2010/10/30

不老山に住む仙人!? ~久米仙人が見たものは?~

10月18日(月)~27日(月)まで、静岡県小山町に住む岩田澗泉さん(84)の家に1週間、泊めさせていただきました。

ただいま小山町の町議をしているこの方、一言で言えば、変人(褒め言葉)です。

変人は、変人を知る!?
僕はよく、「変わってる。」と言われますが(実際は、いたってノーマルです・・・。)、この人は本当に変わっている方です。

今回のことを書く前に、前回の出会いから、ひも解こうと思います。

2009年2月、アパートの解約をしようと(結局解約せず。ただ今、友人が住んでいます。)、三重県から東京に戻る途中のことです。

夕方、少しでも標高の低いところで寝たいと、御殿場からぐんぐん道を下っていました。
鮎沢川に差し掛かったとき、自転車を降りて鮎沢川の写真を撮っていると、後ろから声をかけられました。
岩田さんです。
少し話をしたあと、家に招待されました。

岩田さんの制作中の道標すぐ近くの家に行きます。土間には、制作中の道標が転がっていました。
岩田さんは、年間40回ぐらい不老山に登っていて、登山道に、数多く、自作の道標を立てています。
そのとき作っていた道標のひとつに、「不老山に千回登らにゃ、不老不死の仙人にはなれんわい。」って道標がありました。
「そこにひとつ、クイズを書くつもりだ。」と岩田さんは言いました。

そのクイズとは、

吉野川上空を雲にのって飛んでいた久米仙人が何かを見た途端、雲から落っこちました。何を見たのでしょうか?

というものです。

僕は答えを考えます。というか、、考えるまでもなく、僕にはひとつの答えしか思い浮かびません。

「でも、まさかなぁ・・・。違うよなぁ・・。」と思い、口から答えが出てきません。

岩田さんは、急かしてきます。間違えたら恥ずかしいので、あんまり言いたくなかったんですが、、、答えました。

「女の裸・・・ですか??」

岩田さんは、

「うーん、おしい。」

と言って、答えを教えてくれました。

答えは、「女のはぎ(ふくらはぎ?太もも?)」。

このことは、広辞苑に載っていると、広辞苑の「久米仙人」の項を見せてくれました。

広辞苑には、
・・(略)・・今昔物語集・徒然草などに出る。
と載っています。

僕の世代から下にとって、「仙人=すけべ」だと思いますが(?)、エロ仙人は、日本の伝統だったんだと、この時、初めて知りました!

※ほんと残念ですが、僕も雲に乗ることは、できない気がします(涙)。

「どういう風に出てるんだろう?」と2人で意気投合。「よしっ!調べてみよう。」ってことに!?

その前に、もう暗くなってきたので、「家に泊まっていけ!」と、長年放置してある裏の家屋に案内してくれました。廃屋っぽいですが、「家は漏らぬほど、・・・」ということで、僕にはもったいないくらいです。

母屋の居間で、岩田さんお手製の夕食をいただきました(岩田さんの手料理は絶品です。)。

ご飯をいただいたあと、岩田さんが、奥の部屋から、ハードカバー・箱付きの「徒然草」と「今昔物語集」を持ってきました。
かつて国語の教師をしていた岩田さんの家には、日本の古典文学の書籍が一式ズラッと揃っています。

2人で、手分けして、ページをめくって探します。

久米仙人、久米仙人・・・。

すぐ見つけることができません。

15分ぐらい探して、やっと見つけることができました。

徒然草の記述は、雲から落ちてしまった仙人に共感する内容です。いやぁ同感!?

