2011/05/25

富士山麓のお雑煮 第5回 ~遙かなる麻袋~

東京に帰ってきてから、3ヶ月半が経ちました。
生来の無精のため、出発が延びていますが、ようやく、準備が整いつつあります。
このブログも、今年はじめに更新してから放置状態でしたが、再出発前に年末年始にあったことを書いていきたいと思います。

去年の12月18日~21日の間、富士五湖周辺から南へ進み、静岡県富士宮市に入りました。
静岡県に入ると、それまでの鬱蒼とした樹海から、一面にススキが広がる草原へと、一気に視界が広がります。

静岡県に入ったあたりで富士山を望む

静岡県に入った最初の集落の根原で、早速、お雑煮について尋ねました。
お雑煮は、しょうゆ味で、里芋が主菜だとおっしゃる方が多くいます。元旦に「うどん」を食べる風習は、こちらにはないようです。同じ富士山麓でも、富士五湖周辺とは違いました。

猪の頭地域で話を聞いていたとき、1人のおじいさんが興味深い話を聞かせてくれました。

その方の現在のお雑煮は「しょうゆ味」ですが、以前は「みそ味」だったそうです。
かつて、しょうゆは高級品でした。
みそは比較的簡単に、家で作れますが、しょうゆを作るためには、定期的に手を加えたり、もろみを絞るための麻袋が必要だったりと、家で作るのは楽ではありません。
このしょうゆを作るための麻袋が当時とても高価で、おじいさんの家でも、周りの家でも、買うことができなかったそうです。今は家が立ち並んでいる猪の頭も、そのころは、16~20軒ぐらいだったそうです。

他にも、戦争のころ、根原に茅葺き用のススキを刈りに行き、馬の背に乗せて帰ってきた話や、ひえと、あわ、きびを食べて暮らしていた話など、遠くを見るような目で、朴訥に語っていました。
また、ここは、かつて、水が豊富なことを表す「井の頭」だったそうですが、税金を節約するために「猪の頭」と名前を変えた・・・という話(風説?)を披露していました。

名字に注意せよ!


雑煮を聞いて歩いていると、同じ名字の人が多いことに気がつきます。
小山町では「岩田」、御殿場では「勝又(勝俣、勝間田)」、山中湖では「高村」「天野」、そして、ここ猪の頭では「佐野」や「植村」などなど。
まだ人の移動が少なかった戦争のころまでは、日本の各地で、同じ姓の氏族が、固まって暮らしていました。現在でも、まだその傾向は残っています。
このような、その場所に固有の姓の方は、先祖代々、その場所に暮らしていた可能性が高いと考えられます。
そういうわけで、ついつい表札に目がいって仕方ありません(汗)。

坂を下りながら、南下していきます。

白糸の滝

180度にわたって、何筋もの白糸が垂れ落ちる「白糸の滝」や、迫力ある轟音を響かせている「音止めの滝」を満喫。その夜は「白糸の滝」近くのおばあさん宅の空きスペースに、テントを張らせていただきました。

次の日、白糸の滝の近くで声をかけた方に、

「このあたりで、井出という名字をけっこう見かけるんですけど、ここの地名の上井出と関係あるんですか?」

と気になっていた疑問をぶつけました。

その人は、

「おっ!いい質問だ、、んー、いいねっ!」

と、地名の由来について、教えてくれました。

ここから南に、源頼朝が富士の巻狩りの時に本陣(宿所)とした家である「井出館」があり、井出館の周りは「狩宿」に、その家の南側は「出口」に、その北側は「中井出」に、中井出の北側は「上井出」、そのまた北側は「井の頭(猪の頭)」という地名になったということです。

ってことは、その井出家。この辺りのキーとなる家に違いない。
きっとお雑煮もこの辺りを代表するものだろうと、早速、行ってみることにしました。

井出の館坂を下って、井出館に向かいます。

この館の前にある、日本五大桜のひとつの「狩宿の下馬桜」の前に自転車を停め、井出館に向かいます。立派な茅葺きの長屋に囲まれ、高麗門が威風堂々とそびえる家です。

早速、中に入って声をかけると、おばあさんが出てきました。
お雑煮のことを尋ねます。
大根と里芋を下にしいて、その上にお餅を焼かずにのせるしょうゆ味のお雑煮。昔ながらのお雑煮です。
3が日が過ぎた4日からは、みそ味の「お汁煮」を食べるそうです。お汁煮という呼称は、初めて聞きました。

ここ井出館は、鎌倉時代からずっと続く名家で、江戸時代は、この辺り一帯の名主だったそうです。
たくさんの小作人の名前が書かれた「宗門人別帳」が残っている話など、ぐんぐんおばあさんの話に引き込まれます。

そして話は、戦前戦後のころに。
そのころ、この家ではみそもしょうゆも手作りしていました。塩以外の、小麦や大豆も自家製。しょうゆ作りは、もろみが上がってこないように、毎日手を入れてかき混ぜないといけないので大変だったそうです。

僕は何気なく麻袋のことを尋ねました。

「12人の大家族に使用人もいたから、麻のこし袋は、50枚はあったわよ。」

おばあさんは言いました。

えっ、50袋!!

僕は、我を忘れ、しばし呆然・・・。
顔をしかめながら舌打ちするように話していた、猪の頭のおじいさんの姿が頭の中をぐるぐる回ります。

おじいさんが1袋も買えなかった麻袋が、ここでは50袋・・・。

現在は、格差社会になってきたと言われていますが、昔も変わらず、格差社会。

お雑煮の話を聞いていると、現在、普通に食べられる食事のありがたさを本当に実感するようになります。自分の価値観が、ぐらんぐらんと揺れているのを感じました。

おばあさんとほっこり語り合った後、僕は、竜宮城からでてきたような心持ちで、井出の館を後にしました。



より大きな地図で お雑煮マップ 2(関東南部・富士山麓・甲府他) を表示

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