2010/06/18

三重・奈良・大阪のお雑煮で気になったところ 第1回

前回のお雑煮調査で、僕が気になったポイントについて書きます。
細かく見れば、気になる点は山のようにあるのですが、それを一つ一つ書いていると出発できなさそうなので(汗)、特に気になったポイントを、今回2点、次回3点、次々回3点の合計8点、紹介します。
「お雑煮マップ」の該当箇所をクローズアップして載せ、その下に解説文を書いています。

1.丸餅と角餅の境

こちらの日本列島雑煮文化圏図を見ると、布引山地に沿って三重県を分断するように、丸餅と角餅の境界が走っています。
三重県内に走るこの境界を、3ヶ所にわたって通り抜けました。



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最初に横断したのは、伊賀市から亀山市に行くときです。

お雑煮のことを聞き始めて2日目にここを通りました。この時はまだ、お雑煮調査に熱をあげていないので、多くの人に聞いていません。

大和街道の案内板伊賀市と亀山市の間を通る大和街道(現在の国道25号線)を通っていきました。布引山地を横断しますが、標高はそれほど高くありません。紫の線は、標高が最も高い伊賀市と亀山市の市境に引いたものです。

亀山市に入る手前の家の夫婦に尋ねたときは丸餅でした。
森と採石工場に挟まれて延びる、荒れた道を通り抜け、山と森に囲まれて細長く広がる亀山市の加太の集落に到着。家の庭の手入れをしていたおばあさんに尋ねると、角餅に変わっていました。

おばあさんの短歌他そのおばあさんに誘われ、お茶をいただきながら、このおばあさんが詠んだ和歌などを見せてもらったり、戦争の話など、いろいろな話をしました。
また彼女は、郷土の料理についても造詣が深く、彼女も関わった「三重 味の風土記」という本を貸してくれました。この本にはなんと、「雑煮」の項目があり、三重県内の各地域のお雑煮について説明が載っています。三重県は、東西の文化がぶつかる境界に位置しているため、地域ごとに様々なお雑煮が伝わっています。
「こんな人にいきなり出会えるなんて、これは運命なのか!?」と、お雑煮にハマり込むきっかけになりました。


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海岸線を辿って紀伊半島をぐるっと回る予定でしたが、大阪市立自然史博物館で開催されていた「ようこそ恐竜ラボへ!」展を鑑賞するために、トンボ返りすればいいやと、津市から一路大阪へ行くことに(実は、僕、恐竜大好き人間なんです。)。

その時、津市から長野峠を越えて伊賀市に行くルートを通りました。
中央の紫の線がひいてあるところが、長野峠です。東側は角餅、西側は丸餅ときれいに分かれました。

東側から西側に峠を越え、初めての集落に到着すると、本当に餅の形が丸餅に変わるのか確かめるため、この旅初めて、「すいませーん。」と家の中にいる人に呼びかけました。
その時顔を出してくれたおばあさんは、こころよくお雑煮のことを教えてくれました。
期待通りの“丸餅”。そのときの感激は、今でも思い出すことができます。


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大阪に向けて出発してから3ヶ月後、やっと津市に戻ってきました。

この時通った道は、雲出川に沿って延びる、なだらかな道です。
川に沿って途切れることなく人々が住んでいるからか、角餅と丸餅の境界はあいまいです。

奥津宿の町屋建築奈良側から坂道を下り、丸餅から角餅へ、がっつりと変わったのが、伊勢本街道の奥津宿からです(お雑煮番号655~)。
奥津では、まだ丸餅の人もいましたが、奥津からすぐ東の飼坂峠を越えて上多気に入ると、完全に角餅に変わっていました(お雑煮番号670~677)。

雲出川沿いを走る名松線また飼坂峠を越えて奥津に戻り、雲出川に沿って津に向かいました。雲出川沿いは、しばらく角餅と丸餅が混在します。八知の集落(お雑煮番号680~700)を過ぎるとほとんど角餅に変わるので、八知の集落がちょうど境目になるような気がしますが、スパッとした区切れ目はないのではないかと思います。

2.大阪(河内国)と奈良(大和国)の境

行きと帰りの2回、異なるルートを通り抜けました。


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大阪と奈良は、山地(生駒山地・金剛山地)によって分断されています。
その間を流れる大和川に沿って延びる、国道25号線を通って、奈良の王寺から大阪の柏原に入りました。

奈良県は、味噌汁に入れた餅を取り出して、きな粉につけて食べる「きな粉雑煮」の人が多くいます。僕の調査では、7割ぐらいの人が、きな粉をつけていました(柳生など、山里の人たちは、より多くの人がきなこをつけています。)。

奈良と大阪のお雑煮の違いとして、きな粉の他に、餅を焼くか煮るかがあります。奈良の人たちは、きな粉をつけるつけないに関係なく、多くの人が餅を焼いていましたが、大阪の人は煮る人が多いです(ほとんどの人が「煮る」ではなく「炊く」と言う。)。

大阪側に入ると、きな粉をつける人は皆無になりましたが(奈良出身者は除く)、煮・焼に関しては、くっきりと分かれていません。王寺・柏原は、大阪のベッドダウンとして有名なので、色々な地方の人が集まってきているのかもしれません。大阪側に、小豆汁(ぜんざい)をお雑煮として食べるという人が2人いたのが、ちょっと気になっています。


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大阪の太子町から、金剛山地を横断する竹内峠を越えて、奈良の葛城市へ行きました。

大葛城市に入った集落に建つ、茅葺き屋根の大和棟太子町では、僕が聞いた全ての人が、丸餅・煮・白みそのお雑煮でした。竹内峠を越えて、奈良側に行くと、焼餅一色になり、きな粉をつける人もちらほら現れました。

丸餅と角餅の境となった長野峠もそうですが、峠等の自然の障害があると、文化の違いも鮮明になります。

To be continued...
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