、「根津のたいやき」から不忍通りを300mほど北に行ったところにある「黄金たい焼き」。
こちらも、雑誌等で取り上げられていますが、行列はあまりできていないので、人気では「根津のたいやき」の完勝でしょうか?!

ということで、食べ比べてみました。

根津のたいやき

まず、「根津のたいやき」。

薄い生地に、粒あんがぎっしり詰まっています。生地は柔らかく、ちょっとふにゃって感じで、あんの味が強い。ただ、ちょっと僕には甘すぎます。少し甘さが口の中に残り、何か飲み物が欲しくなります。

黄金たい焼き

次に、「黄金たい焼き」。

こちらは韓国式のたい焼き(向こうでは、「タイ」ではなく、「フナ」とか「コイ」らしい。)。ちょっとシャープで、尾が大きいです。生地は厚みがあり、少しパリパリします。香ばしい生地の味が粒あんと絡みます。粒あんの甘さは、控えめです。こちらの方が小豆の形が残っていて、小豆を食べる感触があります。

結果は、、、パンパカパーン!「黄金たい焼き」の勝ち~!
黄金たい焼きの、控えめな甘さと、食べ応え(噛み応え?)が気に入りました。

当然、好みは分かれると思うので、機会があったら是非食べ比べてみてください。

とまぁ、こんな感じで、気の向くままに歩いています。

散歩しているとき、僕はよく、“赤毛のアン”こと、アン・シャーリーを思い浮かべます。

子猫のいる路地

この路地・・・。彼女なら、なんて名前を付けるだろう・・・。

化け猫に襲われる小径

ダメか~(笑)。

散歩のコツは、空想(妄想?!)すること。

その魔法のステッキをふると、ありふれた毎日が“心ときめく1日”に変わる魔法にかかっちゃいますよ!?


お知らせ:10月9日(土)、10日(日)に、「谷中まつり」が開催されますよ!
谷中まつりの案内チラシ
--
もっと写真を見たい方は、

「谷根千」写真集

をご覧ください。
※ここの写真は、今まで撮った写真の中から選びました。
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2010/09/18

東京のお雑煮 第1回 ~花のお江戸のお祭りでぃっ!~

台風が来るたびに、雨が降るごとに、ぐっと秋の気配が深まります。
日差しが傾き、外をほっつき歩くには、心地よい季節になりました。

近日中に旅を再開いたしますが、その前に、書こう書こうと思いながら、今までほったらかしてきた、「東京のお雑煮」について、少し書き綴ることにします。


今回の舞台は、東京下町。
時は、爽やかな南風が初夏の陽気を呼び込み、ツバメのヒナが羽ばたき始める、5月から6月になります・・・。

東日暮里4丁目の子ども神輿ゴールデンウィークが開けた最初の土日(5月8日、9日)、僕が住む東日暮里4丁目の氏社である元三島神社の例大祭が行われました。

久しぶりに、鶯谷のラブホテル街に埋もれてしまっている(?)鎮守さんの元三島神社にお参りして、子どもたちのかけ声を聞きながら、神輿行列を眺めます。

5月から6月は、ここ東京の下町では、毎週、どこかしらでお祭りが行われます。
次の週は、浅草の三社祭、その次は、学問の神様・湯島天満宮の例大祭、 6月に入って、素戔雄(スサノオ)神社の天王祭、12、13日の日本橋山王祭、そして、「たけくらべ」冒頭に出てくる三島神社の例大祭・・・と毎週末、下町のどこかで、大きなかけ声があがっています。