今昔物語集の記述も発見。
久米仙人は、その後、仙人として活躍していました。

2人とも、大満足。

岩田さんの選挙ハガキ岩田さんは、現在町議をしていて第3期目。前回の選挙ハガキ(ポスターも一緒)を見せてもらいました。書いてあることは、ほんと立派です。まさに仙人。

「明日、不老山に一緒に登るか?」と誘ってくれましたが、早く戻りたかった僕は、「また次の機会に登ります。」と答え、次の日、東京に向け出発しました。

そして、今回へ・・・。

岩田さんの道標
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2010/10/28

神奈川のお雑煮 第2回 ~ハバノリ文化圏~

伊勢原市から、小高い善波峠を越えて秦野市に入ります。

やっぱり、ここも里芋と大根を中心としたお雑煮のようです。
10人近くにお雑煮のことを聞いたとき、ひとつ、気になることが出てきました。
お雑煮に、「青のりを入れる。」という方がちらほらいるのです。

現在は、地域のお雑煮一色になることはなく、各々が様々なお雑煮を作っていることが多いので、1人の方が独特なお雑煮を語っても気になりませんが、それが2人になると「あれ?」と疑問に思い、3人になると「これはもっと確かめてみないと。」という気になります。

先祖代々、ここに住んでいる方だろう。と思われる方が、「青のりを揉んでお雑煮に入れる。」と言うのが続くと、無視できません。

秦野市史には、「大根と里芋」の記述だけで、「のり」については書いてありませんが、こうなったら、腰をすえて、聞きまわらざるを得ません。

道を歩いている方や、お店の方に、尋ねます。

「のり」の話はたまに出てきますが、どうも決定的な話が聞けません。
暗くなりかけたその時、お店から出てきたおばあさんに声をかけました。

そのおばあさんは、話します。

「・・(略)・・仕上げに、青のりを揉んでボロボロにしてふりかけるんだよ。・・(略)・・昔は、青のりじゃなくて、ハバノリだったんだけどね。今は2枚1500円ぐらいして高いから、代わりに青のりを入れてるんだよ。昔?そうそう、戦前はほんと安かったんだけどね・・(略)・・。」

これを聞いて、僕は確信しました。

ハバノリ。
そういえば、少し前に尋ねた方も、ハバノリの名前をちらっと出していましたが、流してしまっていました。このおばあさんの話で、秦野で「のり」について聞いたことがつながっていきます。

ハバノリについては、「日本の食生活全集14 神奈川の食事」の「小田原<片浦>海岸の食」に出てきます。
僕は、「千葉県のように、海沿いの人たちは、ハバノリを入れるんだなぁ。」と思っていましたが、「海沿いの人」という固定観念のため、秦野市という内陸で「のり」を入れるという発想が欠けていました。

秦野にもお雑煮にハバノリを入れていた方々が、まとまっていたんだ。

と(勝手に)確信しました。

そして、次の日、秦野市を離れ、川音川に沿って延びる246号線を下って、松田町に行きます。

その一帯で、お雑煮のことを聞くと、秦野市より、明らかに「ハバノリ」(青のり)をお雑煮に入れている人が多くなります。南足柄市、松田町、開成町、そして、山北町でも、「ハバノリ」を入れる方は、数多くいました。

なぜ、この内陸に「ハバノリ」を入れる人が多いのか?


より大きな地図で お雑煮マップ 2(関東甲信) を表示

江戸時代までの文化は、自然環境や気候によって、分かれることが多いです。

上記の地図を見ると、小田原市から北に細長く平野(足柄平野)が広がっているのが見て取れます。
足柄平野の真ん中には、この平野を作った酒匂川が流れています。
この酒匂川に沿って、ハバノリが運ばれ、周辺の村々に「お雑煮ハバノリ文化」が広まっていったと考えられます。

※現在でも、このあたりは「小田原都市圏」として、ひとつの圏域になっています。

足柄平野と、川音川でつながる秦野盆地にも、この「お雑煮ハバノリ文化」が流入しているということは、江戸時代、秦野は足柄平野の村々との交流が活発だったのでしょうか?

謎は深まります。

  • ハバノリは、小田原文化圏のものなのか?
  • 平塚や茅ヶ崎でも入れるのか?
  • 三浦半島でもハバノリが採れるので、やっぱりお雑煮に入れるのだろうか?

