2010/11/29

茅葺き屋根のおばあさん ~タイムスリップした一夜~

山中湖に来て2日目。山中湖を1周しながら、お雑煮のことを聞いて回っていました。

山中湖北東の平野集落をうろついていたとき、土の上に、はいつくばるようにして、畑を耕していたおばあさんを見かけたので、声をかけました。

おばあさんは、

「人間は、土と、水と、太陽がなければ生きられない。」

などと、説教し始めます。

おばあさんの説教に引き込まれるように、いつの間にか、僕は歩道の上に体操座りをして説教を聞いていました。

しばらくして、おばあさんは、

「今日はうちに泊まっていけばいい。」

と言いました。

天野家住宅僕はちょっと迷いましたが、

「そこの草葺きの家だ。」

と言われたときには、目を見開いて、興奮。
実は先ほど、お雑煮のことを聞こうとその家を訪れ、茅葺き好きの僕は、茅葺き屋根の家に感動していたのです。

暗くなった5時過ぎ、茅葺きの家を訪問します。

おばあさんは、割烹着を着て、もんぺをはき、頭に手ぬぐいを巻いています。

展示用ではない、現役の茅葺き屋根の家に初めて上がりました。
改修はしていますが、建てたのは170年前だそうです。最後に茅葺きしたのは約40年前で、おばあさん自身も手伝ったようです。
さすがに今は、天井がはってあり、台所やお風呂もあり、土間も玄関のようになっています。

掘りごたつに入り、お茶をいただきます。
お茶を入れてくれるシワだらけのおばあさんの手は、長年の農作業などで、太くたくましい立派な手です。
休憩していると、おじいさんが帰ってきました。
おじいさんとおばあさんの2人だけの会話は、方言が強くて、ちょっと聞き取れません(汗)。

話が終わると、

「今日は、長芋と卵を入れてそば粉を練っておいたから、打つべ。」

と言って、台所でそばを打ち始めました。

そばを打つおばあさん家庭でそばを打つのを見るのは、初めてです。

おばあさんは、のし板の上に麺玉をのせ、まず足で踏みつけ、そばの麺玉を叩きながら丸くし、打ち粉を勢いよくふりかけながら、のし棒で麺玉を徐々に伸ばしていきます。
もう体が覚えている感じで、のし棒を手足のように、いろいろな角度からコロコロ回します。長唄のような歌を歌いはじめました。麺玉が、丸く薄く広がっていきます。

今日もまた、ほうとう?うどんがいいなぁ。えっ!そば!!

「山梨県史 民俗編」の「一日 ー一日のケの生活ー」の項目に、「ある1日」の解説が載っています。

その「夕食」のところには、

普段の夕食の中心は、ホウトウ。来客があるときは、ウドンやヒヤムギ。もっとぜいたくなのは、蕎麦。

などと書いてあります。

山梨県の郷土料理であるホウトウは、野菜を比較的多く入れて煮込むので、うどんに比べ小麦の量が少なくてすむ(うどんの3分の1)経済的な食べ物です。
山梨県は、山に囲まれた、お米があまりとれない地域。特にここ山中湖は山梨県でも最も寒く、主食は、大麦、小麦、モロコシなどのコナモノでした。

ホウトウなどの郷土料理は、今では観光の目玉になっていますが、その土地土地の厳しい自然環境の中、地元で取れるものを使って、いかにおいしく日常的に食べられるか、先人が経験や知恵を絞ってあみ出したものだということが、よく分かります。

