2010/08/31

一夜限りの一夜城

今回の旅から、ブログを書くためノートパソコンを持ってきました。

いざ、このブログの更新や写真の整理をし始めると、思ったより時間がかかって大変です(汗)。できるだけ、今日の出来事は今日中にアップしようと思っていましたが、ちょっと無理っぽいです。

ということで、このブログをアップしたときと、実際の日にちには、数日の時差が生じてしまいます。文章も書き殴り感の強いものになってしまうと思いますが、試行錯誤しながら、ちょろちょろ書き進めたいと思っています。

出発前、秋葉原で記念撮影初日、秋葉原で友人と会っていると、この前、能登半島を1周してきたという旅好きの大学生に声をかけられ、すっかり意気投合。そのノリのまま、午後6時すぎ、とうとう出発しました。

千葉県の佐倉まで行く予定でしたが、暗くなってしまったので、東京と千葉の境となる江戸川の河川敷で野宿。

江戸川河川敷やっぱり河川敷はいい!
景色はいいし、川が近いので、とても涼しく感じます。まさに野宿にはぴったり。ただやっぱり久しぶりの野宿。寝付きが悪く、あまり寝ることができませんでした・・。

27日(金)、早朝野球のかけ声に背中を押され、真っ青な空の下、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)へ。本格的に旅立つ前に、日本の歴史民俗について、ざっとおさらいしに行くことに。

葛飾八幡宮旅のあいだ、目にとまった地元の神社に「朝の挨拶」をしに行くことにしているので、国道17号沿いの葛飾八幡宮に立ち寄り、心を静めます。
40㎞ほど自転車をこぎ、10時頃、到着。思ったより体力消耗して、ヘトヘトです。冷水機で水をがぶ飲みしてもまだ足りません・・・。汗が止まり、体が落ち着くまで30分もかかりました。

平城京朱雀門の縮小模型展示を鑑賞していても、体の疲れがとれない。。僕としたことが・・・。

どうやら、睡眠不足と、久しぶりの自転車フル装備(フロントバッグ&前後両サイドにサイドバッグ、荷台にテント・寝袋他)に、ノートパソコン一式を背中にしょっていたのが、こたえたようです。

休憩コーナーで仮眠したりしていると、ほとんど回らないうちに午後5時になり、タイムアップです(涙)。

歴博を出て、佐倉城址公園を散策。
実は、佐倉には前回の旅で来ています。
ここ佐倉城は、小田原城、川越城と並ぶ、江戸警備の3大拠点の城として、日本100名城に選定されています。
前回来たときに、百名城のスタンプを押しました。

城址公園を散策後、男の人(山田さん)に声をかけられ、城址公園内の大きな東屋で1泊することを勧めてくれました。その男の人と東屋でひとしきり話をしたあと、そこに泊まることに。
深夜、若者のかくれんぼ(?)の声が響きわたり、また寝付けません・・・。

旧河原家住宅28日(土)は、佐倉観光。
武家屋敷や、旧堀田邸佐倉順天堂記念館佐倉新町おはやし館に行ってきました。



客座敷で記念撮影旧堀田邸では、ボランティアガイドの方に解説を頼み、一緒にみて回りました。
渡り廊下の網代天井や、茶室のベンガラ壁、忍者封じの2重床など、あまりの豪華な造りに感心していると、説明パネルコーナーに「愛知県津島」とあるのに気づきました。
なんと、旧佐倉藩主で老中まで輩出した堀田氏は、僕のふるさとの津島にある堀田邸の分家だということです。

津島の堀田邸は、僕の実家から歩いて10分ほどの津島神社の隣にあります。その前を数え切れないほど通っていますが、中に入ったことはありません。「まさか、こんな偶然が!?」と、びっくり。

ガイドの方は一昨年、津島の堀田邸を見に行ったらしく、僕の知らない津島をいろいろと教えてくれ、思わぬところで、地元話に花が咲きました。

佐倉新町おはやし館午後5時前、佐倉新町おはやし館の管理人にお礼を言って出発。図書館に立ち寄ったあと、城址公園へ。

城址公園には、佐倉城があったときの曲輪の跡が残っています。本丸跡には、3層3階の佐倉城天守が建っていた天守跡があります。今日はそこに僕の“お城”を建てることにしました。

天守址に一夜城秀吉真っ青の、一夜城。

やっと、敬愛するドン・キホーテ殿が渇望した、一国一城の主になりました。


深夜、目を覚ますと、“お城”の中が、ほのかに明るくなっています。
こんなところに電灯なんてあったのかと外をのぞくと、届きそうで届かない、満月に近いお月さま(居待月)が、こがね色に輝きながら、すぐ目の前、空の真ん中に浮かんでいました。

朝、いそいそと“お城”を畳み、夢の世界から撤収です・・。

我がふるさと 津島

僕は、愛知県名古屋市で生まれましたが、幼稚園に入るときに名古屋から西に20㎞ほどの津島市に引っ越しました。

尾張(愛知県西部)が歴史上、最もクローズアップされるのが、戦国時代 ー織田信長の時代ー です。

現在はさびれ気味の地方都市である津島市ですが(佐倉市と似てる!?)、戦国時代、尾張と伊勢を結ぶ河港町・自治都市「津島湊」として、尾張で最も貨幣経済が発展していた商都でした。

※「津島」の名称は、津島神社の祭神であるスサノオノミコトが、出雲から、玄界灘に浮かぶ対馬、そして伊勢の松下社を経由して移ってきたこと(参考:津島神社の社伝)などから、「対馬→津島」という説があります。

信長の祖父・信定が津島湊を手に入れ、その経済力をバックに、信長が尾張を統一し、天下人への礎を築きました。
諸説ございますが、信長が構想した革新的な「兵農分離」は、津島湊の経済力がなければできなかったと勝手に信じています。

そんな津島には、歴史ある街並みが今も残っています。
僕の大親友の家は、間口が狭く奥に長い、町家建築の建物です。
彼の部屋は、玄関から、通り土間を渡り、サンダルを履いて箱庭を抜けた奥の建物の、急階段を上った2階にありました。

そうだ!
彼の祖先はきっと、津島で脈々と代を重ねているはずだから、今度、お雑煮について聞いてみることにしよう!
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2 件のコメント:

狛 さんのコメント...

精神統一されているような写真がありますが、旧堀田邸では、座禅でもされたのですか?

Masato.M さんのコメント...

> 狛 さん

その写真のポーズは、NHK「坂の上の雲」のロケを紹介しているパネルに、秋山真之役の本木雅弘さんが、僕が座っているのと同じ場所であぐらをかいて座っているのが写っていたので、僕も真似てみたものです。

去年の年末に放送していた「坂の上の雲 第1部」はとても面白かったので、第2部以降を楽しみにしているのですが、どうやらリアルタイムで見ることはできなさそうです(涙)。

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