そのことを確かめに、いつかは分かりませんが、この旅の間に、神奈川県の海岸も尋ねまわる予定です。

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2010/10/26

神奈川のお雑煮 第1回 ~里芋と大根~

横浜からお雑煮のことを聞き始めました。

御殿場を目指して、西へ西へと進んで行きます。

聞き始めてすぐ、神奈川の雑煮は東京と違うことに気づきます。
漠然と、東京と神奈川は同じ文化圏で、お雑煮も一緒のような気がしていましたが、そんなことはありませんでした。

しょうゆ味の汁に角餅を焼いて入れるのは同じですが、微妙に具が違います。
当然、現在はバラエティに富んだ様々な具が入っていますが、東京のお雑煮に入っていることが多い具が「小松菜などの菜っ葉類」なのに対して、神奈川のお雑煮は「里芋と大根」が高い確率で入っています。

※東京で聞くお雑煮にも、里芋や、大根が入っていることは多々ありますが、その他の具のひとつのような気がします。

神奈川の人が具について語るとき、

「里芋と大根。・・あと、鶏肉、小松菜・・・」

みたいに、「里芋と大根」がまず始めにくることが多いです。

横浜では、里芋と大根に、青みとして小松菜などの菜っ葉類、赤みに人参、だしに鶏肉などを入れる人が比較的多くいますが、厚木市あたりからは、里芋と大根だけの人が、比較的多くなります。

厚木市が編纂した「厚木の民俗」を読むと、特にそれが顕著で、雑煮について答えていた明治生まれの方約20名のうち、1人をのぞきすべての人が、具に「里芋と大根」だけを挙げていました(1人の方は、「里芋、人参など」。)。

僕が聞いたお雑煮に関しても、厚木より西では、「里芋と大根」だけの比率が増します。
この辺りから田畑が広がり、生垣や塀で囲まれる、昔ながらの家が多くなります。
伊勢原市で、江戸時代からこの土地に住んでいると仰っていた大きな家の方は、やっぱり「里芋と大根」。
昔ながらの作り方は、大晦日に、3が日分の「里芋と大根」を水煮して用意しておくそうです。

田んぼが広がる、厚木と平塚の市境で、稲の刈り取り作業をしていた2人のおばあさんの話がとても印象的でした。

2人とも、子供の時から、里芋と大根を入れたしょうゆ味のお雑煮を食べています。

温和なおばあさん
「元旦だけは昔からの雑煮にするけど、2日からは、若い人たちが作る、鶏肉や小松菜も入ったお雑煮を食べているよ。」

威勢のいいおばあさん
「鶏肉?鶏肉なんて、やだね。ギラギラしちゃってさ。お雑煮は、さっぱりしてるもんさ。」


「でも、まぁ、仕方ないですよね・・・。」

威勢のいいおばあさん
「若いモンがやりたいように勝手にやってればいいさ。この辺りのお雑煮も、もうわたしらの代でおしまいだね。」


とこんな感じでした。。

確かに、特に都市部では、その土地の昔ながらのお雑煮を守り続けていくのは難しいです。
時代が変われば、その時代にあった食べ物に変化していくのは当然です。

「おしまい」になったのではなく、新しい風習に「生まれ変わった。」と考えるべきなのかなと思っています。

ただやっぱり、僕は、昔ながらのお雑煮を聞きたいと思ってしまいます・・・。


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2010/10/17

忘恩は傲慢の産物にして、世に知られたる大罪の一つなり。(by ドン・キホーテ)

本当に嬉しくありがたいことに、前回の旅よりたくさん声をかけられている気がします。

前回に輪をかけて、ゆっくりゆっくり進んでいるからでしょうか?

