2011/09/02

「ビッグパレットふくしま」でボランティア 第1回 ~初めてのボランティア仲間~

前回の更新から、1か月以上が経ちました。
僕のブログ更新は、BBモバイルポイントを利用してマクドナルドで行っているのですが、南相馬のマクドナルドは、営業停止中・・・。
現在、南相馬を出て仙台で、体制立て直し中です。

福島第1原発事故後、福島県最大の避難所となった郡山市の展示施設「ビッグパレットふくしま」でのボランティアについてです。

6月25日(土)、大雨の中、パンク修理・タイヤ交換などに追い込まれながら(汗)、郡山へ到着しました。

週があけた月曜日、東日本大震災被災地のボランティア情報を収集するため、郡山のボランティアセンター(ボラセン)に行きました。
ボラセンで話を伺うと、ビッグパレットでもボランティアの募集をしているというので、その日の午後、ビッグパレットへ。

ビッグパレットふくしま
ビッグパレットには、原発20km圏内にある富岡町や川内村の方たちが避難しています。僕が行ったときには、まだ800人近い方が避難生活を送っていました。
富岡町と川内村の災害対策本部が置かれていたり、自衛隊が駐屯して風呂(練馬の湯)を作っていたり、救急車が停まっていたりと、はじめは物々しさを感じました。

ビッグパレットふくしま おだがいさまセンタービッグパレットには、川内村と富岡町の社会福祉協議会がビッグパレット内に作った「おだがいさまセンター」という避難所ボラセンがあります。
到着後早速手続きをして、すぐに「物資」のボランティアをすることになりました。

「物資」のボランティアでは、ビックパレットふくしまAホールで支援物資の整理や、被災者へ支援物資を配布するお手伝いなどをします。

ビッグパレットふくしま 物資ホール

支援物資は、石鹸、マスク、タオルなどの日用品、全国各地から送っていただいた古着、カップラーメンなどの食品、水などがメインとなり、他にも、多くの備品があります。
ここは福島県最大の避難所なので、大量の支援物資が集まり、段ボールが山積みになっています。毎日、何かしらの物資が届き、ひっきりなしに被災者の方が物資をいただきに来ていました。

物資ホール 「ガンバッペぇ~元気が1番 双葉郡」
壁には、「ガンバッペぇ~元気が1番 双葉郡」の大きな横断幕が掲げてあります。

物資コーナーに着くと、ちょうど目の前にいたボランティアの方が、物資コーナーですることを教えてくれました。

説明を受けた後、僕が東京から来た事を話すと、彼(古川さん)も東京から来たと言って、話が弾みます。
古川さんは、この避難所で1カ月近くボランティアをしているということです。物資コーナーに関すること以外にも、ビッグパレットふくしまについていろいろと話してくれました。

ボランティアは、午後4時までとなっています。
そのあと、古川さんに誘われ、マクドナルドへ行きました。

郡山市や福島市のある中通りは内陸なので津波の被害はありませんが、放射線量は沿岸部より高くなっています。側溝や焼却場などは、公表値よりずいぶん高くでているらしいです。でも、マクドナルドには高校生がたくさんいて、みんな普通の生活を送っているように見えます。
いきなり、放射線についてのディープな会話。そういう場所に来たんだと実感しました。

泊まったお寺さんこの日は、古川さんが泊っていた、友達が住職のお寺に、一緒に泊めていただくことになりました。
古川さんは自転車でビックパレットまで来ていたので、田んぼの間を通り、一緒に寺へ。気さくな住職さんは快く泊めてくれ、スパゲッティをいただきました。

それから3日間、そのお寺に泊まりました。

3日目のボランティアの後、ギターを持ってきていた古川さんと近くの公園に行き、古川さんはベンチでギターを掻きならします。ジョギングや散歩をしている人たちが立ち止まって聞いてくれたり、拍手してくれたり、すっかり人気者です!?
音楽の力はすごいなと実感しました。
僕は、負けじと富士吉田で手に入れた鼻笛を取り出して吹きました。いまだにドレミができず、ただ音が鳴っているだけですが・・(ほんとに日本鼻笛協会富士山友の会の普及委員?…汗)。

4日後、古川さんは、東京に帰りました。
東京からヒッチハイクでここまで来た古川さんは、国道4号の脇で、段ボールに「東京」と書いて掲げ、30分後に止まってくれた車に乗って、颯爽とその場を後に。

ヒッチハイクしている古川さん

その日、無事に東京に着いたようです。。

2 件のコメント:

狛 さんのコメント...

鼻笛を極めて周りの方を勇気付けてあげて下さいよ。

Masato.M さんのコメント...

が‥、がんばります!

コメントを投稿