2010/11/08

不老山の登山道を整備する。 ~小さなことから始めよう~

不老山に登った2日後、岩田さんと2人で、崩壊した登山道の整備をしました。

台風9号による甚大な被害に対して、通りすがりの僕ができることなんてほとんどありません。
でも、「どんなに小さくても、自分にできることをする。」ことが大切です。僕の力は、吹けばすぐ吹っ飛んでしまうような、微々たるものですが、崩壊した登山道の、ほんの一部を整備することぐらいはできます。

当日、「背負子(しょいこ)にこれを乗っけって、持っていってくれ。」と岩田さんが、自作の背負子と木板や木片を指し示しました。

おー、背負子! 僕は、背負子を背負うのは初めてです。

10枚ほどの木材を背負子に縛り付けて、背負います。これで本でも読めば、まさに二宮金次郎。
何だか、ウキウキしてきます。
スキーのストックを支えに、現場(?)までゆっくりゆっくり進みます。

※岩田さんに、
「山では汗をかかないように行動しろ。」
と言われたので、何事もスローペース。
あわてないあわてない、一休み一休み。

到着後、どうやって整備するかを聞きます。
僕はまず、階段の支えになる杭を作ることになりました。

持ってきた木材を50センチぐらいの長さに切るのですが、ノコギリの使い方がほんと下手くそ(汗)。

岩田さんが、コツを解説しながら、見本を見せてくれます。

持ってきた木材を切ったあとは、倒木から杭を作ります。

台風9号の爪跡下の河原には、台風9号の影響で倒れたり、根こそぎ流された木々が数多く散乱しています。
巨木が、なぎ倒され、ゴロゴロ転がっている姿には、身震いします。

僕は慣れないのこぎりを使って、倒木から、適度な大きさに枝を切り取ります。
まさに、「おじいさんは山にしばかりに、」状態。

汗をかきかき、20本の杭を作ります。慣れていないのもあって、自転車をこぐより数倍、疲れます、、、。

杭を載せた背負子できた杭を背負子に縛り付けて、現場に戻ると、岩田さんは僕の疲れた姿を見て、昼食休憩をとってくれました。

昼食後、再度、杭を作りに下へ。
若干、ノコギリの使い方に慣れたのもあり、前回より少し早く作ることができました。

その後も、ロープ巻きつけ用の直径約15cm・長さ約1.2mの杉の丸太を切り出したり、階段を作るのを手伝ったりすると、あっという間に午後4時半を過ぎ、暗くなってきました。

岩田さんは、「一日でできる。」と言っていましたが、まだまだ全然できてません。
このままでは終われない。と、次の日も引き続き登山道を作ることにしました。

夜は、山で採ってきたアシナガキノコを入れたみそ汁などをいただき、またもやお腹いっぱいに。

そして、次の日。

木片をいっぱい載せた背負子を担いで、出陣です。

まずは前日の続きの階段作り。
クワで斜面を階段状にして、地止めの木板を杭で固定します。
一段一段作っていると、全然進まず、気が遠くなりそうです・・・。

数時間後、最も急な斜面を階段化することができました。

次は、崖に落ちないように、ロープを渡すための丸太用の穴を掘ります。
50cmほど穴を掘るのですが、これが大変(汗)。
大きな石がゴロゴロ埋まっているうえに、木の根っこが張り巡らされています。
木の根っこをノコギリでギコギコ切り落とします。
木の根っこがこんなに太いなんて、初めて知りました。

途中、昼食休憩しながら、穴を掘り続けます。

岩盤に突き当たって場所を変えたりして、何とか3ヶ所、穴を掘り、丸太を立ててロープを張りました。


登山道の急ごしらえ迂回路の整備後

これで、大ケガの危険はぐっと少なくなりました。

ちょうど暗くなってきたので、ここで終了。
あと、緩やかな斜面にも、階段を作る予定ですが、こちらは岩田さんがひとりで作るということで、僕はお役御免に。

夜、近くの食堂で「うな重」をごちそうしてくれました。
仕事のあとのご飯はおいしい。疲れもいっぺんに吹っ飛びます。

雨上がりの2日後、とても名残惜しいですが、岩田家から出発しました。
次は、岩田さんと一緒に、「富士箱根トレイル」を制覇したいと思っています。

先日、名古屋議定書が採択された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で、日本は、「SATOYAMAイニシアティブ」を提案していました。

人々が、古来より作り上げてきた里山
近年、この里山の重要性が見直され、各地で、里山保全活動が盛んに行われています。

もともと里山は、生活するために、人が自然を改造して作ったところです。
食料としてのキノコや、燃料としての薪、堆肥としての腐葉土などの確保のため、里山は、なくてはならない大切な場所でした。その時代の人にとって、冬に燃料の薪を借りるのは、食べ物を分けてもらうより、恥ずべきことだったというように、里山を保全することは最重要の仕事だったようです。

文明の発達で、その必要性がなくなったと思われた里山。
しかし、里山はまた違った意味で、人が生きるために必要なところになっていきそうです。

ただ、やっぱり里山を維持するのは大変です。
ぼくがしたこの2日の作業は、昔の人にとっては、日常の仕事。そして、岩田さんにとっても、日常の仕事。
いやぁ、本当に頭が下がります。。

そういえば、「僕の住所と名前も書いて、道標を立てておく。」と言ってたけど、立ってるのかな?
不老山に行って見かけた方は、ご連絡ください。

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