かつて、山梨県のお母さんは、毎夜毎夜、家族のために、のし板とのし棒をふるって、小麦粉を打っていました。

「風呂、へーらねぇか?」

と言われたので、先にお風呂に入り、久しぶりに(!?)体を洗います。

きれいに切られたそばお風呂から出てくると、きれいに切られたそばが、新聞紙の上に置いてあります。瑞々しくキラキラ光って、おいしそうです。



できあがったそば堀りごたつに入ると、ツヤツヤ光る、プルンプルンしたそばが、てんこ盛りで出てきました。
つゆは、いろいろな野菜が入る、さっぱりした醤油汁です。

「ナンバン、いれねぇべか?」

と言われ、最初、理解できませんでしたが、じきに、唐辛子のことだと気づきました。

おいしい!
そばは、しっかりコシがきき、弾力があります。
熟練者であるおばあさんの手打ちそばは、うまい。僕が食べたそばで一番の味です。
水でしめてあるので、麺は冷たいです。
ラーメンのつけ麺と同じく、つゆが覚める欠点がありますが、そんなことは百も承知のおばあさんは、何度も熱いつゆを入れてくれました。

「今日は、カモや、キジの肉がねぇから、ごちそうできねぇべ。」

と言ってましたが、十分なごちそうです。

食後、おばあさんと話をします。

おばあさんは、「厳しく、熱い人」です。
戦前の教えが今も 骨身にしみ込んでいます。
「尋常小学と高等科(今の小学校と中学校)しか出ていない。」と何度も言っていましたが、その時習ったことを、84歳になる今まで、全く忘れていないことに驚きです。

シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」の話。
因幡の白兎の話。
間宮林蔵の話。
などなど。

教育勅語を暗唱し、内容を説明してくれました。

僕が何も知らないため、

「今の学校は何を教えているんだ?」

と、嘆いていました。

僕は、

「今は修身の授業はないんですよ。。」

と、自分の不勉強を棚にあげて、意味不明なことをタジタジと言うだけです(汗)。

僕はこの時、教育のすごさを、身にしみて痛感しました。

このような教育を受けた人々が、日本の戦争を支えていたんだ。と実感したのと同時に、多くの人が衣食住に困らない、便利な今の日本社会は、おばあさんのような人たちが築いてきたんだ。と、深く考えさせられました。

僕は、

戦時中に若者だったら、果たして、特攻隊に志願したか?

と考えることがあります。

僕は、思い込んだら頑固に思い込むクセがあるので、戦前の教育を受けていたら、特攻隊に志願していたんじゃないか。と思ったりしますが、正直に言えば、「特攻隊に志願する人間であってほしい。」と密かに願っています。

果たして、僕はどういう人間なんだろうか。まだよく分かりません。

他にも、

職種に恥はない。
人生に今日の日は、今日しかない。
情けのある人間になれ。

などなど、まだまだ書ききれないほどの金言を述べていました。

特に、努力については、

努力に勝る秀才なし。
運勢は、「勢いを運ぶ」と書く。だから、運も自分自身の努力で引き寄せなければいけない。

などと、何度も言及していました。

これらの金言は、「言うは易し、行うは難し。」です。実践することは難しい。
しかし、おばあさんには、それらの言葉が骨の髄までしみ込んでいるようです。
おばあさんから、その日その日を精一杯生きる心構えとその実践について、教えていただきました。

なんて、火傷しそうな熱い話を聞いていると、もう12時。
いつも10時頃には寝ている僕は、さすがに眠いです。
梅子さんの「ねべーな。」の合図で、寝る準備に入ります。
家の奥の「オクンデイサ」(奥座敷)に僕のための布団を敷いてくれたので、挨拶をして居間を出ます。

2度と来ない「今日の日」が終わりました。

山中湖情報創造館で「山中湖周辺の民俗」という本を読んでいると、なんと天野梅子さん(茅葺き屋根のおばあさん)のそば打ちの写真が載っていました。
他にも、天野家住宅の間取り図や、写真、解説まで載っています。

やはり、天野さん夫婦は、山中湖の民俗における数少ない生き証人のようです。
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いつも、温かい励まし、ありがとうございます。

2 件のコメント:

狛 さんのコメント...

味噌汁にうずらの卵を入れれば、栄養バランスが良いかも。
この間、我々が作った煮込みうどんより、いいもの食べているじゃないですか!(笑)

Masato.M さんのコメント...

> 狛 さん

この前、写真を送っていただいた煮込みうどんも、十分おいしそうだったじゃないですか。

日々、食べれることはいいことですね。

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