大体時速10キロぐらいで、のんびり走っています。神社を見かけたらお参りしてみたり、意味なくぼーっと休憩してみたり・・。

お雑煮のことも、聞き始めるとスイッチが入ったように、おばあちゃんを中心に、道行く人たち、庭に出ている人たちに、声をかけています。

厚木に向かっている途中、藤沢市の住宅街でおばあさんに声をかけました。

お雑煮のことを教えてもらったあと、おばあさんから、

旬の時期に手に入れた大根や芋茎を、乾燥させてから冷凍保存してとっている。

という話を伺いました。

なるべく野菜は旬の時期のものを活用するそうです。
昔ながらの生活スタイルをこのモノがあふれる社会で守り続けているのは、本当にすごいです。

そのおばあさんに、

「芋茎を食べたことがある?」

と聞かれました。

「いや・・・ないと思います。」

と答えたら、

「家に食べにいらっしゃい。」

と誘ってくれました。

家に着くと、話を聞いたおじいさんと一緒に僕を歓迎してくれます。

芋茎だけではと、お昼ごはんも用意してくれました。
フキの煮物や漬物など、まさにおばあちゃんの味。ほっとします。

芋茎は初めて食べました。
この芋茎は、八つ頭ができる里芋の茎で、噛みごたえがあり、シャキシャキしてとてもおいしいです。
味付けもちょうどよく、ご飯がドンドン進みます。
あっという間に平らげてしまったので、おかわりまでいただいちゃいました。

芋茎の煮物

2時間ほど、お話したあと、お暇することになりました。

凍らして保存してあった煮物や、あられなどのお菓子詰め合わせをいただき、そして、使いまわして少し緑色に変色したペットボトルに、家でわかしたお茶を入れてくれます。

野菜を、わざわざ乾燥させて冷凍保存したり、ペットボトルを使いまわしたり(僕も今、使い回しのペットボトルに水道水を入れて持ち歩いています。)、モノを大切にする豊かな精神が、普通に息づいています。
同じ時代に生きていますが、生活スタイルが僕たちと全く違います。
周りの環境は、簡単に人間を変えてしまうことを実感します。

「今度、来たときは是非泊まっていって。」

とあたたかい言葉で見送ってくれました。

まだ出発して間もない今回の旅ですが、すでにたくさんの恩を受けています。
前回の旅も合わせると、もう受けた恩は数えきれません。

我がお師匠のドン・キホーテは、人間の犯す最大の大罪として「忘恩」を挙げています(恩の返し方は、ハチャメチャですが・・・。)。

正直、旅の途中に僕を助けてくれたすべての人に、恩を返すことはできません。
通りすがりの僕に、餞別や差し入れ、あたたかい言葉をかけてくれる人に、その場ではただ感謝するぐらいです。

受けた恩を当人に返すことは当然ですが、旅で会う人のほとんどは、一期一会。

受けた恩は、違う形で違う人に、バトンを渡すように、返していくことが大切なんじゃないか・・と思うようになりました。

でも、僕は、その人達のように、僕の周りにいる人に、あたたかい言葉をかけたり、身銭を切ることができるだろうか・・。
いまだ五里霧中です。

ズバリ答えは、旅の中にある!・・わけないか(笑)。

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2010/10/13

神奈川県立歴史博物館 ~天狗はいずこ!?~

10月4日(日)、神奈川県立博物館に行きました。

北畠神社の天狗面馬車道に面して建つ、神奈川県立博物館。
旧横浜正金銀行本店として明治37年に建設され、ドイツの近代洋風建築の影響を受けた重厚な建物です。
横浜には、このような建物が本当に多いです。港が開かれ、西洋化していった時の雰囲気が伝わってきます。

神奈川県立博物館 入り口入口に、特別展「天狗推参」の案内パネルが取り付けられています。

おっ!天狗

天狗といえば・・・

三重県の山奥で出会った天狗信仰

トトロが出てきそうな鬱蒼とした森に囲まれた、山の谷間を南下している途中、大ケヤキと十三重石塔が有名な太郎生の国津神社に立ち寄りました。
本社の上の方を見ると、天狗が描かれた額が。
「なんで、天狗?」とちょっと気にかかりました。

そして、伊勢本街道を下り、飼坂峠を越え美杉町北多気へ。

北畠神社の天狗面北畠神社に行くと、なんとそこにも、拝殿の前に大きな天狗のお面が掲げてあります。

さすがに、こうも至る所にいると気になります。

社務所にいる巫女さんにちょっと聞いてみました。

巫女さんは「山にある神社ではよく天狗が祀ってありますよ。」というようなことを言っていました

そして、去年の正月、山の中をさまよっていた僕を泊めてくれた松本大昌さんに、もっともっと山奥にある川上山若宮八幡宮まで、雪降る中、車で連れていってもらいました。

川上山若宮八幡宮 天狗のお面

キョロキョロ探すと、やっぱり天狗がいました。
この神社は、滝行で有名で(松本さんもここで滝行をしたそうです。)、その滝に行く途中の崖にも、天狗の石像が、雪の中に隠れていました。

川上山若宮八幡宮崖の途中の天狗
※わかりづらいですが、真ん中にいる像が天狗です。

「これは見るしかない。」と、特別展「天狗推参」の展示場へ。

天狗は、中国では「流星」を意味していたそうです。
天狗が、今の姿かたちになったのは江戸時代。そんなに遅いんだとビックリ。牛若丸を鍛えた鞍馬天狗の姿は、江戸時代の創作!?

