2010/07/08

自己認識とは、“純真さ”を失うようなもの。(ハーバード白熱教室から)

先月上旬には出発する予定でしたが、まだ東京にいます。
グズグズしているうちに、梅雨に入ってしまい、出そびれています。

最近は、旅の準備やブログ、そっちのけで、Wカップの観戦と、NHKで先月まで放送していた「ハーバード白熱教室」にはまっています。

ハーバード白熱教室。これがマジで面白い。

トロッコ問題」の考察から講義が始まります。ある人を助けるために、人の命を能動的に奪うことは正しいこと(正義)なのか?やはり僕も「太った男」を線路に突き落とすことはできません。

ベンサム、J.S.ミルの「功利主義」や、カントの難解な「義務論」、サンデル教授自身の「コミュニタリアニズム」などなど、何度聞いても自分が本当に理解したのか不安になります。(ぶっちゃけ、理解していない(汗))

特に、第7、8回で取り上げられる、ジョン・ロールズの正義論は、目からウロコ。
「努力」における彼の考察を聞いたとき、頭を殴られたみたいに、しばらく放心状態になりました。

「努力する」という精神は普遍的なもので、心の持ちようによって誰でも身につけることのできるものだと漠然と思っていました。

しかし、ジョン・ロールズは、「努力」すらも恣意的なものだと看破しました。
ロールズは、こう言います。

ある人が強い勤労倫理を持って、根気強く頑張り、努力した、としても、その努力すら、幸運な家庭の状況により生じるものであるから、私たちは、自分の功績だとは、主張できない。

うーーーん。努力は自分の功績ではない・・・。
僕は、高校生の時ソフトテニス部に所属していました。勉強そっちのけで、インターハイに行くことばかり考えていた「テニスバカ」(英語の先生が命名。)でしたが、高3の県大会の前、「勝負は時の運。」などと考え、自分を追い込むことのないまま練習し、そのまま戦いに挑み、無残に敗れてしまいました。。(本当にパートナーや仲間たちに申し訳ない。)

そして、その挫折以来、僕は「努力信奉者」になりました。
※自分が実際に「努力のできる人間」かは棚に上げて・・・。

努力できることは才能だ。

と、いいます。
僕は、面白い表現を使って、「努力すること」を応援している言葉だと思っていましたが、ロールズは、その文字通りに、努力も「才能」と捉えているということですね。
でも、確かに、そのロールズの主張を否定することができない。これまでの自分の経験から、その側面もまた、真実だと感じます。それでもなお、(自分のことは堂々と棚に上げて、)僕は「努力の大切さ」について、変わらず主張していきたいと思います。
努力は天性のもの、育った環境によるもの等の議論は、関係ない。
それを実践しようと決意するのに、遅すぎることなんてない。
人間は変わることができる。
これもまた真理だと思っています。

もうひとつ大切なこと。
努力できない(しない)人間は、間違っているのか?劣っているのか?
もちろん、そんなことはありません。努力も、他の価値観と同様、各々が選択することができる価値観のひとつだと思います。公正に平等に。この講義を通して、「全ての人間に対する深い愛情」を感じることができました。

「この講義の目的は理性の不安を目覚めさせ、それがどこに通じるかを見ることだった。」とサンデル教授が言うように、

正義とは何だ?
僕が今まで信じて疑わなかった正義は本当に正しいのだろうか?

と、僕の信念がグラグラとぐらつくのを感じます。
ファウスト』の中で「人間は努力する限り迷うものだ。」と、主がつぶやきます。僕もいつまでも、「迷える人」でありたいと願っています。

講義中、紹介されたアリストテレスの言葉。
「美徳とは、実践し、自分で行動することによってのみ得られるもの。」
その言葉を胸に、Wカップや参院選の後、梅雨が明けた「夏休みごろ」に出発しようと思っています。

P.S:ノーブラの学生が目につき、気になってしょうがないのは、僕だけ??

ランキングに参加しています。
にほんブログ村 日本の伝統・文化 人気ランキング
↑クリックしていただけるとうれしいです。
いつも、温かい励まし、ありがとうございます。

6 件のコメント:

卓仁くんだよ。 さんのコメント...