浅草の三社祭では、お祭りを見るついでに、お雑煮について、ちらちらと聞いて回りました。

浅草の町会の寄合所を覗くと、数人の女の人がいました。
ちょっと手が空いたようなので、中に入り、このあたりのお雑煮のことについて尋ねます。

「角餅を焼いて入れて、、小松菜、、んー、あとは、かまぼこに、ナルト・・・」

と話し始めたとき、隣の人が、

「仙台では、いくらや、ハゼを入れるんだよ。」

と切り込んできます。


そこから、一気に仙台のお雑煮の話題へ。やっぱり珍しいお雑煮はみんなの興味を引きます。

2,3分後に、どやどやと数人の女の人がやってくると、誰かが「あっ、この人、鳥取出身だよ。」と声をかけ、その鳥取出身の方が、

「えっ?雑煮??私んとこは、黒豆を入れるだけよ。」

と話し始めます。

もう少し、聞こうとしましたが、寄合所の中は、すでに戦場モード。
お雑煮を聞くどころでは、ありません・・・。僕も、早々に退散です。

東京は、ブラックホールのように日本中(世界中?)から人を吸い込んでしまうので、地方にルーツのある方が大勢います(僕もしかり)。
ここ下町なら、生粋の江戸っ子の方が多いかなと思っていたのですが、やはり地方出身の方も数多くいるようです。

※大阪では、僕がお雑煮を聞いた人たちに関してですが、西国出身の方が多かったです。

三社祭の町内神輿住宅街の中をぶらぶらと、町内を練り歩く神輿を見ながら歩いていきます。
入れ墨を体中に彫り込んだ方が威勢よく神輿を担ぎ、神輿の上に乗っかって、低く渋いかけ声をあげています。

三社祭のハッピを来たおじいさんがこちらに来ました。
早速、お雑煮のことを尋ねると、

「雑煮にゃ、豚肉はいれちゃダメなんだよ。」

と、しゃがれ声で、ぶっきらぼうというか、歯切れのいい江戸弁を話します。

雷門が近くなるにつれ、雑煮どころではなく、完全にお祭り見物モード。
ふだん、浅草寺の喧噪の隣で、静かに佇んでいる浅草神社も、この時ばかりは、参拝する人の大行列で埋まっています。

「ソイヤ、ソイヤ!」の威勢のいいかけ声や、怒鳴り声。上下左右に大きく揺れる神輿。
まさに、ケンカ祭り。

お祭りの実行委員(?)の方が神輿の前で、

「そこ押さないで。押しちゃダメだよ。」

と言った、10秒後・・・

「オラっ!押すなって言ってんだろ!コラ、押すなーーっ!!」

と怒鳴り声に早変わり。この繰り返し。誰も聞いちゃいません(苦笑)。

一之宮町内渡御16日の本社神輿町内渡御では、神輿担ぎもヒートアップ!
みんな本社神輿を担ぎたくて、うずうずしているので、躊躇していると、神輿を担ぐことができません。
小さな小競り合いは日常茶飯事。闘争本能、丸出しです。

子どもに優しい猿田彦大神ただ、神輿の前後は、穏やかです。
「一之宮」の前の方、少し距離を置いた先で、鼻の長い天狗のようなお面をつけた猿田彦大神が神輿を先導します。
後ろからは、大勢の警官が一列になって神輿の後をついていき、警察車両の上で数人の警官が目を光らせ、ビデオも回していました。


本社神輿担ぎ手代えシーンのハイライト

浅草神社本社神輿で最も大きな『一之宮』の、担ぎ手代えの様子です。

神輿を担ぐ町会が変わるとき、担ぎたくてしょうがない担ぎ手たちの興奮は最高潮に高まります。
あんまり近くにいると、はじき飛ばされます(汗)。


それから毎週、週末になると、ふらっと、お雑煮のことをほんの少し聞きながら、湯島天満宮の例大祭などを見に行きました。

日本橋山王祭三社祭から、一ヶ月後、大江戸3大祭りのひとつ、「山王祭」が執り行われました。
山王祭は、町人のお祭りである三社祭とは真逆の、江戸幕府お墨付きの天下祭。
整然と町割りされた日本橋界隈を、神輿が駆け巡ります。中央通りを進む「下町連合渡御」の神輿行列は、壮観。ビルの谷間で、笛や太鼓の音、そして、かけ声がこだまします。
祭りの賑やかさは欠けていませんが、やはり、どこか穏やか。祭りを見守る警官も、三社祭と比べると、圧倒的に少ないです。

