2010/09/18

東京のお雑煮 第1回 ~花のお江戸のお祭りでぃっ!~

台風が来るたびに、雨が降るごとに、ぐっと秋の気配が深まります。
日差しが傾き、外をほっつき歩くには、心地よい季節になりました。

近日中に旅を再開いたしますが、その前に、書こう書こうと思いながら、今までほったらかしてきた、「東京のお雑煮」について、少し書き綴ることにします。


今回の舞台は、東京下町。
時は、爽やかな南風が初夏の陽気を呼び込み、ツバメのヒナが羽ばたき始める、5月から6月になります・・・。

東日暮里4丁目の子ども神輿ゴールデンウィークが開けた最初の土日(5月8日、9日)、僕が住む東日暮里4丁目の氏社である元三島神社の例大祭が行われました。

久しぶりに、鶯谷のラブホテル街に埋もれてしまっている(?)鎮守さんの元三島神社にお参りして、子どもたちのかけ声を聞きながら、神輿行列を眺めます。

5月から6月は、ここ東京の下町では、毎週、どこかしらでお祭りが行われます。
次の週は、浅草の三社祭、その次は、学問の神様・湯島天満宮の例大祭、 6月に入って、素戔雄(スサノオ)神社の天王祭、12、13日の日本橋山王祭、そして、「たけくらべ」冒頭に出てくる三島神社の例大祭・・・と毎週末、下町のどこかで、大きなかけ声があがっています。

浅草の三社祭では、お祭りを見るついでに、お雑煮について、ちらちらと聞いて回りました。

浅草の町会の寄合所を覗くと、数人の女の人がいました。
ちょっと手が空いたようなので、中に入り、このあたりのお雑煮のことについて尋ねます。

「角餅を焼いて入れて、、小松菜、、んー、あとは、かまぼこに、ナルト・・・」

と話し始めたとき、隣の人が、

「仙台では、いくらや、ハゼを入れるんだよ。」

と切り込んできます。


そこから、一気に仙台のお雑煮の話題へ。やっぱり珍しいお雑煮はみんなの興味を引きます。

2,3分後に、どやどやと数人の女の人がやってくると、誰かが「あっ、この人、鳥取出身だよ。」と声をかけ、その鳥取出身の方が、

「えっ?雑煮??私んとこは、黒豆を入れるだけよ。」

と話し始めます。

もう少し、聞こうとしましたが、寄合所の中は、すでに戦場モード。
お雑煮を聞くどころでは、ありません・・・。僕も、早々に退散です。

東京は、ブラックホールのように日本中(世界中?)から人を吸い込んでしまうので、地方にルーツのある方が大勢います(僕もしかり)。
ここ下町なら、生粋の江戸っ子の方が多いかなと思っていたのですが、やはり地方出身の方も数多くいるようです。

※大阪では、僕がお雑煮を聞いた人たちに関してですが、西国出身の方が多かったです。

三社祭の町内神輿住宅街の中をぶらぶらと、町内を練り歩く神輿を見ながら歩いていきます。
入れ墨を体中に彫り込んだ方が威勢よく神輿を担ぎ、神輿の上に乗っかって、低く渋いかけ声をあげています。

三社祭のハッピを来たおじいさんがこちらに来ました。
早速、お雑煮のことを尋ねると、

「雑煮にゃ、豚肉はいれちゃダメなんだよ。」

と、しゃがれ声で、ぶっきらぼうというか、歯切れのいい江戸弁を話します。

雷門が近くなるにつれ、雑煮どころではなく、完全にお祭り見物モード。
ふだん、浅草寺の喧噪の隣で、静かに佇んでいる浅草神社も、この時ばかりは、参拝する人の大行列で埋まっています。

「ソイヤ、ソイヤ!」の威勢のいいかけ声や、怒鳴り声。上下左右に大きく揺れる神輿。
まさに、ケンカ祭り。

お祭りの実行委員(?)の方が神輿の前で、

「そこ押さないで。押しちゃダメだよ。」

と言った、10秒後・・・

「オラっ!押すなって言ってんだろ!コラ、押すなーーっ!!」

と怒鳴り声に早変わり。この繰り返し。誰も聞いちゃいません(苦笑)。

一之宮町内渡御16日の本社神輿町内渡御では、神輿担ぎもヒートアップ!
みんな本社神輿を担ぎたくて、うずうずしているので、躊躇していると、神輿を担ぐことができません。
小さな小競り合いは日常茶飯事。闘争本能、丸出しです。