ロールズに限らずアメリカという国はピルグリムファーザーズから始まる純然たるプロテスタントの国だから、「努力」や「勤労」という概念は当たり前のものとして捉えることが精神の根底にあるわけじゃん。

これを噛み砕いて説明したのが、M・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でしょ。

ロールズの『正義論』って言ったら、要するに、「パターナリズムvs個人の自由」の図式じゃないですか。以前貸した本に詳しく書いてありまっせ~。

狛 さんのコメント...

時間が合えばシャガール展見に行きません?

Masato.M さんのコメント...

> 卓二くんだよ。さん

コメント、ありがとうございます。

アメリカとか関係なく、「努力」や「勤労」は、多くの社会で尊重すべき美徳として捉えられていると思います。特に「勤労」は日本人の代名詞にもなっています。

M・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にも、「勤労」の精神は、古代中国、古代エジプト、古代ギリシャ、カトリックにも存在していると書かれています。

ちなみに、「プロテスタンティズムの倫理」は、勤労や節約のみならず、特に、行動的禁欲や天職(ベルーフ)意識を含めた、プロテスタントの包括的エートスだと述べています。

それらに該当する箇所のひとつが以下の文になります。

------------------------------------------------------
すなわち禁欲的なプロテスタンティズムの特徴は、(いずれ詳しく考察するように)、世俗の職業(ベルーフ)のうちに、自己の宗教的な救いが確証されていると考える<救いの確かさ(ケルティテュード・サルティス)>をみいだすことにある。これはいわば心理的な報奨であり、「勤勉(インドゥストリア)」にこのような宗教性が与えられているということが重要な特徴なのである。
P.111『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(日経BPクラシックス)
------------------------------------------------------


以前、卓二くんだよ。さんに借りた本(教養としてのロースクール小論文〈上〉自己責任と資本制)は楽しく読ませていただきました。ただ、ロールズに関しては、Wikipediaぐらいの記述しか載っていなかったと思いますよ。

本の中で、ロールズの格差原理(最も不遇な立場の者の利益を最大にする原理)を「パターナリズム」として挙げていましたが、僕はちょっと無理があるのではと思っています。


今度、遊びに来てください。いろいろ話をしましょう。

Masato.M さんのコメント...

> 狛さん

芸大美術館で開催してる「シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」ですね。
行きたいですね-。予定が合えば、行きましょう。
また連絡しますっ。

P.S:今度は、一緒に会場を出ましょうね!?

匿名 さんのコメント...

つかこうへいがどこかへ逝ってしまったのと最近蒲田あたりを通り過ぎて行くところがあって、なんということもなくこんな歌を見つけました。こんなテーマソングはどうだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=4WAsvwwAafE

しばらく前に本屋に行ったらば Justice なんて本が平積みになっててちょっと気になっていたから Youtube なんかで探したけど日本語のはなくってようやく見つけたところ、大学が自分であげてると思われる英語のものしかなくってしょうがないからダウンロードだけしていたんだが、頑張って Episode 3 くらいまで見てみた。僕が一番気になったのはマイク担当の黒髪のネーちゃんがすげーかわいいところ。英語難しいししかたないよな。なんだか非常によこしまなんだが、カエルの○はカエルってことでしょうがないよな。

ちなみに僕はドガのやつを見に行きたい。まだやってないけど。。。

アディオス!!

あと、個人的な意見なんだが、峠の先にと道は続くの間に「、」はいらないんじゃないかと、というかないほうがいいんじゃないかと思う。僕の感覚でなんだが、「峠の先」には道があるはずなんだが、「、」があるせいで「峠の先」とその先にあるはずの「道」が断絶が感じられてしまう。そこに余韻を置きたいのならスペースのほうがよいかも。。。まー勝手に僕が感じていることなのであまり気にせずに。

改めて アディオス!!

Masato.M さんのコメント...

> 匿名さん

コメント、ありがとうございます。

ハーバード白熱教室のオリジナルは、公式に公開しているようですね。個人的には、吹き替え版も無料で公開して、見たい人がいつでも見えるようにしてほしいです。確かに、マイク担当の黒髪のネーちゃんはかわいいですね(笑)。

ドガ展もあるんですね。秋ですか。楽しみですね。

「、」については、つけるべきか、つけないべきか、確かに悩みました。結局、フィーリングで「、」をつけました。僕は、「、」が好きなんです(汗)。その不自然さもわかりますが、あまり深い意味はないので、継続性を持たせるため、このままでいきます。
ご意見、ありがとうございました。

コメントを投稿