2011/06/18

山梨県の日本100名城 ~甲府城と武田氏館~

1月末、今回の旅初めての、「日本100名城めぐり」に繰り出しました。

山梨県の日本100名城は、武田氏館甲府城の2つです。
2つとも、甲府市中心部にあり、お互いの間隔は、2.5kmほどしかありません。ということで、1日で2つを回りました。

まず武田氏館へ。
甲府駅から、緩やかな坂になっている武田通りを登っていきます。途中に山梨大学があり、落ち着いた道です。
武田通りの突き当たりに、かつて武田氏館だった、武田神社があります。

武田神社
武田氏館は、武田三代(信虎・信玄・勝頼)の居館だったところです。ここは、戦国期の城というより、中世の館(城)のようです。
信玄は、「人は城 人は石垣 人は掘 情けは味方 仇は敵なり」という信条をもとに、治世中に城を新しく建てなかったということです。
ここを拠点に、甲府の城下町が広がっていました。
当時の建物はすべてなくなっていますが、石垣や、土塁、堀などはまだ残っています。

武田神社の堀
当時のままの堀にかかる神橋を渡り、境内へ。

武田氏館跡の石碑と武田神社鳥居
石段前に「史跡 武田氏館跡」の石碑が立っています。

拝殿前の参道
参道を進んで、森に囲まれた拝殿へ。

武田神社 拝殿
拝殿は、落ち着いた桧皮葺で、金装飾をほどこした軒唐破風からは威厳が感じられます。

お参りしたあと、拝殿に向かって右側に経つ宝物殿で、日本100名城のスタンプを押します。
ホント久しぶり。この前押したのは、えーーっと、三重県の松坂城なので・・・約2年4ヶ月前です(汗)

信玄公御使用井戸
信玄も利用したという井戸がまだ残っていました。

クルクルっと境内を周り、神社を出ます。
ここ武田神社は少し高台になっているので、なだらかな甲府盆地を見渡すことができます。信玄もここから甲斐国の民を見守っていたのでしょうか。

自転車に乗り、武田通りをすーっとくだって甲府駅へ。
甲府城は、甲府駅のすぐ東側にあります。
甲府城は、武田滅亡後、徳川・豊臣系の大名が築城し、拠点とした城です。

甲府城高石垣
当時の建物は残っていませんが、高石垣が、ずぅーんとそびえています。

内松陰門
内松陰門をくぐって、城内に入ります。

高石垣に囲まれた城内を歩いていると、ボランティアガイドの方に声をかけられました。
近年、復元された稲荷櫓は、北東の隅にあるので、かつて、艮(うしとら)櫓と呼ばれ、武具蔵として使われていたことや、徳川御三家の尾張徳川家の初代は、ここ甲斐府中の城主だった家康九男の義直だったこと、などなど。色々な資料を引っ張り出して、説明してくれます。

甲府城石垣の線刻画
稲荷櫓の脇に、線刻画が残っているというので、見てみると確かに石に何か削った跡があります。

稲荷櫓
いろいろと見どころを教えていただいたあと、稲荷櫓の展示室へ。

稲荷櫓の展示室
ここには、出土した瓦や鯱の解説・展示、甲府城や城下町の歴史解説、甲府城の縮小模型などがあります。

甲府城縮小模型
甲府城は、ここ舞鶴城公園の敷地の他にも、JR中央本線の北側の歴史公園、舞鶴城公園西側の県庁のあたりも縄張りとしていました。とても広い城です!

※甲府城の別名。鶴が羽を広げた姿に似ていることから「鶴が舞立つように美しい城」と讃えられていた。

稲荷曲輪門
それからも、広大な舞鶴城公園を歩きまわって、石垣や復元した門を見て回ります。

本丸から望む甲府盆地に広がる甲府市街
本丸跡からは、甲府盆地に広がる甲府市街が一望できます。

公園内にある恩賜林記念館では、信玄の人となりや、甲府城の歴史等の解説パネルが並び、解説ビデオも放映していたので、ここでもゆっくりじっくり時間を過ごしました。

甲府城を出るころには、夜のとばりがおりてきていました。
この日も、充実した1日でした。

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