子どもに優しい猿田彦大神ただ、神輿の前後は、穏やかです。
「一之宮」の前の方、少し距離を置いた先で、鼻の長い天狗のようなお面をつけた猿田彦大神が神輿を先導します。
後ろからは、大勢の警官が一列になって神輿の後をついていき、警察車両の上で数人の警官が目を光らせ、ビデオも回していました。


本社神輿担ぎ手代えシーンのハイライト

浅草神社本社神輿で最も大きな『一之宮』の、担ぎ手代えの様子です。

神輿を担ぐ町会が変わるとき、担ぎたくてしょうがない担ぎ手たちの興奮は最高潮に高まります。
あんまり近くにいると、はじき飛ばされます(汗)。


それから毎週、週末になると、ふらっと、お雑煮のことをほんの少し聞きながら、湯島天満宮の例大祭などを見に行きました。

日本橋山王祭三社祭から、一ヶ月後、大江戸3大祭りのひとつ、「山王祭」が執り行われました。
山王祭は、町人のお祭りである三社祭とは真逆の、江戸幕府お墨付きの天下祭。
整然と町割りされた日本橋界隈を、神輿が駆け巡ります。中央通りを進む「下町連合渡御」の神輿行列は、壮観。ビルの谷間で、笛や太鼓の音、そして、かけ声がこだまします。
祭りの賑やかさは欠けていませんが、やはり、どこか穏やか。祭りを見守る警官も、三社祭と比べると、圧倒的に少ないです。

日本橋山王祭で使われていた玉ノ井 龍神先日、佐倉の「おはやし館」に行ったとき、明治初期まで、日本橋の檜物町で曳き回されていた山車人形(玉ノ井 龍神)が展示されていました。
江戸時代、山王祭では、神輿と共に山車も曳かれていました。しかし、明治になると、路面電車の運行に差し支えがあるという理由で、山車は、川越や佐倉など、関東近郊の都市に売られていきました。


「表向きは、路面電車の邪魔になるからってことになっているけど、当時、お金のない明治政府が、資金を得るために、“カタキ”である江戸幕府のモノ(山車)を、地方に押しつけたんだよ。」

というようなことを、地元の人が語っていました。

理由はどうあれ、佐倉では、まだ現役として使われているということなので、今年はちょっと無理っぽいですが、また機会を見つけて佐倉の秋祭りにも顔を出したいと思っています。

■日本橋について、1つ引っかかること。

江戸時代、日本橋は、「現金掛け値なし」の商法を始めた呉服商・三井越後屋(現在の三越)を筆頭に、日本全国の有力な商人たち(特に伊勢・近江の商人)が大店を構えた、日本一の商業地でした。こうした日本全国から来た豪商たちは、奉公人・使用人も含め、そこで働く全ての人間を地元出身者で固めて、文化も一緒に持ち込んだそうです。
そうなると、日本橋に住む人たちは、江戸時代の“集団就職”で江戸にきた人々の末裔?
とすると、お雑煮は・・・。うーん。ほんとわからないことだらけです。

と、よく考えたら、お祭りの楽しさに気をとられて、タイトルに書いてある、「お雑煮」のことをほとんど書いていない・・・。
第2回は、もうちょびっと、僕なりにお雑煮の核心に迫っていきたいと思っています(汗)。

明日は、大江戸3大祭りのひとつに名乗りを上げている、根津神社例大祭の「神幸祭」が執り行われます。
もうここまで来たら、根津神社の例大祭もみるっきゃないですね!

ついでに、20日(月)の敬老の日は、東京国立博物館が「無料」なので、開館から閉館まで、みっちり見て回ろうとたくらんでいます。もし僕を見かけたら、恐らく土器やら、屏風やらの前で固まっていると思いますが(汗)、声を掛けてくださいね!?

僕のお祭り見物道中について、もう少し見たい方は、
お江戸のお祭り2009,2010
をご覧ください。
深川八幡祭り20098月13日~15日に行われた、大江戸3大祭りのひとつ(いったい、いくつあるの?)深川八幡祭りは、旅の出発の準備(?)に追われていたため行けませんでしたが、去年の八幡祭りの写真をアルバムに入れました。

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いつも、温かい励まし、ありがとうございます。

3 件のコメント:

狛 さんのコメント...

敬老の日、お昼どうするのですか?
おかき&コーヒーはないですよ。

Masato.M さんのコメント...

> 狛 さん

何か、食パンでも持っていって、腹を膨らませます。

Masato.M さんのコメント...

追記:

「東京のお雑煮 第2回」の執筆は、しばらく延期します。

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