2011/06/03

山間の僻地、旧芦川村 ~ここも「うどん正月」!?~

山中湖に入って、2ヶ月以上経った1月10日、富士五湖エリアを出ました。

まさかこんなに長くここにいるなんて完全に想定外でしたが、そういえば、前回の旅も、三重県に半年以上、滞在していました(汗)。

こんな旅をしていたら、僕の旅はいつ終わるんだろうか・・。

12月、河口湖でお雑煮調査をしていたとき、

「こんなところで聞くより、今年、新しくできたトンネルを通って、芦川で聞いたほうが面白いんじゃないか?」

と言う方がいらっしゃいました。

芦川はどういうところか尋ねると、

「山間の隠れ里のようなところだ。」

と、言います。

それは行くしかない。
その場で行くことに決定しました。

その後、カムナビ邸に行ったときにその話をすると、きこりさんが、芦川に住んでいる友人を紹介してくれました。

年が開けて1月10日、御坂山地を貫く全長約2.6kmの若彦トンネルを抜けて、旧芦川村上芦川地区に入りました。

トンネルを抜けると、地面が白く染まっています。
ここには1週間ほど前に降った雪がまだ残っていました。

上芦川の兜造りの家上芦川のメインストリートは車一台がやっと通れる、細い道。トタン屋根をかぶせた、かぶと造りの家が、立ち並んでいます。地図にのっている道は、この道で正しいのだろうか?と、疑心暗鬼になりながら、かぶと造りの家の間を進んで行きます。

家の場所や特徴を伺っていたので、なんとか到着。
予定では午後2時に到着予定でしたが、着いたのは午後4時。
声をかけると、今や遅しと待っていた、きこりさんの友人である、のらさんと奥さんのしずこさんが、迎えてくれました。

家にあがらせていただき、コタツにもぐりこんで話をします。
この家も、茅葺き屋根にトタンをかぶせた、昔ながらの家です。この辺りは、この時期(1月)、最低気温がー10度になります。昔の家は密閉性がよくないので暖まりにくいですが、いつも外で寝起きしている僕にとっては天国のようなところです。
人生初の霜焼け(あかぎれ)になった手をコタツの中に入れるだけで、幸せな気分になります。

のらさんち初日の夕食自転車の旅のことや、お雑煮を調べていることなどを話したり、この芦川地域のことを聞いたりします。

のらさんは、以前メキシコ料理の店を経営していた料理人です。
この時だしていただいたお菓子は、1月9日(日)に開催された「甲州もろこしアイデア料理コンテスト」に出品したお菓子でした。固めの食感に、甲州もろこしの素朴な味が口の中に広がります。

のらさんち初日の夕食午後7時、夕食の時間です。
甲州もろこしを使った汁物や、甲州もろこしや柿をペースト状にした料理が並びます。郷土食材を使った創作料理のオンパレードです。
とてもおいしくいただきました。

食事後、14日の道祖神祭りについての話を伺いました。今回は、のらさんの組が準備・片付けの当番だということです。
山梨県は、道祖神信仰が色濃く残っている地域で、僕もこれまで幾度となく道祖神祭りのことを聞いてきました。
機会あったら参加したいと思っていた道祖神祭り。
また、16日に、芦川で地域おこしの活動をしているNPO団体の新年会の準備を手伝わないか?と声をかけてもらいました。
こちらも、とても興味があります。

そんなこんなで、1泊だけのつもりでしたが、しばらくここに滞在させていただくことになりました。

To be continued...

旧芦川村のお雑煮と、うどん正月

道祖神祭りを待っている間、午前中は掃除などをし、午後は旧芦川村のお雑煮を聞きに回っていました。

ここ上芦川の集落をひと通り回ったあとは、3日間かけて、旧芦川村の他の集落(新井原、中芦川、鶯宿)に遠征しました。
旧芦川村のお雑煮で気になったのは、しょうゆ味の汁に、チクワ、かまぼこ、ナルトなどの練り物を入れる人が多かったことです。

また、僕が聞いた6割の方が、過去に食べていた方も含め、元旦に「うどん」を食べていました。
この地域も、かつては「うどん正月」だったのではないかと推測することができます。

道祖神祭りの前日は、旧芦川村の下手にある、旧上九一色村の甲府市古関町まで聞きに行っていました。
暗くなってから、上芦川に戻ります。標高差500m。気温ー5度の中、坂道を必死に登って行きました。


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