富士山の東南麓などを源流とする「鮎沢川」は、神奈川県に入ると「酒匂川」と名前を変えます。
ちょうどその酒匂川が鮎沢川に変わる直前、「先祖代々、ここに住んでいる。」とおっしゃっていた方のお雑煮は、「みそ味」でした。
今回の旅で、地元出身の方に初めて聞いた、「みそ味のお雑煮」です。
酒匂川を渡り、静岡県小山町に入ると、みそ味のお雑煮が増えてきます。
前回の旅と合わせて考えると、みそ味のお雑煮には2つの理由が考えられます。
ひとつは、 歴史の古いお雑煮です。
前回の旅で尋ねた大阪や奈良など、近畿地方とその周辺は、みそ味のお雑煮を作る方が多いです。
お雑煮ができたころ(室町時代)の文化の中心は、「京都」でした。
そのころのお雑煮は、しょうゆの原型である「たれみそ」を使っていたそうです(P.104-105『祝いの食文化』)。
「たれみそ」は、みそから作る液体ですが、手間がかかるので、みそをそのまま使ったのが、京都のお雑煮になり、京都の文化圏である近畿周辺に「みそ味のお雑煮」が広まったと考えられます。
もうひとつは、山(田舎)のお雑煮です。
富士山麓や、前回聞いた三重県の伊勢湾方面の山側などには、みそ味のお雑煮を作る方が、広く分布しています。
おみそは、各家庭で代々、作られてきましたが、しょうゆは、購入するものでした。
江戸時代は、基本、自給自足で、村内や近くの村との物々交換で生活が成り立っていました。環境が厳しい山の中では、特にその傾向が強くなります。そのような地域では、しょうゆを手に入れるのは難しく、自然と自家製のみそを使ったお雑煮になってきます。
山中湖や河口湖周辺のお年寄りの方の中には、「昔はしょうゆなんてなかった。」とおっしゃる方が何人かいましたが、しょうゆが自由に手に入るようになったのは、ごく最近のことです。
このような「山(田舎)」がベースにあるみそ味は、どうしても「しょうゆ味」に流れていく傾向があります。
東日本ではしょうゆ味のお雑煮が圧倒的に多いうえ、メディアでも、しょうゆ味のお雑煮の情報が頻繁に流されています。
このような影響で、「昔はみそだったけど、今はしょうゆ。」という人が多くなっているように思います。
また結婚相手がしょうゆ味だと、しょうゆ味になる傾向も多いように感じます。
反対に、しょうゆ→みそのパターンは、ものすごく少なく、実際に僕が聞いた、関東平野や足柄平野の地元出身の方の中に、「みそ味のお雑煮」の方はいませんでした。
■しょうゆ味のお雑煮は、江戸のお雑煮。
しょうゆの製造・流通が確立されたのは、江戸時代に入ってからです。
雑煮の文化自体は京都が発祥ですが、しょうゆ味のお雑煮は、しょうゆが比較的手軽に手に入るようになった、江戸の町から始まったと考えることができます。
参勤交代で江戸に来ていた各国の大名が、この「正月のしょうゆ味の雑煮文化」を自国に持ち帰って、全国的にお雑煮が広まったと考えることができます。
より大きな地図で お雑煮マップ 2(関東甲信) を表示
正月にお雑煮を食べ始めたのは、津島の人々!?
僕の故郷の愛知県津島市の図書館(僕が通っていた中学・高校の隣にあります。)が、「正月の雑煮発祥地は津島」というトンデモ説(!?)を唱えていました(地元で伝わる話?)。
津島市立図書館 図書館だより 2008年10~12月版
※12/26に、その説が載っています。
正月にお雑煮を食べることについての、最も古い文献のひとつである「言継郷記」によると、天文三年(1534)正月元旦に雑煮の記載があります(P.97『祝いの食文化』)。
しかし、「浪合記」という書物には、津島に来ていた良王に、正月元旦、雑煮を出したという記述があります。
同八年正月元旦雑煮を良王に上る。
(「国立国会図書館 近代デジタルライブラリー」より抜粋。左ページの真ん中あたり。)
この「同八年」とは永享八年。西暦では、1436年。
「言継郷記」の記述から100年も古い!
なるほど・・。まさに、津島が正月の雑煮発祥の地だ! と言いたいのですが、この「浪合記」は江戸時代初期に書かれた(と思われる)書物で、今でいう歴史小説のようなもの。
真実は藪の中・・。まぁ、歴史はロマンなので・・・(汗)。
1 件のコメント:
追記:
ん?あれ? いや、ちょっと待て・・・。
よく考えたら、「雑煮」が初めて出てくる文献である「鈴鹿家記」には、貞治三年正月二日に「雑煮御酒被下」と書いてありました。
すごいぞ!「国立国会図書館サーチ」のコメント欄参照
ここに出てくる貞治三年とは、西暦1364年。
「浪合記」の記述より、70年ぐらい古い。鈴鹿家記の記述は元旦ではなく、正月二日ですが、正月には違いありません。しかも、鈴鹿家記は、その日その時に書かれたはずの信憑性が高い文献です。
うーん。これは、津島市立図書館の勇み足のような気が・・。
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