平安時代や鎌倉時代の天狗は、羽の生えた鬼みたいな姿だったり、今の天狗とはずいぶん違います。

面白い展示の中でも、「天狗草紙」が目を引きます。
傲慢・堕落した坊さんを天狗の姿で表現しています。当時、天狗は魔物でした。

天狗は、鎌倉時代ごろから、山岳信仰や、山伏の修験道と結びついて、「山の神」になっていったそうです。

確かに自転車で山奥を走っていると、めちゃくちゃ怖いです。何か出てきても不思議はありません。
でも実は、天狗には出てきてほしいと思っています。出てきて、まだまだ未熟な僕を一から鍛え直してくれるとうれしいです。

まだまだ見処たくさんですが、これ以上書くと、くどくなってしまうので(すでに十分くどい!?)、このあたりでやめときます。今月末まで開催しているので、興味のある方は是非見に行ってみてください。

その後、平常展へ。

ここは平常展も充実しています。
無理やりオッパイ(!?)をとりつけた土偶や、縄文時代の、ベンガラを塗った石剣など、初めて見る展示品も数多くあります。

奈良時代から戦国時代の歴史は、ほぼ仏教に絡んだ展示。
特に、鎌倉時代は仏教に関する展示ばかりです。「石塔の種類」の展示&解説を読みました。すでに忘れてています・・・。

明治時代、横浜が開港になり、数年たった時の縮小模型を見ると、洋風建築と共に横浜が発展していった様子が、よくわかります。
※この博物館では写真が撮れないのが残念です。

とまぁなんだかんだ、特別展と平常展の両方をじっくりみていたら、結局、閉館までみっちり楽しんでしまいました(汗)。
本当は、横浜ユーラシア文化館にも行こうと思っていましたが、無理でした。。

国立博物館の「e国宝」。ー国宝 餓鬼草紙ー

先月、国立博物館の国宝室で、「餓鬼草紙」を見ました。

今まで国宝室で見た国宝の中で、最も僕の興味を引きました。

饗宴に興じる、やんごとなき人々にまとわりつく餓鬼たち。
色欲に溺れた坊さんや女たちと、一緒にいる餓鬼たち。
道端で糞尿をたれる人々と、それを食おうとする餓鬼たち。
死肉を食う犬や餓鬼たち。
鬼にお仕置きされる餓鬼・・・。

全くすごい風刺です。。ちょっとリアルすぎて怖い。
もしや、すでに僕にも取り付いてるかも!?

東京国立博物館内のパソコンでズームアップしたりしてしっかり見てきましたが、普通に家でも見ることができました。

皆さんも是非、自分がとりつかれていないか確認してください!?

e国宝 餓鬼草紙
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2010/10/06

旅は道連れ、世は情け。

10月1日(金)、横浜へ向かいました。

横浜には、今まで何度も行っています。
観光名所はほぼ回っていますが、氷川丸と日本郵船歴史博物館のチケットをいただいたので、また立ち寄ることにしました。

普段より、のんびり自転車をこぎます。
旅を始めた頃は、追われるようにガンガン飛ばしていましたが、今は時速15キロぐらいでゆったりと周りを眺めながら、進みます。

周りの景色は、見慣れたはずの東京の町並みですが、何だかとても新鮮な感じがします。
旅が始まった感動が、日常の風景を、非日常の風景に変えてしまったようです。
さわやかな秋風が肌をくすぐり、とても心地よく感じます。
どんどん気分が高まります。
旅が始まった高揚感で、体の奥底から力がわいてくるようです。