日本橋山王祭で使われていた玉ノ井 龍神先日、佐倉の「おはやし館」に行ったとき、明治初期まで、日本橋の檜物町で曳き回されていた山車人形(玉ノ井 龍神)が展示されていました。
江戸時代、山王祭では、神輿と共に山車も曳かれていました。しかし、明治になると、路面電車の運行に差し支えがあるという理由で、山車は、川越や佐倉など、関東近郊の都市に売られていきました。


「表向きは、路面電車の邪魔になるからってことになっているけど、当時、お金のない明治政府が、資金を得るために、“カタキ”である江戸幕府のモノ(山車)を、地方に押しつけたんだよ。」

というようなことを、地元の人が語っていました。

理由はどうあれ、佐倉では、まだ現役として使われているということなので、今年はちょっと無理っぽいですが、また機会を見つけて佐倉の秋祭りにも顔を出したいと思っています。

■日本橋について、1つ引っかかること。

江戸時代、日本橋は、「現金掛け値なし」の商法を始めた呉服商・三井越後屋(現在の三越)を筆頭に、日本全国の有力な商人たち(特に伊勢・近江の商人)が大店を構えた、日本一の商業地でした。こうした日本全国から来た豪商たちは、奉公人・使用人も含め、そこで働く全ての人間を地元出身者で固めて、文化も一緒に持ち込んだそうです。
そうなると、日本橋に住む人たちは、江戸時代の“集団就職”で江戸にきた人々の末裔?
とすると、お雑煮は・・・。うーん。ほんとわからないことだらけです。

と、よく考えたら、お祭りの楽しさに気をとられて、タイトルに書いてある、「お雑煮」のことをほとんど書いていない・・・。
第2回は、もうちょびっと、僕なりにお雑煮の核心に迫っていきたいと思っています(汗)。

明日は、大江戸3大祭りのひとつに名乗りを上げている、根津神社例大祭の「神幸祭」が執り行われます。
もうここまで来たら、根津神社の例大祭もみるっきゃないですね!

ついでに、20日(月)の敬老の日は、東京国立博物館が「無料」なので、開館から閉館まで、みっちり見て回ろうとたくらんでいます。もし僕を見かけたら、恐らく土器やら、屏風やらの前で固まっていると思いますが(汗)、声を掛けてくださいね!?

僕のお祭り見物道中について、もう少し見たい方は、
お江戸のお祭り2009,2010
をご覧ください。
深川八幡祭り20098月13日~15日に行われた、大江戸3大祭りのひとつ(いったい、いくつあるの?)深川八幡祭りは、旅の出発の準備(?)に追われていたため行けませんでしたが、去年の八幡祭りの写真をアルバムに入れました。

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2010/09/12

北海道で出会った、旅の恩人に会いに行く。

家に帰ってくるときに、千葉県船橋市に住む前回の旅の恩人に会いに行きました。

旅の恩人である徳田さんと知り合ったのは、北海道の知床(羅臼)です。

知床峠知床峠を下る途中にある羅臼ビジターセンター近くの駐車場のトイレを借りたときに、徳田さんに声を掛けられました。自転車で日本一周してることを伝えると、すっかり意気投合し、缶ビールを飲みながら、徳田さんの車の中で一夜を明かしました。

そこで別れたあとも、電話などで「今、どこにいるんだ?生きてるか?」と心配し励ましてくれ、僕が釧路で財布を落としたときも、400㎞以上も離れている稚内周辺から駆けつけようともしてくれました。

