2011/05/28

富士山麓の古民家 ~静岡県の武田金山~

富士山の西に広がる朝霧高原は、戦前は陸軍の演習地、戦後は酪農地として、開拓されたところです。
富士山を横目に、視界いっぱいに広がる高原の間を、心地良い風とともに、颯爽と駆け抜けていきます。

朝霧高原

山梨県から静岡県に入ったすぐの根原地区で、元区長の方に、昔から続く集落を尋ねると、

「ここ根原と、猪の頭、人穴、、、あっ、そういえば、麓(ふもと)もあったな。」

と教えていただきました。

麓?
早速、地図で調べると、朝霧高原の西のはずれに「麓」と載っています。小さな集落のようです。
コースから外れてしまいますが、当然のように(?)麓に行くことにしました。

大きな牧場やキャンプ場の間を抜けて、麓地区へ。
山梨県との県境になる毛無山の手前に麓地区はありました。
旅の途中から、人はまず、山の近くに集落を作るんじゃないかと思うようになりました。忍野村でも、富士吉田市でも、最も古い集落は山沿いでした。つい最近まで、食料や燃料、肥料などは、山(森林)から手に入れていたので、山に近いところに住む方が便利だったのではないでしょうか。

茅葺きの門がある、ものすごく古そうな家があったので、早速、訪ねることに。

朝霧高原

声を掛け中を覗くと、おじいさんと、お母さんと女の子がいました。
あいさつをし、まずお雑煮のことを聞いた後、興味しんしん、この家のことを尋ねました。

おじいさんが答えてくれます。
この家が建てられたのは、天文20年(1551)。今から460年前、戦国時代の古民家です。そのことを裏付ける資料も残っているそうです。

竹川家のチョウナ跡柱には、カンナ以前の大工道具であるチョウナで削った跡が残っています。
富士吉田市のカムナビ邸といい、広く知られていないだけで、江戸時代より前の古民家は、日本中に、案外、残っているのかもしれません。

僕はものすごく感動して、

「すごい貴重な古民家ですよね。国の重要文化財とかに登録してもらえるんじゃないですか?」

と、興奮気味に口走りました。

しかし、おじいさんいわく、このおじいさんのお父さん(おじいさん?)が、戦後、文化財指定を免れるために、なんと、母屋の茅葺き屋根を、石瓦にしてしまった・・・ということです。

「えっ・・・。」

僕は思わず絶句。古民家好きの僕には、訳がわかりません・・。

おじいさんは話します。
実際にそこで生活している人にとって、必ずしも文化財指定はいいものではないそうです。
文化財に指定されると、ガラス1枚を交換するのにも申請が必要になるなど、家に手を加えることが簡単にできなくなります。
この家の重要性はおじいさんも十分認識していますが、文化財としての家と生活空間としての家が両立しない苦悩を語っていました。
なるほど・・・。現在、文化財として登録されている古民家の多くが、公共のものになっている意味がよくわかりました。
古いものを守っていくことは、とても難しいことです。

話は、麓地区の歴史へと広がっていきます。

麓地区の西側にそびえる毛無山には、金鉱があります。この金山は、麓金山(富士金山)と呼ばれ、武田金山のひとつでした。
ここ竹川家は、戦国時代から金山を管理してきた名家です。
毛無山を挟んで反対側にあり、同じ鉱脈を採掘していた湯之奥金山と揉めたことを示す文書など、金山に関わる貴重な資料が残っているそうです。

現在、この麓地区には9軒しか家がないとおっしゃっていました。
どんどん人がいなくなり、集落は消滅の危機です。
竹川家の近くに、旧井の頭小学校・麓分校の跡地に建設した「麓 山の家」という施設があります。
この施設は、「中心となる施設がない集落は、どんどん衰退してしまう。」という信念のもと、竹川さんたちが市に働きかけて、建設にこぎつけたそうです。
残念ながら冬季(12月~3月)は休所していましたが、機会があったら行ってみたいと思っています。

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