2010/12/07

富士山麓のお雑煮 第3回 ~富士吉田市のお雑煮~

富士吉田市全域を通して、僕が聞いた中で、最も多いお雑煮は、みそ味で、水かけ菜が主になり、千切りした人参や、油アゲ、椎茸などを添える、菜雑煮系のお雑煮です。

この水かけ菜は、富士吉田市で最もよく聞いた具材で、富士山の豊富な湧き水を利用して作る、この地方特有の菜っ葉です。富士吉田市から10kmほど下った都留市が産地で(御殿場市でも。)、年末、八百屋の店頭に並んだり、農家の方が売りに来たりするそうです。

町村合併の変遷図富士北麓の中心都市である富士吉田市は、明治の大合併昭和の大合併などを経て、現在の市域になりました。

富士吉田市は、富士講御師町として、商業地として、農村としてなど、多様な顔を持っています。
これらの地域ごとのお雑煮の特徴について、大まかに3つに分けて、説明します。

その地域とは、
  1. 江戸時代、富士講の御師住宅や商家が立ち並んでいた、上吉田・下吉田地区。そして、その周辺。
  2. 古くから人々が住み、土着の民俗が残っていると言われている、向原地区(明見地区)。
  3. 江戸時代まで、溶岩台地に遮られていたため「水なし村」と呼ばれていた、新倉地区。
の3つです。


1.上吉田・下吉田地区(と、その周辺)



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富士檀家の分布図江戸時代、富士講の御師の布教活動などにより、富士信仰が盛んになり、特に関東地方から、多くの人々が富士山を訪れました。





御師の街並みジオラマ富士吉田の北口本宮冨士浅間神社が登り口になる吉田口は、関東の人たちが最も利用した登山口(現在も。)であり、上吉田・下吉田は、多くの人で賑わっていました。

本町通り(富士みち)沿いに、下吉田には商家が立ち並び、金鳥居から富士山側(南)に続く上吉田には、御師住宅が軒を連ねていました。

金鳥居この街道沿いの商店や家を訪問してお雑煮のことを聞くと、9割の方が、しょうゆ味でした。今も残る御師住宅の方に尋ねたところ、7軒のうち6軒の方がしょうゆ味です(内1軒はみそ、しょうゆ両方)。

関東地方から、(しょうゆ味のお雑煮である)多くの人々がやってきて文化交流が深まったことや、周りの農村と異なり、貨幣経済だったことを考えれば、江戸時代からしょうゆ味のお雑煮だったと考えることができます。

本町通りから外れた下吉田や、上吉田(新屋地区も含む)では、しょうゆ味とみそ味が混在してきます。

2.向原地区(明見地区)



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小明見地区の一地区である向原地区は、地元の人が「ムキャバラ」とか「ムキャッパラ」と呼ぶ、富士吉田市でも、歴史の古い地域です。
ここの人達にとって吉田と言えば、商業地帯の上吉田や下吉田を指し、「吉田とここは違う。」とか、「(吉田と比べて)ここは田舎だからねぇ。」とおっしゃる方がいました。

この向原地区では、ほとんどの方が、前回のブログ記事で書いた、ケンチン汁のお雑煮でした。

もうひとつ気になったのは、お餅を煮る方が続いたことです。これまで僕が聞いた富士五湖周辺のお雑煮に関しては約8割の方が、お餅を焼いていたのですが、萬年寺近くの、3世代で住む旧家の方を含め、7人中5人の方がお餅を煮ていました。

向原地区以外の明見地区では、水かけ菜が主のお雑煮の方が多かったです。


3.新倉地区



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新倉富士浅間神社の上にある「慰霊塔」前から富士吉田市が編纂した「新倉の民俗」には、鶏肉を入れるしょうゆ味のお雑煮が載っています。それを確かめに、新倉周辺でも聞き込みをしました。

僕の調査では、みそ味の方と、しょうゆ味の方は、大体半々くらいでした。両方の味ともに、水かけ菜が主のお雑煮の方が多いです。

しょうゆ味のお雑煮で鶏肉を入れる方に、少し話を伺うと、

「昔は、ニワトリを飼っていたから、正月には、それをしめた。」
「贅沢だけど、正月はしょうゆを買ってきて使った。」

と言っていました。

年末に餅をつかない、小林姓の人々


富士吉田市が編纂した「下吉田の民俗」に、
「小林尾張守の子孫である、小林イッケシ※1の30戸ほどの家々は、暮れに正月用の餅をつかない。」(要約)
という話が載っています。

この話を確かめるため、下吉田地区をぐるぐる歩き回り、「小林さん」を訪ね歩きました。何軒かの小林さんを訪ね、2軒の小林さんから、餅をつかないしきたりについて、伺うことができました。

「先祖が餅をついている時に不意打ちに会い、餅に血が混じった。」

ため、餅をつかないことになっているそうです。ただ、

「餅を年末につくのはダメだけど、もらったり、買ったりするのはいい。」

ということで、もらったりしたお餅を使って、元旦からお雑煮を食べています。

また、餅をつかない代わりに、年末に米粉(うるち米)で団子を作ります(1軒の方は、「餅の代わりにお雑煮に入れることもある。」とおっしゃっていました。)。
この小林イッケシの方が餅をつくのは、小正月(1月15日)の前ということです。2軒とも正月にお餅を食べていましたが、昔は、正月に団子を食べ、小正月から餅を食べ始めていたのではないか・・・と想像は膨らみます。

このような話は全国に散らばっているようです。正月にお餅自体を食べない「餅なし正月」の事例もたくさんあるようです。

■「餅なし正月」の事例と解説
東京都足立区 四ツ家の餅なし正月


※1 イッケシ(一家衆※2)・・・先祖を同じくする同族集団のこと。富士吉田周辺で、1月(や、お盆)にイッケシが(総)本家に集まって、皆でお参りしたり、食事を食べたりする行事を行っているという話を、何度か伺いました。

※2 衆・・・山梨県では、「~たち」を表すのに、「衆」をよく使います。一番初めに聞いたのは、お雑煮のことを男の人に尋ねたとき、「俺はよくわかんねぇから、オンナシ(女衆)に聞いてくれ。」と言われた時です。
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