「近くに来たときは、家に泊まりに来い。」と誘ってくれていたので、東京のアパートに戻る前日、船橋の徳田家に一晩泊まらせていただきました。とても楽しい一夜でした。

そのあとも連絡は取っていましたが、徳田さんに会うのは、それ以来です。
今回は、ちょうど船橋近辺を通るため、そして、旅の再開の報告のために、会いに行きました。

午後2時、懐かしい徳田家に着くと、前回と変わらず、わんちゃんが2匹、僕を出迎えてくれました。
わんちゃんの鳴き声で徳田さんが顔を出したので、久しぶりに顔を合わせて、あいさつ。変わっていません。
そのまま、離れにある、徳田さん専用の“掘っ立て小屋”、、じゃなくて、“お城”に入りました。

徳田さんは、農業を営んでいて、今はちょうど、ナシの収穫最盛期。冷蔵庫で冷やした、商品にできない小ぶりのナシを出してくれました。


うまい、うまい。

ほんのりと酸っぱくて甘い汁が、口の中に広がります。真夏の日差しが照りつける中を走ってきて、のどが渇いてたまらない僕は、気づいたら2コほど、ペロリと食べてしまいました。

ナシといえば、秋の味覚。
こんなに暑いのにもう秋? まだまだ全く実感が伴いません。
この辺りは、ナシの収穫が盛んのようで、ここに来るまで道路沿いのいたるところに、ナシの直売所がありました。徳田さんは、基本、直売所で売っています。

「市場で売っているナシとは、食わしてるもん(肥料)が違う。市場は、大きさが一番だが、こっちは大きさプラス“味”で勝負だ。」

と、誇りを持ってナシ作りに取り組んでいました。

肥料を決まったときに決まった量入れ、消毒も年に10回するなど、みっちりとスケジュールが組んであるようです。部屋にかけてあるカレンダーには、事細かに「やるべき事」が記入してありました。

手間暇かけたナシだから、やっぱりうまい。その思いが伝わったのか、徳田さんは、もうひとつ、ナシを出してくれました(笑)。

ただ、今年の異常な暑さのせいで、ナシの出きが良くないそうです。
昼夜の寒暖差が少ないため、ナシも夏バテしてしまって、例年より小ぶりになってしまうということでした。
旅好きの徳田さんには、四国や北海道などにもお友達がいますが、北海道のお友達は「この暑さで、じゃがいもの中に空洞ができて、ポテトチップスにならない。」と悩んでいるそうです。

ほんと今年の夏は暑い。いろんなところにその影響が広がっています。

徳田さんは、根っからの旅人で、日本中を車で走り回っています。

北海道には7回、四国にも7回、九州には5回、行ったそうです。

四国八十八箇所パネル部屋の壁には、日本全国の地図がはってあり、四国八十八箇所や、北海道三十三観音霊場の御影札(おみえふだ)をはった額装などもかけてあります。



旅の地図前回も見せていただきましたが、徳田さんが「家宝」と呼んでいる、ボロボロの日本全国の地図帳をまた見せてもらいました。

徳田さんは、旅するときに必ずこの地図帳を持って行きます。そして、通ったルートには線を引き、行ったところには丸印をつけ、道の駅ではスタンプを押し、知り合った人の電話番号、メモなどなど、余白を埋め尽くすように何か書き込んであったりしてあります。
前回見たときも、すでにすごい書き込み量でしたが、ここ2年間の間に、四国八十八箇所めぐりをしたり、九州の天草の方に行ったりしているので、ますます大変なことになっていました。

「今日も泊まっていけ!」

と徳田さんは言ってくれましたが、徳田さんは、この後17時からナシの消毒、明日は朝5時に起きて仕事をしなければいけません。

「ナシの収穫、手伝います!」

と申し出ましたが、どうやら完全素人の僕は“足てまどい”のようです。。邪魔しちゃ悪いので手伝うことはやめ、今日は僕のアパートに帰ることにしました。

家の向かいの建物では、徳田さんの奥さんが、採れたてほやほやの徳田さんのナシを売っています。
奥さんが「よく来てくれたね。」とお茶を出してくれたので、そこのイスに座って、つい長話。ナシのことや、お雑煮のことなど、話は弾みます。

いただいたナシ帰るときに、「ナシ、持ってて。」と、売り物のナシ一袋&数個と、とんかつも、いただきました。
感謝、感謝。本当にうれしいです。カバンにナシを詰め、徳田さん夫婦に別れを告げました。


これからも度々、近況報告します。ありがとうございました。

大地も人もでかい、北海道!