東京サンケイビル前大手町では、ビルの谷間にあるランチタイムスペースにステージが設けられていて、シンガーの女の子(服部なな子さん)が熱唱していました。僕もその美しい歌声に耳を傾けます。

品川神社鳥居国道15号線(第一京浜)沿いの品川神社でお参りをします。
ここには、富士山(富士塚?!)があるので、早速、頂上まで登りました。この先、本物の富士山を目指すべきかいなか・・・悩みます。


軽快にペダルを回して風を切って進みます。

蒲田のあたりで、後ろから声をかけられました。
振り向くと、MTBに乗った白髪の男の人が笑っています。

その人は、有山さんといい、なんとこれまでに、自転車で日本を3回、回ったことがあるそうです。
地元の人に泊めてもらったこと。警察官に職質されたこと。東北の大きなバス停に泊まったこと(雪国のバス停は、ちょっとした小屋のようになっています。)などなど、すごい武勇伝を持っています。
旅好き同士、話がつきません。

「今度、うちに遊びに来い。」

と、埼玉の家の住所、電話番号、駅からの地図を教えていただきました。

「自転車が5,6台、置いてあるからすぐわかる。」と言っていましたが、確かに、有山さんが乗っているMTBは、ソーラー電池で光るライトが4つもついている個性的なものだったので、庭を見ればわかるような気がしました。

「今度、一緒にどこかへ行こう。」と約束を交わします。

有山さんが、「このまま川崎大師に行きたいけど、もう遅いから帰るか。」とおっしゃったので、僕は

「一緒に行きましょう!」

と声を掛けました。

川崎大師・・。
日本の仏教(密教)の開祖であり、旅の達人でもある、弘法大師こと空海
空海は、僕が最も好きな宗教家のひとりです。
前回、京都の東寺に行ったとき、食堂で「空海の歩いた道」という写真展がやっていました。
そこには、ごつごつした岩にはさまれ、体を横にしてやっとすり抜けられる道など、空海が中国で歩いた、道なき道の写真が、ずらっとならんでいました。

そのとき「これはすごい旅だ!」と感嘆し、空海のファンになりました。

そういうわけで、僕の今年の初詣は、西新井大師です。これも何かのご縁でしょうか。

川崎大師表参道多摩川を越え、川崎大師が近づくと、大きな参道の両側に、せんべいやさんや、飴やさん、だるまやさんなどがずらっと並んでいます。
さすが、「関東3大厄除け大師」のひとつです。


川崎大師大山門大きな大山門をくぐり、まずは大本堂でお参り。有山さんとは、そこで別れましたが、性格上、僕は伽藍をぐるっと回ってみなければ気がすみません。ひとつひとつゆっくり見て回ります。

前回の旅から、僕は、仏教や神道に目覚めたようです。
日本の文化や歴史を理解するには、仏教や神道の知識・理解が欠かせません。

前に一度書きましたが、行く先々の地域や場所について、あらかじめ知識があるのとないのとでは、そこから得るものが全く違います。
僕もまだまだ若輩者で、実際はほとんど知らないので、見過ごすことばかりで、後悔しっぱなしです(涙)。
日々勉強ですね。

横浜が近づいてくると、警察官がいたるところにいます。
背中に「山口県警察」などと書いてあります。来月(11月7日~)、みなとみらい地区で開催されるAPECのために、警察官が全国から応援に来ているようです。検問したり、木の上を見上げながらパトロールしていたりと、厳戒警備中です。

みなとみらい地区
みなとみらい地区に到着。夕暮れ押し迫り、暗くなる寸前です。
横浜は、いつでも絵になる街です。

山下公園からみなとみらい地区を望むあっという間に、とばりがおりました。
山下公園で夜景を眺めたあと、「港の見える丘公園」への急坂を上っていきます。


港の見える丘公園からの夜景ベイブリッジの輝く夜景に、カップルたちと一緒に引き込まれます。
心地よい夜風に吹かれながらローズガーデンを散歩して、寝る準備をします。


このブログを書くためのパソコンが使えなかったので、ただ今、家に戻ってきています。昨日、新しいパソコンを購入しました。まだ届いていませんが、いろいろセッティングをして、来週初めに再出発する予定です。
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