2011/07/02

神奈川のお雑煮 第3回 ~相模湖周辺は甲斐国?~

2月、東京に戻ってくる途中、山梨県上野原市や相模湖北岸地域で、お雑煮について尋ねました。

上野原市に入り、四方津の駅近くでお雑煮のことを尋ねると、元旦ではなく、2日に「うどん」を食べるとおっしゃる方がいました。

2日にうどん?

これは聞かざるを得ない・・と、上野原市で、お雑煮のことを尋ねました。

何人かに尋ねると、「2日にうどんを食べる。」と、多くの方がおっしゃいます。
そのうどんとは手打ちうどんで、正月2日にうどんを打つことを、「うちぞめ」とか、「ぶちどめ」とか、「打ち初め(ぶちぞめ)」と呼ぶそうです。

この辺りは、まずお餅の入ったお雑煮を食べ、次に、うどんを食べるという流れのようです。

お雑煮のことを尋ねていると、眼下に相模湖が広がり、神奈川県に入りました。

神奈川県に入っても、2日に「打ちぞめ」をして、うどんを食べたという話を聞きます。
お雑煮は、厚木や伊勢原などでよく聞いた、里芋と大根のお雑煮ではなく、たくさんの具を入れた「けんちん汁」のお雑煮の方が多くいます。

藤野町資料館国道20号を走っていると、「藤野町資料館」と書かれたのぼり旗を見かけたので、立ち寄ってみました。

ここ旧藤野町(現在は相模原市緑区。)は、江戸時代、甲州街道十番目の宿である「吉野宿」として栄えたところです。
館内には、吉野宿の街並復元模型や、藤野町の歴史、かつての産業の養蚕と炭焼きの解説があります。
それらをひと通り見た後、係員にお雑煮のことを尋ねると、向かいの吉野さんは、この辺りについてすごく詳しい人だと教えていただいたので、早速、向かいの家へ行きました。

藤野町資料館向かいの吉野家は、吉野宿の本陣で、名主だった家です。
声をかけると、おじいさんが出てきました。90歳を過ぎているとは思えないほどしっかりしています。
かつて、藤野町の民俗を調査していて、藤野町内に、768体の石像があることなど、この地方のことをいろいろと話してくれました。

その中で僕の興味を最も引いたのは、江戸時代、ここ相模湖周辺は、郡内地方だったということです。

今の郡内地方は、山梨県の南東部を指しますが、相模湖周辺もかつては、郡内地方の一部だったそうです。ここも郡内地方だったと考えると、けんちん汁の話や、打ちぞめの話など、甲斐国の影響を強く受けているわけが納得できます。

ここ相模湖周辺の旧津久井郡は、現在神奈川県に属していますが、文化や風習は甲斐国に属していると考えることができます。


より大きな地図で お雑煮マップ 2(関東南部・富士山麓・甲府他) を表示

丹沢湖奥、箒沢(ほうきざわ)の、みそ味のお雑煮

去年の10月、神奈川県山北町から御殿場に行く途中、丹沢に寄りました。
丹沢湖から中川川の上流へ細道を、ぐんぐん北に進んでいくと、徐々に山が険しくなり、箒沢というところに着きます。

そこに住む方は、みそ味のお雑煮を食べるとおっしゃっていました。
丹沢湖周辺にもみそ味のお雑煮の方がいらっしゃいましたが、神奈川県では、それまでずっと、しょうゆ味のお雑煮だったので違和感を感じました。

丹沢湖ビジターセンターその時に寄った丹沢湖ビジターセンターに、箒沢の地名の由来が解説してありました。

中川川最奥の集落だと思っていた中川集落の人が、さらに中川川上流からホウキが流れてきたのにびっくりして上流を調べに行くと、甲斐国から来た人たちが集落を作っていたそうです。そこで、その集落を「箒沢」と呼んだということです。

この伝承からも裏付けられるように、この箒沢に住んでいる人たちはかつて甲斐国に住んでいた人々だとすると、「みそ味のお雑煮」というのもしっくりきます。
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