「ここって日本?」

と思わず叫んじゃいそうな、日本のフロンティア、北海道!

北海道の雄大な自然は、ある意味、カルチャーショックですが、底知れぬ魅力を感じます。僕の周りでも、沖縄と並び中毒者続出中!

●北海道の無料温泉露天風呂

北海道には、数多くの温泉があり、無料の温泉露天風呂もちらほら点在しています。

徳田さんと出会うちょっと前、知床峠の下り途中にある秘湯「熊ノ湯」に立ち寄りました。
地元の人たちに混じり、岩をくりぬいて作ったような露天風呂に浸かります。

熊ノ湯とにかくお湯が熱い!!

何とか我慢して入っていると、それに気づいた地元の方が、「水、入れてもいいよ。」と言ってくれたので、蛇口をひねってちょろちょろ水を出し、そのホースの前を占領。
こういうところで自分勝手は厳禁です!?
地元の方や旅をしている方と、少しずつ話をして、別れ際には、けっこう仲良くなりました。

あともう一つ、僕が気に入った無料の温泉露天風呂が、屈斜路湖畔の「コタン温泉」。

ここは屈斜路湖畔の一角を石で囲んだ露天風呂で、湖の中に入っているみたいです。

コタン温泉とにかく景色がいい!!

眼前に広がる、屈斜路湖。その奥には、数時間前に越えてきた美幌峠のある山々がそびえ、遠く周りを囲んでいます。

温泉につかっていると、管理人の方が、オカリナを吹き始めました。透き通ったオカリナの調べが辺りに響き渡ります。
僕は、時の経つのをしばし忘れ、壮観な自然の中に溶け込んだような、自分という存在が消え去ったような、そんな気分になりました。

●北海道で出会った、ケタ外れに親切な恩人

先ほど、釧路で財布を落としたと書きましたが、結局、その後、1週間ほど無一文で過ごしました。

その時、浅はかな僕は、お金や身分証明書、カードなど全てを財布の中に入れていました。
財布をなくすと、それら全てがいっぺんになくなってしまいます。
どうやって生きていこうと、さすがにあせり、釧路のハローワークに飛び込んで、日雇いの仕事を探しました。スタッフの方が手を尽くしてくれましたが、身分証明書がないので結局、働けず・・・。
2,3日、絶望の淵にいましたが、幸い、カバンの中に、食パンや、じゃがいも、玉ねぎなどの食材が入っていたので、気を取り直して先に進むことにしました。

帯広で、事情を話しタイヤをツケで購入させてもらったりしながら(この方も、信頼おける、素晴らしい方でした。)、何とか新冠に来たとき、札幌で知りあった「家に泊まりに来て。」と誘ってくれた方のところに電話しました。

それまでに、何回か電話をいただいていたので、「あと数日で伺います。」というお知らせの電話だったのですが、財布を落としたことなどをちらっと話すと、室蘭から約150㎞離れている新冠まで車ですっ飛んできてくれました。
そして、お金を貸していただき、そのうえ、近くの温泉に行き、ご飯もごちそうしてくれました。

僕は、感謝の気持ちと共に、「こんな親切な人が世の中にいるのか!?」とただただビックリしました。
札幌の観光地でただ1度、ちらっと会っただけの僕に、こんなによくしてくれるなんて・・・。
マジ感動しました。

「このまま車に自転車乗っけて、家に来る?」

とありがたい申し出をいただきましたが、頑なな僕は、それを断り、その場はそこで別れました。

その1週間後、札幌でカードを発行してお金を手に入れた僕は、室蘭の土開さんのお宅にお邪魔になり、2泊3日、天国にいるような日々を送らせていただきました。
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